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アーネム戦記  作者: Tanu1016
第五章 278年の嵐 前編

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第4話 同盟総会(前)

ユマ=リズナー

挿絵(By みてみん)



 278年4月。


 同盟総会の会場に向かう馬車の中、ジャン=ワイズマンは手元の紙へもう一度目を落とした。


 馬車に乗っているのは五人。ジャンのほか、ユマとユナのリズナー姉妹、カール=マルテル、そしてロスバルトのトウヤである。


 今回の常任委員会に参加する都市の名が、紙の上に並んでいる。


「……よく、イーストポートを味方につけられたな」


 向かいに座っていたユマ=リズナーが、何でもないことのように答えた。


「イーストポートは筋金入りの反セントハイムだからね。セントハイムに嫌がらせができるなら、予備提案くらいは賛成してくれたよ」


「そんな理由か」


「まあ、そんな理由だけじゃないけど、どんな理由でも一票は一票でしょ?」


「まあな」


 イーストポートはゼルキアの東に位置する港湾都市である。


 内陸部にあるゼルキアにとって事実上の外港として機能しており、両都市の経済的な結びつきは深い。ただし、あくまで独立した上級都市であって、ゼルキアに従属しているわけではない。


 むしろ商業都市としての自負は強く、交易の世界で競合するセントハイムへの対抗意識は昔から激しかった。


 その土地柄を、ユマは利用したのである。


 ジャンは紙を畳んだ。


 新都市同盟構想。


 以前、ユマが同盟総会へ持ち込もうとした構想である。


 そのときは軍事委員会へ予備提案を出した。


 結果は、ゼルキアとセントハイムによる拒否権。


 まともな審議に入ることすらなく終わった。


 社会委員会から出していたところで結果は同じだっただろう。


 軍事と社会。


 この二つの常任委員会では、ゼルキアとセントハイムが拒否権を持っている。


 だが今回は違う。


 セイレンは軍事委員会の常任委員都市であると同時に、持ち回りの枠で今回は経済委員会に所属していた。


 経済委員会に拒否権はない。


 そして委員会の所属は以前から決められている。


 ユマが新都市同盟構想を再び持ち出すことなど、ゼルキアもセントハイムも分かっていた。


 分かっていても、今さらローテーションを変えることはできなかった。


「あんたもよくやってくれた」


 ユマが言った。


「山岳の小都市が今回は賛同に回ってくれるのも、ロンド商会のおかげさ」


「商売をしていただけだ」


「それでいいんだよ」


 ユマは笑った。


「商売で飯が食えるようになった。物が入ってくるようになった。今まで売れなかったものが売れるようになった。だったら、その商売を続けさせてくれる奴に一票入れる。政治なんてそんなもんさ」


「ずいぶん身も蓋もないな」


「綺麗事だけで票が入るなら苦労しないさ」


 それを言われると、ジャンにも反論できなかった。


 二年半。


 長かった。


 鉱山へ行った。


 山を越えた。


 小さな都市にも足を運んだ。


 パドゥーラの麦と鉄を売り、各地の産物を買い付け、それを別の都市へ持っていった。


 必要なら金も貸した。


 儲からない仕事も引き受けた。


 借金は増えた。


 商会は大きくなった。


 その積み重ねが、今ようやく票になろうとしている。


「まあ、ここからは私の仕事だ」


「ああ」


「見てることね」


 ユマがそう言ったところで、馬車の速度がゆっくりと落ちた。


 窓の外には、同盟総会の会場が見えている。


「着きましたね」


 それまで静かに話を聞いていたカールが言った。


「ああ」


 ユマは一度だけ小さく息を吐いた。


「じゃあ、行こうか」


 馬車が止まり、まずトウヤが外へ出る。続いてユマ、ユナ、カールが降り、最後にジャンも地面へ足をつけた。


 五人はそのまま、同盟総会の会場へ足を踏み入れた。


 ◇


「おお!」


 会場へ入った途端、声が上がった。


「ユマじゃないか!」


「久しぶりじゃのう!」


「おお、本当にクリスに似てきた!」


「昔より似てきたんじゃないか?」


「ちょ、ちょっと――」


 あっという間だった。


 ユマが老人たちに取り囲まれる。


 長年、同盟総会に出席してきた各都市の古参代表者たちだった。


「ご無沙汰しております」


「堅苦しい挨拶なんぞいらん」


「しかし大きくなったのう」


「私、もう三十過ぎなんだけど」


「わしらから見れば同じじゃ」


「クリスも昔はそんな目をしておった」


「私はおばあ様じゃないよ」


「怒り方まで似ておるわ」


「どこが!」


 老人たちが笑った。


 そして当然、もう一人の少女にも目が向く。


「おお、こっちがユナか?」


「え?」


 今度はユナが捕まった。


「はい。ユナ=リズナーです」


「ほうほう」


「姉とはぜんぜん違うのう」


「愛想がいい」


「ちょっと。それどういう意味?」


「そのままの意味じゃ」


「お爺ちゃんたち!」


 ユマの抗議など誰も聞いていない。


 一人の老人がユナへ尋ねた。


「ユナちゃんはいくつになった?」


「二十一です」


「二十一か!」


 老人の顔がぱっと明るくなった。


「なら、うちの孫の嫁に来んか?」


「えっ?」


「待て待て。お前のところより、うちの孫のほうがいい」


「お前の孫は遊び人じゃろうが」


「若いうちは多少遊ぶくらいでちょうどいい!」


「いやいや、男は真面目なのが一番じゃ」


「顔ならうちの孫じゃぞ」


「男は顔ではない!」


「あ、あの……」


 完全に置いていかれたユナが、おずおずと手を上げた。


「私、その……心に決めた人が……」


「おお」


 老人たちは意外なほどあっさりと引き下がった。


「そうか。それは残念じゃのう」


「なら仕方ない」


「大事にしてもらうんじゃぞ」


「はい……」


「ただし、男はちゃんと選ばんといかん」


「え?」


「金に汚い男だけは駄目じゃ」


「…………」


「そうじゃな。金、金と、そればかりの男にろくな奴はおらん」


「おまけに借金なんぞしておったら目も当てられん」


「…………」


「あと目つきじゃ」


「目つき?」


「ある程度の歳になれば、目には人柄が出る」


 別の老人が大真面目に頷いた。


「目つきの悪い男もやめておけ」


「…………」


 ユナは少し黙った。


 それから、遠くにいるジャンをちらりと見た。


「……はい」


 何事もなかったように老人たちへ向き直った。


 ◇


「……凄まじい人気だな」


 少し離れたところからその光景を眺めながら、ジャンが呟いた。


 隣に立つ赤髪の男が静かに頷く。


 トウヤだった。


「ええ。クリス様のお人柄が偲ばれます」


「そういえば、あんたの祖父はクリス様と一緒に亡命してきた人だったか?」


「ええ」


 トウヤは誇らしげに頷いた。


「クリス様とともに亡命し、最後までお側に残った従士の一人です。我が家の誇りです」


「ふーん」


 ジャンは改めてトウヤを見た。


 鮮やかな赤髪。


 鍛え上げられた身体。


 立っているだけで兵士だと分かる。


 実直で、勇敢。


 現在のロスバルトを、そのまま人の形にしたような男だった。


 何度か行動をともにしているが、信頼できる男でもある。


「ただ……」


 トウヤが少しだけ顔を曇らせた。


「祖母があれで」


「あれ?」


「クリス様には、ずいぶんな暴言を吐いたようで……」


「……お前の祖父、クリス様の従者なんだよな?」


「はい」


「祖母は?」


「シン様の軍師でした」


「…………」


 なんとなく話が見えてきた。


「祖父と祖母は、当初は大変仲が悪かったそうです」


「夫婦だよな?」


「はい」


「なんで結婚したんだ?」


「色々あったそうです」


「色々で済むのか、それ」


「私にも詳しくは」


 トウヤは困ったように答えた。


「それに、この髪も祖母譲りなのですが」


 自分の赤髪を指差す。


「私が生まれたとき、髪色を見た祖父が私の将来を本気で心配したそうです」


「……髪だけで?」


「はい」


 ジャンはもう一度トウヤを見た。


 どう見ても真面目な男である。


「お前の婆さん、何者なんだ」


「さあ……」


 トウヤも遠い目をした。


 ◇


「――何を騒いでいる」


 低い声がした。


 老人たちの声が少しだけ静まる。


 一人の老公が歩いてきた。


 エドワード=カーライル。


 カーライル公国を治める、現カーライル公である。


 ユマがすぐに姿勢を正した。


「おじい様。ご無沙汰しております」


 ユナも頭を下げる。


「ご無沙汰しております」


「うむ」


 エドワードは二人の孫娘を順番に眺めた。


 彼はユマ、ユナ、リックの三人の母の父。


 三姉弟にとって母方の祖父にあたる人物である。


「相変わらず無茶をしているようだな、ユマ」


「ご心配をおかけします」


「まったくだ」


 呆れたように言ってから、エドワードはしばらく孫娘の顔を見た。


 小さいころからクリスの薫陶を受け、利発な子だった。


 だが、ここまでのことをするとは思いもよらなかった。


 今となってはセントハイムとゼルキアを相手に、堂々と渡り合っている。


「……立派になりおって」


「おじい様……」


 ユマが少しだけ照れたように笑った。


 エドワードは次にユナを見る。


「ユナも元気そうだな」


「はい」


「姉に振り回されておらんか?」


「えっと……」


「なんでそこで考えるのさ」


「痛っ」


 ユマが妹を小突いた。


 周囲から笑いが起こった。


 エドワードも小さく笑う。


 そして、ふと遠くへ視線を向けた。


「あれか? ロンド商会の会長とかいう奴は」


「ええ」


 ユマもそちらを見る。


「有能な男です」


「そうか。カーライルの市民もいろいろと便宜を図ってもらっている」


 エドワードはジャンをちらりと見ただけで、それ以上は何も言わなかった。


 カァン――。


 高い鐘の音が会場に響いた。


 空気が変わった。


「さぁて、行くかの」


 先ほどまでユマとユナを囲んでいた老人たちが、一斉にそれぞれの議場へ向かい始める。


 各都市を代表する政治家の顔へ戻っていた。


 常任委員会が始まる。


「じゃあ、私はカールと経済委員会」


 ユマが言った。


「ユナはトウヤと軍事委員会ね」


「うん」


「本当はユナのほうには弁の立つあんたをつけたかったんだけどね」


 ユマがジャンを見る。


「あんた、市民権ないから。さすがにジョン=クルーニーなんて偽名を使って入れるわけにはいかないでしょ」


「分かってる」


「じゃ、後で」


「ああ」


 ユマはカールとともに経済委員会へ向かった。


 トウヤも軍事委員会へ向かおうとする。


 だが、ユナだけが少し遅れてジャンのところへやってきた。


「ジャン」


「なんだ?」


「気合いを入れてほしいから、頭を撫でて」


「はぁ?」


 ジャンは眉をひそめた。


「気合いなら、平手打ちのほうが――」


「馬鹿なの? 会場で平手打ち?」


「じゃあ、なんで頭を撫でるんだよ」


「いいでしょ」


 ユナは少し頬を赤くした。


「抱き締めてって言わないだけ良心的でしょ? ね、お願い」


「……お前の良心はどうなってるんだ」


「早く」


「はいはい」


 ジャンはため息をつきながら、ユナの頭に手を置いた。


 ぽん、ぽん。


「これでいいか?」


「もうちょっと」


「調子に乗るな」


「けち」


 それでもユナは笑った。


 大きく息を吸う。


「よし!」


 先ほどまでの緊張が少しだけ抜けていた。


「行ってくる」


「ああ。行ってこい」


「うん」


 ユナはトウヤのもとへ駆けていった。


 ◇


 経済委員会の議場には、十二都市の代表者が集まっていた。


 ユマはセイレンの席につく。


 隣にはカール=マルテル。


 正面にはゼルキア。


 そしてセントハイム。


 二都市の代表者とも、明らかに機嫌が悪かった。


 当然だった。


 今日、ユマが何を出してくるのか。


 分かっていたのだから。


 ◇


 会議も中盤に差し掛かり、いくつかの議事が処理された後、議長が尋ねた。


「ほかに予備提案はありますか」


 ユマが手を上げた。


「セイレン代表」


「はい」


 立ち上がる。


「セイレンより、同盟憲章改定案を提出します」


 議場の空気が変わった。


 驚く者はいない。


 カールが書面を提出する。


 議長が確認した。


「新都市同盟構想」


「はい」


 すぐにセントハイム代表が発言を求めた。


「議長」


「どうぞ」


「このような重大な憲章改定案を、このまま本会議へ提出することには賛同できません」


 ゼルキア代表も続く。


「我々も同意見です。セイレン代表。この構想は以前にも問題を指摘されたはずです」


「ええ。覚えていますよ」


 ユマは平然と答えた。


「であれば、なおさらでしょう。このまま本会議へ提出すべきではない」


「それを決めるのは、あなた方ではないでしょう?」


 ゼルキア代表の眉が動いた。


「ここは経済委員会です」


 ユマは議場を見渡した。


「予備提案を本会議へ提出するかどうかは、参加都市の採決で決める。それが同盟の決まりです」


「手続きの話をしているのではありません」


「私は手続きの話をしています」


 ユマは言い切った。


「同盟は決まりによって運営される。それを二大都市の都合で変え始めたら、それこそ同盟ではないでしょう?」


 議場が静かになった。


「では、セイレン代表は現在の同盟に問題があると?」


「あります」


 即答だった。


「この同盟は、自由な都市が互いを尊重するために作られました」


 ユマは続ける。


「都市の大小にかかわらず、同盟に参加する都市には発言する権利がある。その理念があったからこそ、都市基礎票という制度まで作られた」


 誰も否定しなかった。


「でも、今はどうです?」


 小都市の代表者たちを見る。


「人口は大都市へ集まり、富も大都市へ集まる。都市間の経済格差は広がり続けています」


「それは各都市の努力の差でもある」


 セントハイム代表が言った。


「もちろん」


 ユマはあっさり認めた。


「努力した都市が豊かになる。それを否定するつもりはありません」


 少し間を置く。


「でも、その格差が広がり続ければ、いずれ同盟の理念そのものが失われる」


 ユマは書面へ手を置いた。


「まだ戻せます」


 静かに言った。


「今なら間に合う」


 議場を見渡す。


「私はゼルキアやセントハイムを敵にしたいわけじゃない」


「むしろ、この同盟を作った都市だからこそ思い出してほしい」


「私たちの同盟が、何のために作られたのかを」


 しばらく沈黙が続いた。


 その後、各都市から意見が出た。


 賛成。


 反対。


 構想そのものには疑問があるが、本会議で議論する価値はあるという意見。


 議論は続いた。


 やがて、意見が出尽くした。


「では採決を行います」


 議長が告げる。


「セイレンより提出された同盟憲章改定案を、同盟総会本会議へ提出することに賛成の都市は――」


 手が上がる。


 セイレン。


 イーストポート。


 サドリー。


 今回、持ち回りで経済委員会に入っているカーライル。


 そして山岳、鉱山の小都市。


 議長が数えた。


「賛成七」


 反対側を見る。


「反対五」


 ゼルキア代表が目を閉じた。


 セントハイム代表は露骨に顔をしかめていた。


「よって、本予備提案は可決されました」


 木槌が鳴る。


「本案を同盟総会本会議へ提出します」


 七対五。


 前回は拒否権の一言で終わった。


 だが今回は違った。


 新都市同盟構想は、初めて本会議へ上がった。

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