第13話 突撃
◇
南へ駆け続けたアムルたちの前に、やがてライプニッツが見えてきた。
だが、城壁付近から煙が上がっている。
「敵だ!」
前方の兵が叫んだ。
ライプニッツを攻撃しているのは、ギルフォード率いるコク侯軍の別動隊だった。
ロックはしばらく敵陣を眺めると、すぐに鼻を鳴らした。
「……陽動だな」
「分かるのか?」
「ああ。本気で落とすつもりなら、こんな攻め方はしねえ。俺たちを足止めしたいだけだ」
ロックは城壁を指した。
「千あれば十分守れる。俺が残る」
「でも相手はギルフォード将軍だぞ」
「だから何だよ。落とす気のない奴から城を守るだけだ」
ロックはそれ以上話すつもりもなさそうに手を振った。
「俺のことは気にするな。北の砦へ行け」
アムルは一瞬だけ黙ったあと、頷いた。
「……頼む」
「おう」
それだけだった。
ロックは千の兵を率いてライプニッツへ向かい、アムルとエヴァンスは残る本軍を連れて、そのまま南へ走った。
◇
パドゥーラ回廊へ入ったアムルは、すぐに異変に気づいた。
「……少ない」
「ああ」
エヴァンスも同じことを感じていた。
本来なら、ここは最優先で守らなければならない場所である。
セレスの山とチル湖に挟まれた細い道。
パドゥーラへ至る最大の要衝。
その回廊に配置されている兵が、明らかに少なかった。
「北の砦へ持っていったな」
「砦を落とすためか」
「たぶん」
アムルは前を見た。
頭の中は、まだ整理できていない。
エルがいる。
なぜいるのか。
何を考えているのか。
何のためにパドゥーラへ来たのか。
考えても分からなかった。
だが、今やらなければならないことだけは明確だった。
北の砦へ行く。
ティーエたちを救う。
「抜く。一気に行くぞ」
「おう。それなら得意だ」
エヴァンスが剣を抜いた。
アムルも剣を上げる。
「全軍、止まるな! 一気に回廊を抜ける!」
パドゥーラ軍が突撃を開始した。
最初の守備線を押し崩し、そのまま前進する。
次の狭窄部では敵兵が道を塞いで抵抗したが、アムルは地形を見るなり左手を指した。
「崖沿いに古い道がある! そこから回れ!」
「任せろ!」
エヴァンスが兵を率いて古道へ飛び込み、敵の側面へ回り込む。
正面と側面から攻められた守備兵は、たまらず崩れた。
逃げる敵は追わない。
必要なのは敵を討ち取ることではない。
少しでも早く、北の砦へ着くことだった。
この回廊なら、アムルはよく知っている。
どこが狭いのか。
どこから迂回できるのか。
古い道がどこに残っているのかも、何度も歩いて確かめていた。
次の防御線も突破する。
パドゥーラ軍は止まらず、そのまま北の砦を目指した。
◇
北の砦は、すでに陥落寸前だった。
「門が持ちません!」
「補強しろ!」
「木材がありません!」
「何でもいい! 詰めろ!」
ティーエが城壁の上を走り回っていた。
アンスバッハ軍は何度撃退されても攻撃をやめない。損害を出しても隊列を組み直し、再び城壁へ押し寄せてくる。
コンラートが敵陣を眺め、低く唸った。
「また来るぞ」
「まだ来るんですか……」
「今度で決める気じゃろうな」
敵軍が隊列を整え始める。
次は総攻撃になる。
ティーエは荒い息を整えながら、コンラートを見た。
「持ちますか?」
「知らん」
「もうちょっと安心させてくださいよ!」
「安心したら気が抜けるじゃろ」
「そんな理屈あります!?」
コンラートが笑った。
その時。
敵陣の後方が急に騒がしくなった。
「……なんじゃ?」
コンラートが回廊の方角を見る。
大きな砂煙が上がっていた。
やがてその中から軍勢が姿を現し、風に翻る旗が見える。
碧い疾風。
ティーエが目を見開いた。
「……アムル」
軍勢は止まらない。
回廊を抜けた勢いのまま突き進み、北の砦を包囲しているアンスバッハ軍の背後へ向かってくる。
「アムルだ!」
ティーエの声が城壁に響いた。
◇
アムルの目にも、北の砦の惨状はすぐに分かった。
城壁はあちこちが崩れ、敵兵がすでに取りついている。門も激しい攻撃を受け、いつ破られてもおかしくない。
「間に合ったな」
エヴァンスが言った。
アムルは答えなかった。
剣を抜き、そのまま敵軍を見据える。
「このまま行く」
「兵を休ませなくていいのか?」
「そんな時間ない」
「だな」
エヴァンスも剣を抜いた。
アムルは敵陣を見渡す。
アンスバッハ軍の大半は砦へ意識を向けており、回廊から現れたパドゥーラ軍への対応は明らかに遅れている。
「敵はまだこっちを見てない。一気に崩すぞ」
「おう」
アムルが剣を振り上げた。
「突撃!」
パドゥーラ軍本隊が駆け出した。
北の砦を囲むリービッヒ軍。
その無防備な背後へ。
回廊を突破した勢いを殺すことなく、間髪を入れず突撃を敢行する。
「敵襲!」
「後方!」
「碧い疾風だ! パドゥーラ軍だ!」
悲鳴に近い声が上がった。
北の砦へ向いていた兵たちが振り返る。
だが、遅い。
「そこ!」
アムルが剣を振った。
「割れ!」
先頭の兵が敵陣へ食い込む。
隊列を作り直す暇など与えない。
その後ろから、さらに兵が殺到する。
「エヴァンス!」
「おう!」
エヴァンスが兵を率いて飛び込んだ。
先頭で一人を斬り伏せ、そのまま止まらず奥へ食い込んでいく。
「続けぇ!」
開いた穴へ、パドゥーラ兵が流れ込んだ。
「押さえろ!」
「後方を固めろ!」
「北の砦はどうする!」
リービッヒ軍の命令が錯綜する。
背後から突然現れたパドゥーラ軍本隊。
北の砦を落とすことだけを考え、兵力の大半を城壁へ貼りつけていた軍には、もはや対応する余裕がなかった。
◇
「……来たか」
城壁の上で、コンラートが笑った。
「アムルだ!」
ティーエが叫ぶ。
碧い疾風が、敵陣の中へ深く食い込んでいく。
「やった!」
「まだじゃ」
「え?」
「敵はまだ崩れとらん」
コンラートは敵陣を眺めた。
後方を突かれたとはいえ、兵数そのものはまだ多い。混乱から立ち直る時間を与えれば、陣形を組み直される可能性はある。
「おい。あれを持ってこい」
「あれ?」
命じられた兵士たちが走る。
やがて数人が運んできたものを見て、ティーエの顔が引きつった。
「……ちょっと待ってください」
「なんじゃ」
「それ、工事用の火薬ですよね?」
「そうじゃ」
「何する気です?」
「飛ばす」
「どこに!?」
コンラートが敵陣を指差した。
「本陣の近く」
「近く!?」
「直撃させる必要はない。驚けば十分じゃ」
「いや、そういう問題じゃ――」
「投石機に載せろ」
「コンラートさん!」
回廊や城壁の工事で岩盤を砕くために保管されていた火薬が、投石機へ運び込まれる。
「本当にやるんですか!?」
「もう載せとる」
「そうじゃなくて!」
コンラートが手を上げた。
「放て!」
「待って――!」
投石機の腕木が跳ね上がった。
火薬を積んだ包みが空を舞う。
敵本陣の近くへ落ちた。
一瞬遅れて。
轟音が谷間へ響いた。
土煙が一気に舞い上がり、繋がれていた馬が暴れ始める。
「何だ!?」
「本陣だ!」
「爆発したぞ!」
ただでさえ背後から攻撃を受けていたリービッヒ軍へ、さらに混乱が広がった。
コンラートが満足そうに頷く。
「よし」
「よしじゃないですよ! あれでいくらすると思ってるんですか!?」
「そんなもん、勝てばどうにでもなる」
コンラートは城門を指した。
「それより門を開けろ」
ティーエが止まった。
「……打って出るんですか?」
「今出なくて、いつ出る」
ティーエは敵陣を見る。
背後にはアムル。
正面には自分たち。
そしてリービッヒ軍は、明らかに崩れ始めている。
「……はい!」
ティーエが振り返った。
「門を開けて!」
「はっ!」
「動ける人は全員!」
守備兵たちが集まる。
誰もが疲れ切っていた。
傷を負った者も多い。
それでも。
今度は自分たちが攻める番だった。
「行くよ!」
北の砦の門が開く。
守備兵が一斉に飛び出した。
「砦から出てきたぞ!」
「前も敵だ!」
「後方を押さえろ!」
前。
後ろ。
リービッヒ軍は完全に挟まれた。
「止まるな!」
アムルが叫ぶ。
「ここで崩せ!」
「おう!」
エヴァンスがさらに押し込む。
一隊が下がった。
その隣も下がる。
さらにその隣。
そして、誰かが背を向けた。
それを見た兵が続いた。
「待て!」
怒声が響いた。
アンスバッハだった。
「逃げるな!」
馬上から剣を振り上げる。
「隊列を整えろ! まだ戦える!」
だが、もう命令は届かない。
「総司令官閣下!」
側近が馬を寄せた。
「お下がりください!」
「馬鹿を言うな!」
「前後から挟まれております! ここは一度――」
「北の砦は目の前だ!」
アンスバッハが怒鳴った。
「あと一歩だったのだ!」
あと一度。
あと一度攻めれば落ちる。
そう考えた。
だから回廊の兵を引き抜いた。
エルが回廊の確保を優先するよう、あれほど念を押していたにもかかわらず。
北の砦へ兵力を集中した。
その結果。
回廊から敵本隊が現れた。
「こんな……」
アンスバッハが北の砦を見る。
城壁には碧い疾風。
開かれた門からは、パドゥーラ兵が次々と出てくる。
「こんなはずが……!」
「閣下!」
側近の声。
次の瞬間、その胸を槍が貫いた。
「――!」
馬から落ちる。
「貴様ら!」
アンスバッハが剣を振るう。
一人を斬る。
もう一人。
だが、次が来る。
「わしはアンスバッハだ!」
叫んだ。
「リービッヒ王国軍総司令官、アンスバッハだ!」
誰も止まらない。
槍が肩を貫いた。
「ぐっ……!」
それでも剣を離さない。
さらに別の槍が迫り、馬が大きく暴れた。
アンスバッハの身体が地面へ叩きつけられる。
「こんな……ところで……」
顔を上げる。
北の砦が見えた。
落とせなかった。
「……落とせん、だと」
槍が振り下ろされた。
それが最後だった。
リービッヒ王国軍総司令官アンスバッハは、北の砦を目前にして戦死した。
「総司令官閣下、戦死!」
その報告が走った瞬間、残っていた統制も消えた。
「逃げろ!」
「南へ!」
「囲まれるぞ!」
もはや撤退ではなかった。
雪崩だった。
兵士たちは我先にと南へ逃げ始める。
北の砦を陥落寸前まで追い詰めていた軍勢は、前後から挟まれ、総司令官まで失ったことで完全に潰走した。
ティーエは、その光景を呆然と見つめていた。
「……やった」
ようやく言葉が漏れた。
「やった……間に合った」
「遅いくらいだったがな」
隣でコンラートが言った。
「もう!」
ティーエが振り向く。
「今くらい素直に喜びましょうよ!」
「十分喜んどる」
「全然見えません!」
「そうか?」
コンラートは笑った。
崩れた城壁。
血に濡れた石。
倒れた兵士たち。
それでも北の砦には、まだ碧い疾風が翻っている。
コンラートはしばらくそれを眺めてから、ティーエへ目を向けた。
「まあ、坊主」
「なんです?」
「お前はよくやった」
ティーエが目を丸くした。
「……」
「なんじゃ」
「いや……」
少しだけ俯く。
「……はい」
北の砦は守られた。
そして南へ続く街道では、総司令官を失ったリービッヒ軍が、パドゥーラへ向けて敗走を続けていた。




