第1話① ジャン
アーネム戦記 都市同盟編
アーネム大陸ゼルキア地方図
第一話 ジャン
都市同盟――正式名称、ゼルキア・セントハイム自由同盟。
アーネム大陸では古代アーネム帝国崩壊後、北東部沿岸には大小数十の都市国家が興亡を繰り返していた。商業によって栄えた彼らは自由を尊び、互いに競い合いながら独自の文化を築いていたが、大陸中央部に興ったリービッヒ王国の急速な勢力拡大により、その多くはリービッヒ暦八十九年までに王国へ併合された。
しかし、商業国家である東部の都市国家群と、農業を基盤とするリービッヒ王国では政治制度も文化も大きく異なっていた。
リービッヒ暦百八十三年。
北部最大の商業都市ゼルキアで民衆による大規模な反乱が発生する。
翌年には東部諸侯の1つカーライル公国でも反乱がおこり、リービッヒ王国は各地で続く反乱を抑えきれなくなった。
最終的にリービッヒ王国は自治権を認めることで事態の収拾を図るが、その流れは止まらない。
各都市は次々と自治を求め、リービッヒ暦二〇一年、ゼルキアとセントハイムを中心としてゼルキア・セントハイム自由同盟(通称、都市同盟)が成立した。
それから六十六年。
都市同盟は東部最大の国家群へと成長した。
同盟には身分制度はなく、貴族が存在しない都市もある。国政は人口比例で選出された二百五十一名の評議員によって運営され、最大都市ゼルキアは四十二議席、セントハイムは三十八議席を持つ。
さらに軍事・政治上重要な都市については同盟直轄都市として評議会が直接統治していた。
直轄都市には評議会が選出した司令官または市長が赴任し、その補佐として各分野の官僚が派遣される。
東方防衛の要であるレンヌ要塞都市も、その一つだった。
自由と平等を掲げるこの国家も、近年では大きな問題を抱えていた。
西方で強大化してレミーラ帝国から侵攻を受け、西部のコスタ平原を失うなど戦況は悪化している。
しかし、長く続いた平和は人々から危機感を奪っていた。
戦争は辺境の前線だけの出来事。
多くの市民は、そう考えていた。
◇
「レンヌが落ちる? そんなわけないだろ。」
ニューアーク大学の中庭。
昼食を囲む学生たちは、戦争よりも試験や恋愛の話で盛り上がっていた。
「一度も落ちたことがない要塞だぞ。」
「半年もすれば、いつも通りレミーラは勝手に引き揚げるさ。」
「そんなことより医師試験だ。今年も落ちたら親父に勘当される。」
笑い声が響く。
戦争は遠い。
少なくとも、この大学の学生たちにとっては。
「ジャン、お前は余裕なんだろ?」
声を掛けられた青年は、本から視線を上げた。
ジャン=ワイズマン。
ニューアーク大学建学以来とも言われる秀才だった。
十六歳で飛び級入学。
法学部を首席で修了。
さらに医学課程も優秀な成績で修め、卒業後は同盟政府官僚への採用が決まっている。
「余裕じゃない。」
淡々と答える。
「試験は好きじゃない。」
「嫌味か?」
「事実だ。」
友人たちは笑う。
だがジャンは本気だった。
法学が好きだったわけではない。
医学に情熱があったわけでもない。
必要だから学んだ。試験という競争で勝ち続けるために。
「卒業したら官僚か。」
「将来は代議士先生様かな。」
「どうだろう。」
ジャンは肩をすくめた。
「一人頑張ったところで世の中は変わらない。」
「だったら、上に立った方が得だ。」
それが彼の本音だった。
理想はない。
正義もない。
ジャンの中にあるのは、合理性だけだった。
◇
大学を出たジャンは懐中時計を取り出した。
待ち合わせの時間である。
中央広場の噴水には、一人の女性が待っていた。
エルザ=ジョシア。
旧貴族ジョシア家の令嬢であり、ジャンの恋人だった。
「遅いわ。」
「約束の五分前だけど。」
「女性は待たせないものよ。」
二人は大学近くの喫茶店へ入る。
卒業後の進路。
政治情勢。
互いの家の話。
恋人同士の会話というより、将来を見据えた打ち合わせに近かった。
ジャンはエルザを愛していたわけではない。
エルザもまた同じだった。
ニューアーク大学主席。
将来を嘱望される若手官僚。
ジョシア家にとって、それは十分な価値がある。
一方のジャンも、政界へ強い影響力を持つジョシア家との縁は、自分の将来に有利に働くと考えていた。
互いに利用価値がある。
だから付き合っている。
二人とも、それ以上でもそれ以下でもない関係に疑問を抱いたことはなかった。
◇
卒業から半年。
ジャンは同盟政府軍総務局長室へ呼び出された。
「ジャン=ワイズマン君。」
局長は一枚の辞令を机に置く。
「君をレンヌ要塞司令部勤務とする。」
レンヌ。都市同盟西方防衛の最重要拠点。
評議会が直接統治する同盟直轄都市である。
「司令官付き官僚として勤務してもらう。」
「前線勤務になるが、君ほどの人材なら十分務まるだろう。」
周囲の職員たちが小さくざわつく。
レンヌ勤務は危険である一方、将来の幹部候補だけが経験できる重要な役職でもあった。
「承知しました。」
ジャンは迷わず答える。




