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アーネム戦記  作者: Tanu1016
第三章 戦の合間

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第8話 二人の密航者

 ◇


 数日後。


 ジャンはセイレンを発った。


 まず陸路で向かうのは、セイレン領を流れるプラタ川河畔の川港レプターだった。


 プラタ川はセイレンにはいった付近でレプターの滝という地形的な障壁があり、滝の上流のレプターがプラタ川上流への玄関口になっていた。


 そこから船へ乗り換え、川を遡ってパドゥーラへ向かう。


 今回、ジャンは一人だった。


 普段ならば護衛としてハンス=ベッカーがつくことが多い。


 ジャンには、武人としての才能がほとんどない。


 というより、剣以前に体力からして怪しい。


 六年前には少し歩いただけでへばり、地面に転がってよだれまで垂らしていた男である。


 そんなジャンが各地を歩き回るようになってからは、昔から馴染みのあるハンスが護衛につくことが多かった。


 だが、今回は同行させなかった。


 必要がないと判断したからである。


 セイレン市内の治安はリズナー家の統治の賜として安定していた。


 街道を行く商人が山賊や盗賊に襲われたという話も、近頃ではほとんど聞かない。


 そして商人たちの話を聞く限り、それは最近のパドゥーラも同じだった。


 パドゥーラへ向かう街道も、プラタ川を行き来する船も安全だという。


 アムル=ドゥットゥカースの統治が始まって以降、山賊や盗賊の類はほぼ消滅したらしい。


 国交はなくとも、商人はすでに行き来している。


 護衛を一人つけるためだけにハンスを連れ出す必要はない。


 そう考えての一人旅だった。


 数日をかけて川港へ到着すると、ジャンはパドゥーラ方面へ向かう船を探した。


 心配していたほど難しくはなかった。


 港には大小いくつもの船が停泊している。


 上流から運ばれてきた荷を下ろす船。


 反対に、パドゥーラ方面へ商品を運ぶ船。


 商人たちの姿も多い。


「なるほどな……」


 ジャンは港を見回した。


 国交がないという言葉から想像していたほど、人の往来が途絶えているわけではない。むしろかなり人の往来がある。


 政治と商売は別ということらしい。


 パドゥーラへ向かう船を決め、荷物を積み込ませる。


 出航までは、まだ少し時間があった。


 ジャンが船着場で積み荷を眺めていると――。


「姉さん、だからもう無理だって」


「しーっ! 声が大きい!」


 聞き覚えのある声がした。


 ジャンの眉が動いた。


 ゆっくり振り返る。


 少し離れた荷物の陰から、二つの頭が覗いていた。


「……お前たち」


 二人の肩が同時に跳ねた。


 ユナ=リズナーが、ぎこちなく振り返る。


「あ」


 その隣でリックが目を閉じた。


「だから言ったのに……」


「何をやってるんだ、お前たちは!」


「ばれちゃった」


「ばれちゃった、じゃない!」


 ジャンは頭を抱えた。


「なんでここにいる!」


「ジャンがパドゥーラに行くって聞いたから」


「だからなんでついてくる!」


「行ってみたかったの」


「俺は仕事で行くんだぞ!」


「分かってるよ」


「分かってる奴は黙ってついてこない!」


 ジャンは今度はリックを見る。


「リック!」


「ぼくは止めたよ」


「嘘!」


「姉さんが絶対行くって言うから!」


「最後にはリックも行きたいって言ったじゃん!」


「それは川港まで来てからだよ!」


「同じでしょ!」


「同じじゃないよ!」


「二人とも黙れ!」


 二人が同時に口を閉じた。


 ジャンは大きく息を吐いた。


「ユマの許可は?」


 ユナが目を逸らした。


「……取った記憶がないなぁ」


「帰れ!」


「やだ」


「やだじゃない!」


「でも、ここから二人だけで帰るの?」


「それは……」


 ジャンが言葉に詰まった。


 ここまで数日。


 二人だけで帰すこと自体、不可能ではない。


 セイレン領内の治安はいい。


 だが、わざわざそんなことをさせるくらいなら――。


「それに」


 ユナが続けた。


「ジャン、護衛いないじゃん」


「必要ないからハンスを連れてきてないんだ」


「でも、何かあったら?」


「何もないと判断したから一人で来たんだ」


「だったら私たちが一緒でも問題ないよね?」


「話が飛んでるぞ」


「飛んでないよ」


 ユナは胸を張った。


「私もリックも戦えるし」


「姉さまの言う通りだよ」


「リック、お前まで乗るな」


「むしろさ」


 ユナがにっこり笑った。


「護衛が必要なの、ジャンじゃない?」


「……」


「私とリックがジャンを守ってあげる」


「誰が誰を護衛するって?」


「私たちが、ジャンを」


「二回言うな」


「だってジャン、弱いもん。すぐにへばるし、よだれは垂らすし」


「うるさい、過去の話を持ってくるな」


「私よりずっと弱いよね」


「知ってる!」


 横からリックが真面目な顔で口を挟んだ。


「ぼくよりもかなり弱いと思う」


「お前は冷静に分析するな!」


「じゃあ決まりね」


「何も決まってない!」


 ジャンは頭を抱えた。


 だが、安全面だけを理由に二人を追い返すことは難しかった。


 そもそも危険だと思っていれば、自分だってハンスを連れてきている。


 ここまでの街道で治安に不安を感じることはなかった。


 港には商人だけでなく、普通の旅人の姿まである。


 パドゥーラ方面についても、商人から盗賊や山賊を警戒するような話は聞いていない。


 そして、何より。


 腹立たしいことに、ユナとリックの言っていることは事実だった。


 三人の中で、何かあったときに一番役に立たないのはジャンである。


「……絶対に勝手なことをするな」


 ジャンが低い声で言った。


 ユナの顔がぱっと明るくなる。


「じゃあ!」


「まだ何も言ってない!」


「連れていってくれるんでしょ?」


「仕方なくだ!」


「やった!」


「俺は仕事で行くんだからな。向こうでは俺の指示に従え」


「うん!」


「リック」


「分かった」


「それから、ユナが馬鹿なことをしそうになったら止めろ」


「分かった」


「なんでリックが私の監視役なの?」


「お前が一番信用できないからだ!」


 こうして。


 一人で向かうはずだったジャンのパドゥーラ行きは、なぜか三人旅になった。


     ◇


 船はゆっくりと川港を離れた。


 風を受けた帆が膨らみ、船はプラタ川を遡っていく。


 岸辺には畑が広がり、その向こうには低い山々が連なっている。


 ユナとリックにとっても、ここから先は初めて見る土地だった。


 しばらくして、ジャンが船縁から川岸を眺めていると、ユナが隣へやってきた。


「ねえ、ジャン」


「なんだ」


「カールさんとやりあったんだってね」


 ジャンがちらりと横を見る。


「誰から聞いた」


「お姉さま」


「あいつ……」


「パドゥーラから麦を買うかどうかで、結構言い合ったんでしょ?」


「言い合ったというほどじゃない。意見が違っただけだ」


「ふーん」


 ユナは船縁に両腕を乗せた。


「ジャン、カールさんとあんまり仲良くないよね」


「ニコス大学の奴は気に食わない。俺はニューアーク――」


「はいはい。ニューアーク大学主席」


「最後まで言わせろ」


「何回も聞いたと思ってるの?」


「ニコスよりニューアークの方が上だ」


「それも何回も聞いた」


「事実だからな」


「はいはい」


 ユナがくすくす笑った。


 ジャンは不満そうに鼻を鳴らし、再び川へ目を向ける。


 ユナはその横顔をしばらく眺めていた。


 ジャンがカールを気に入らない理由くらい、とっくに分かっている。


 大学がどうこうという話だけではない。


 ジャンが誰を見ているのかも知っている。


 六年も一緒にいれば、それくらい分かる。


 だからこそ、それを本人に指摘してやるつもりはなかった。


 お姉さまとジャンは年齢も近い。


 でも、お姉さまにはカールがいる。


 それでいい。


「……ジャン」


「今度はなんだ?」


「なんでもない」


「なんなんだ、お前は」


 ユナは笑った。


 自分がどれだけ近づいても、ジャンは昔から変わらない。


 十二歳の頃と同じように、教え子か妹を見るような目を向けてくる。


 もう十九歳なのに。


 そこだけは、少しくらい変わってくれてもいいと思う。


「ジャン」


「だからなんだ」


「パドゥーラ、どんなところかな」


「知らん。俺も初めてだ」


「商人の話だと、すごく景気がいいんでしょ?」


「らしいな」


「若い侯爵様なんだよね」


「おまえたちと同じくらいだったはずだ」


「へえ」


 少し離れたところで景色を眺めていたリックも振り返った。


「ぼくもパドゥーラの話、もっと聞きたい」


「だから俺も噂しか知らないって」


 三人とも、パドゥーラを訪れるのは初めてだった。


 セイレンとパドゥーラには国交がない。


 彼らが知っているのは、商人たちが持ち帰ってきた噂だけである。


 荒廃していた土地が、急速に豊かになっている。


 新しい農地が次々と拓かれている。


 商人が集まり、船が増え、食料が余るほど作られている。


 そして、その中心にはアムル=ドゥットゥカースという若い領主がいる。


 どこまでが本当なのか。


 ジャン自身、まだ半信半疑だった。

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