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アーネム戦記  作者: Tanu1016
第六章 278年の嵐 後編

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第6話 父親として

 翌日。


 王宮からの使者が、モンド=ドゥットゥカースのもとを訪れた。


「出仕命令です」


「……出仕か」


 モンドは差し出された書状を受け取った。


 二年ぶりだった。


 276年11月。


 トーマの死を受け、モンドは軍務から外された。


 蟄居。


 そう呼ばれてはいたが、厳重に屋敷へ閉じ込められていたわけではない。


 軍務から遠ざけられ、表立った政治活動を制限された。


 実態としては、半ば引退に近かった。


 皮肉なことに、その二年間が身体には良かった。


 長く患っていた身体も、以前よりは持ち直している。


 五十歳。


 若い頃のような無理は利かない。


 それでも、二年前より体調は良かった。


「ラレドだろうな」


 モンドは書状を閉じ、立ち上がった。



 ◇



 リブロフ王宮。


 案内された部屋には、すでに一人の男が待っていた。


「久しぶりだね」


「ヴァン」


 四十八歳になった旧友だった。


 モンドの顔を見たヴァンが、少し目を細める。


「君は少し顔色が良くなったね」


「二年も戦場から離れていればな」


「やはり休養は大事だよ」


「好きで休んでいたわけではない」


「身体には良かっただろう?」


「……それは否定せん」


 そこまで話したところで、扉が開いた。


 オーウェンが入ってくる。


 二人は姿勢を正した。


「陛下の裁可が下りた」


 オーウェンは一通の書状を机へ置いた。


「モンド=ドゥットゥカース」


「はい」


「本日をもって蟄居を解く。軍務へ復帰せよ」


「承知いたしました」


「ラレド奪還軍総司令を命じる」


「謹んでお受けいたします」


「ヴァン」


「はい」


「正式に軍師として任用する。モンドを補佐しろ」


「承知しました」


「エル=リージェット、ギルフォードを両名の指揮下へ置く」


 その名前に。


 モンドの目が、ほんのわずかに動いた。


「現在、戦闘可能な兵力は一万五千」


「目的はラレド奪還ですね」


「ああ」


「パドゥーラ攻略までは?」


「求めん」


 オーウェンは即答した。


「ラレドを取り戻せ。それで十分だ」


「軍の編成、配置、運用については」


「任せる」


「承知いたしました」


 モンドは頭を下げた。


 それから少し間を置く。


「エルについて、何か制限はございますか」


「ない」


「よろしいので?」


「今回の敗戦について、処罰すべき事由は認められなかった。軍人としての能力にも問題はない」


 オーウェンはそこで一度言葉を切った。


「ただし、信用については別だ」


「承知しております」


「準備を始めろ」


「はい」


 オーウェンはそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。


 扉が閉じる。


 しばらく。


 モンドもヴァンも何も言わなかった。


 やがて、モンドが息を吐く。


「また、お前と戦場か」


「そうだね」


「十六の頃には、五十になってまでお前と戦争をしているとは思わなかった」


「私はまだ四十八だけどね」


「二つしか違わん」


「二年は大きいよ」


「昔から、そういうところだけ細かいな」


「君が大雑把なんだ」


 モンドは鼻で笑った。


 二人きりになれば、口調も自然と昔へ戻る。


 肩書も。


 爵位も。


 何もなかった頃。


 十六の頃から続いている話し方だった。


「それで」


 モンドが椅子へ腰を下ろす。


「エルはどうだ」


 ヴァンの表情から笑みが消えた。


「軍人としてなら問題ないよ」


「俺は父親として聞いている」


「分かっている」


 ヴァンも向かいへ座った。


「かなり厳しい査問を受けたようだな」


「あの子は素直すぎるからね。辛かっただろうね」


 ヴァンは困ったように笑う。


「もう少し私みたいに楽しめると良かったのだけれど」


「お前はやりすぎだ」


「何がだい?」


「査問官が逃げ出したそうじゃないか」


「私としては普通に対応しただけなんだけどね」


「馬鹿を言う。普通に対応して査問官が逃げるか」


「昔のことを少し思い出しただけだよ」


「査問官の過去を査問中に思い出すな」


「偶然だよ」


「お前の偶然ほど信用できんものはない」


「心外だね」


「看守には先生と呼ばれていたそうじゃないか」


「相談されたから答えていただけだよ」


「何の相談だ」


「親権とか、相続とか、土地とか」


「……」


「恋愛とか」


「お前は軟禁されて何をしていたんだ」


「暇だったからね」


「本当に昔から変わらんな」


「君に言われたくはないよ」


 モンドは呆れたように笑った。


 ほんの少しだけ。


 昔の時間が戻った。


 だが。


「エルには、お前みたいな図太さはない」


「そうだね」


「あの子は全部まともに受け止める」


「昔からね」


 モンドは目を伏せる。


「姿だけなら、シェリーによく似たんだがな」


「本当によく似ている」


「顔も、髪も、目元も」


 遠い昔を見るように、モンドが目を細める。


挿絵(By みてみん)


「だが、性格はまるで違う」


「シェリーはもっと物静かだったからね」


「ああ」


 慈悲深いところは似ている。


 困っている人間を放っておけないところも。


 けれど、シェリーはもっと穏やかな女だった。


 エルのように、思い立った瞬間に飛び出していくような娘ではない。


「エルは君の狩りについて行きたがったね」


 ヴァンが言った。


「シェリーが止めるのに必死だった」


「ああ。朝から弓を持って待っていたことまであった」


「まだ小さかったのにね」


「連れていかんと言えば、一日中不満そうな顔をしていた」


 モンドの口元が、わずかに緩む。


「家でシェリーの手伝いでもすればいいものを、家事はまったくやらなかったな」


「その横で、アムルはいつもシェリーの料理を手伝っていた」


「あいつは昔から、妙なところでまめだった」


「料理を覚えるのも早かった」


「家事だけなら、エルよりよほど役に立ったな」


「それをエルに言ったら怒るよ」


「昔も怒った」


 二人が小さく笑う。


「本当に、誰に似たのやら」


 モンドが呟いた。


 ヴァンがじっとこちらを見る。


「……何だ」


「何も」


「俺を見るな」


「何も言っていないよ」


「顔が言っている」


 ヴァンは笑った。


「思い込んだら曲げないところは、君によく似ていると思うけどね」


「似ていない」


「人のためなら自分を後回しにするところとか」


「それも違う」


「そもそも、君がこの国へ戻ったのだって、シュデスとの約束を果たすためだろう?」


「……」


「似ているじゃないか」


 モンドはしばらく黙った。


「……嫌なところばかり似たものだ」


「いいところでもあるよ」


「本人が苦しまなければな」


 笑みが薄れた。


 モンドは椅子へ深く腰掛ける。


「軍の道に進ませなければよかったのか」


「そうだねぇ」


「そもそも、お前が家に軍略書なんぞ置くのも悪い」


「私かい?」


「そうだ。あいつら、子どもの頃から暇さえあれば読んでいただろう」


「本に罪はないよ」


「置いた奴にはある」


「随分な言いがかりだね」


「お前が変なものを置かなければ、もう少し普通の子どもになったかもしれん」


「君も地図を広げて、一緒に教えていただろう?」


「……それはそうだが」


「二人とも楽しそうだったよ」


 モンドは黙る。


 やがて、少しだけ笑った。


「アムルとエルは、子どもの頃から仲が良かった」


「うん」


「いや。あいつを引き取った時から、か」


「アムルに『アムル』という名前をつけたのも、エルだったね」


「ああ」


 名前すら持っていなかった少年。


 その少年へ。


 幼いエルが名前をつけた。


「どちらが姉になるか、兄になるかでもめてね」


「エルは、自分が先に家にいたから姉だと言い張っていた」


「アムルは、自分の方が少し大きいから兄だと」


「結局、少し大きかったアムルを兄ということにした」


「ああ」


「でも、エルは一度もアムルを兄とは呼ばなかったね」


「アムルも、エルを妹とは呼ばなかった」


 二人は顔を見合わせた。


「……考えてみれば」


 モンドが言った。


「最初から妙だったのかもしれんな」


「そうだね」


「俺たちは兄妹ということにしたが」


「本人たちは、少し違ったのかもしれない」


 南北戦争の頃までは。


 二人とも、自分たちは兄妹なのだと思おうとしていた。


 その関係から外れてはいけない。


 互いにそう思っていた。


 だから。


 自分の中にあるものへ、名前をつけようとしなかった。


「コスタ戦役の後は、もう隠す気もなかったがな」


「恋人だったね」


「ああ」


 モンドの顔に苦笑が浮かぶ。


「俺はもっと前から、自然に進んでいけば、あいつは養子から婿養子になると思っていたよ」


「私もそう思っていた」


「あの二人なら、それが一番自然だった」


「随分と遠回りしたけれどね」


「遠回りどころではない」


 笑みが消えた。


 少しの沈黙が落ちる。


「今のエルは、リボンをつけていないのか」


 モンドが聞いた。


「青いリボンかい?」


「ああ」


 ヴァンは一拍置いた。


「つけていないよ」


「……そうか」


 モンドは目を伏せる。


「あれを最初に贈ったのも、アムルだったな」


「エルが十歳の誕生日だったね」


「ああ」


挿絵(By みてみん)


 懐かしむように、少しだけ笑った。


「あいつが急に俺の手伝いを始めてな」


「珍しかったね」


「薪を運ぶ。庭を掃く。買い物にもついてくる」


「ずいぶん真面目だった」


「何を企んでいるのかと思ったら、『少し良いやつを買いたいから駄賃をくれ』だ」


「青いリボンを買うために」


「ああ」


 まだ子どもだった。


 自分の金など持っていない。


 だから働いた。


 エルの誕生日に、少しだけ良いものを贈りたかった。


「エルは喜んでいたね」


「随分とな」


「それから、青いリボンをよくつけるようになった」


「ああ」


 今は。


 ない。


 モンドの笑みが消えた。


「そこまで捨てたか」


 ヴァンは答えなかった。


 少しして。


「今のエルは危ういよ」


 静かに言った。


「分かる」


「命令は聞く。判断もできる。兵も率いる。一万五千をまとめて帰還させた」


「軍人としては何の問題もない」


「うん」


「だから危ない」


 ヴァンが静かに頷いた。


「昔のあの子なら、もっと怒った」


 モンドが言った。


「嫌なら嫌だと言った。納得できなければ聞いた」


「ああ」


「俺にだって、遠慮なく言い返した」


「それは今も昔も、君が言われるだけのことをしていたんじゃないかな」


「今はその話をしていない」


「失礼」


 モンドは息を吐く。


「今は?」


「必要なことしか話さない。命令ならやる」


「笑わないか」


「ほとんど」


「怒らない」


「あまり」


「泣かない」


「私の前ではね」


 モンドは目を閉じた。


 パドゥーラ侵攻。


 エルは一度、アムルと敵味方に分かれた。


 かつて暮らした場所へ攻め込んだ。


 昔の仲間たちと戦った。


 そして。


 アムルとも戦った。


 一度戦ったからこそ。


 モンドには分かった。


 次は、もっと危ない。


 最初の戦いを乗り越えたのではない。


 あの子は。


 壊れたまま帰ってきただけなのだ。


 その状態で。


 もう一度、アムルと戦わせる。


「今のエルなら、戦えるだろう」


「戦うよ」


「アムル相手でも」


「ああ」


 モンドは低く息を吐いた。


「そこが一番困る」


 戦えないのであれば。


 止められる。


 命令を拒むならば、軍から外すこともできる。


 だが。


 今のエルは戦う。


 相手が敵なら。


 剣を向ける。


 それがアムルでも。


「そして、その後のことを考えていない」


 モンドが言った。


 ヴァンは少し黙った。


「……私も、そう見える」


「軍人としては使いやすい」


 命令を守る。


 迷わない。


 自分の命さえ惜しまない。


「だが、それを立派な軍人とは呼ばん」


 モンドの声が低くなる。


「壊れたまま動いているだけだ」


「そうだね」


「ヴァン」


「何だい?」


「お前が付いていて、そこまでになったか」


「耳が痛いね」


「責めているのではない」


「分かっている」


 モンドは息を吐いた。


「俺があの子のそばにいたところで、あの子が決めたことを止められたとは思えん」


「たぶんね」


「そういう子だ」


「君に似たんじゃないかい?」


「それは今言うな」


 ヴァンがわずかに笑った。


 しばらくして。


「アムルはどうしている」


 モンドが尋ねた。


「詳しいことまでは分からない。ただ、以前とはかなり違うようだね」


「……そうか」


「気になるかい?」


 モンドが顔を上げた。


「当たり前だろう」


 少しだけ声が強かった。


「あいつがドゥットゥカースの名を捨てたから何だ」


「……」


「俺との縁を切ったから何だ」


 ヴァンは黙って聞いていた。


「あいつが何のためにそうしたのかくらい、俺には分かる」


「君とエルを守るためだね」


「ああ」


 王国に背く存在となった。


 そのままドゥットゥカースを名乗っていれば。


 疑いはモンドにも及ぶ。


 エルにも及ぶ。


 だから、アムルは切った。


 家族が嫌になったからではない。


 家族を守るために。


 自分から、その家族ではなくなった。


「なら、俺まであいつを息子ではないと思ってどうする」


「そうだね」


「エルは娘だ」


 モンドは机上の軍令を見る。


「アムルは息子だ」


 形式など。


 関係なかった。


「昔から、あの二人は互いがいれば、それでよかった」


「うん」


「兄妹だと言い聞かせていた頃ですら、そうだった」


 そして今。


 互いへの感情を認めたあとで。


 二人は離れた。


 敵になった。


 それでも。


 愛情だけは消えなかった。


「嫌いになったから殺し合っているのなら、まだましだった」


 モンドが呟いた。


 ヴァンは何も言わない。


「愛したまま殺し合っている」


「……そうだね」


「エルはアムルを斬るだろう」


「ああ」


「アムルも、必要ならエルを斬る」


 それも。


 否定はできなかった。


「だが」


 モンドは少しだけ言葉を探す。


「あいつらは、その先を考えているのか」


 ヴァンの返事は遅かった。


「私には、そうは見えない」


「俺にもだ」


 アムルはパドゥーラ侯として立っている。


 エルは、エルではない何かを装って、リービッヒの将として立っている。


 だが。


 エルを失った後も。


 何事もなかったようにパドゥーラ侯として生き続けるアムルを、モンドには想像できなかった。


 アムルを失った後も。


 そのまま軍人として生き続けるエルも。


「どちらが勝っても」


 モンドが呟く。


「二人とも戻ってこない」


 ヴァンは静かに目を伏せた。


「どうにかしてやりたい」


「うん」


「二人ともな」


「ああ」


「だが」


 モンドは苦く笑った。


「今の俺には、どうにもできん」


 それは。


 ラレド奪還軍総司令の言葉ではなかった。


 一人の父親の言葉だった。


 娘を救いたい。


 息子も救いたい。


 だが。


 自分はリービッヒの将である。


 王国を捨てることはできない。


 与えられた責任から逃げることもできない。


 そして今から。


 その息子が率いる軍を破るために。


 娘を連れて、戦場へ向かわなければならない。


「行こうか」


 ヴァンが言った。


「ああ」


「一万五千を見ないとね」


「そうだな」


 モンドは立ち上がった。


 二年間、遠ざかっていた戦場へ戻る。


 三十年以上前から隣を歩いてきたヴァンが、その横に立つ。


 二人で扉へ向かう。


 その途中。


 モンドが一度だけ足を止めた。


「ヴァン」


「何だい?」


「俺は、間違えたのかな」


「何を?」


「二人を軍人にしたことだ」


 ヴァンは少し考えた。


「分からないよ」


「そうか」


「でも」


 ヴァンは静かに続けた。


「私たちが何も教えなかったとしても、あの二人なら結局、自分たちで何かを背負ったんじゃないかな」


「……そういう子だったな」


「うん」


 モンドは小さく笑った。


「本当に、嫌なところばかり似たものだ」


「誰に?」


「言わせるな」


 ヴァンも笑った。


 二人は並んで歩き出した。


 再び。


 戦場へ。


 その先には。


 モンドが今でも息子だと思っている男がいる。


 そして。


 その男を愛したまま、剣を向けようとしている娘がいる。


 どうすれば。


 二人とも連れて帰れるのか。


 今はまだ。


 モンドにも分からなかった。

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