第1話 西方の哨戒線
主要キャクター
アーネム大陸ゼルキア地方図
剣と剣がぶつかり、甲高い金属音が森の中に響いた。
「くっ!」
レミーラ帝国軍の兵士が、力任せに剣を振り下ろしてくる。
ユマ=リズナーはその一撃を受け流すと、相手の踏み込みに合わせて体を入れ替え、脇腹へ剣を突き立てた。男が苦痛に顔を歪めて倒れると、すぐさま剣を引き抜き、次の敵へと視線を移した。
「団長! 右から来ます!」
「分かってるよ!」
木々の間から飛び出してきた帝国兵の槍をかわし、ユマはその柄を剣で払った。体勢を崩した相手に、すかさずロスバルトの兵士が横から槍を突き出す。
帝国兵は短い悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。
「そのまま押し返すよ! ただし、突出するんじゃないよ!」
ユマの号令を受け、周囲の兵士たちが間隔を保ちながら前進を始めた。
レンヌ要塞の西方に広がる森林地帯。
鬱蒼と生い茂る木々の間を縫うように細い林道が走り、その両側には起伏の激しい斜面や沢が続いている。見通しは悪く、数十歩も離れれば味方の姿すら見失いかねない場所だった。
その森の中で、ロスバルト傭兵団とレミーラ帝国軍が交戦していた。
帝国軍の兵力はおよそ四百。対するロスバルトは三百名ほどだった。
数では帝国軍が優勢だったが、戦況はまるで逆だった。
ロスバルト傭兵団は、山岳戦と森林戦を得意とする傭兵集団である。険しい地形での移動や伏兵の運用、少人数に分かれた部隊同士の連携に長けており、特に長年哨戒を担当してきたレンヌ西方の森林地帯では、地図に記されていない獣道まで熟知していた。
一方、帝国軍は狭い林道に兵力を集中させていたものの、木々に進路を阻まれ、数の優位を十分に生かせずにいた。
「左翼は北側の斜面へ。弓で敵を押さえておくれ。右翼は予定どおり、沢沿いを進ませるんだよ」
ユマの命令を受け、伝令たちが森の中へ散っていく。
ほどなくして、帝国軍の左側面へ矢が降り注ぎ始めた。
「敵だ! 斜面の上にいるぞ!」
「盾を構えろ! 隊列を崩すな!」
帝国軍の指揮官が声を張り上げ、兵士たちが盾を並べて応戦する。しかし、斜面の上に陣取ったロスバルトの弓兵を排除することは容易ではなかった。
その隙に、ユマは正面の部隊を前進させた。
「今だよ! 押し込んでおくれ!」
ロスバルトの歩兵たちが林道の両側から襲いかかり、敵が反撃に転じると素早く木々の間へ後退する。帝国軍も槍と盾を構えて抵抗したが、追えば伏兵に襲われ、立ち止まれば弓兵に射かけられる状況に、次第に隊列を乱していった。
とはいえ、帝国軍も一方的にやられているわけではない。
盾を並べて前進してきた一団がロスバルトの歩兵を押し返し、槍を受けた兵士がその場に倒れた。
「無理に付き合うんじゃないよ! 下がって!」
ユマは兵士たちに後退を命じ、自らも正面に出て敵の足を止めた。相手の剣を受け流し、体勢を崩したところへ一撃を加えると、すぐに味方とともに木々の間へ退く。
敵を正面から打ち破る必要はなかった。
相手が林道に兵を集めれば、ほかの場所が手薄になる。その隙を突くのがロスバルトの戦い方だった。
やがて森の南側から、短い角笛の音が響いた。
「来たね」
ユマは口元に笑みを浮かべた。
沢沿いを迂回していたトウヤの部隊が、帝国軍の右側面へ到達したのだ。
「ユマ! 予定どおりだ!」
「上出来だよ! そのまま西へ押し返しておくれ!」
正面と左右から攻撃を受けた帝国軍は、ついに後退を始めた。
しばらくは組織的な抵抗を続けていたが、やがて指揮官が撤退を命じたらしく、兵士たちは負傷者を抱えながら西へ退いていく。
「団長! 敵が森を抜けます!」
部下の声に、ユマは顔を上げた。
帝国軍の残存部隊が林道を西へ進み、その先に広がる平原へ向かっていた。
「追撃しますか?」
「森の外は敵の領域だ。無理に追う必要はない」
ユマは即答した。
ロスバルトは山岳や森林でこそ、その真価を発揮する傭兵団だった。遮るもののない平原に出れば、帝国軍は隊列を整え、騎兵を自由に動かせるようになる。
わざわざ自分たちの有利な地形を捨て、相手の得意とする場所へ踏み込む理由などなかった。
「森の出口を押さえておくれ。敵が戻ってこないことを確認したら、それで終わりだよ」
「了解!」
ユマは剣についた血を払い、ゆっくりと鞘へ収めた。
◇
「こちらの損害は?」
「戦死者三名、負傷者十一名です」
「……そうかい」
戦闘を終えたユマは、倒木に腰を下ろしながら部下の報告を聞いていた。
帝国軍には数十名の死傷者が出たと見られ、残る兵士たちは森の西側へ退却した。こちらは三百名ほどの兵力で四百名の敵を撃退したのだから、戦術的には申し分のない勝利だった。
それでも、三人の兵士が帰ってこなかった。
「死んだ連中の名前は?」
「こちらに」
部下が差し出した書類を受け取ると、ユマは一人ずつ名前を確かめた。
いずれも長年ロスバルトに所属していた兵士だった。
「遺族への連絡は私から出すよ。負傷者の方は、レンヌに戻ったら医療班に任せておくれ」
「承知しました」
部下が立ち去ると、ユマは書類を畳んで懐へしまった。
「それにしても、今回は多かったね」
隣に立ったトウヤが言った。
「ああ。四百人も送り込んできたのは久しぶりだよ」
この二か月ほど、レミーラ帝国軍との接触が目に見えて増えていた。
以前から国境付近で小競り合いがなかったわけではない。レンヌは長年にわたって都市同盟とレミーラ帝国が争ってきた土地であり、双方の哨戒部隊が衝突することなど珍しくもなかった。
しかし、最近は明らかに頻度が違う。
これまでは数十名から百名程度の小部隊が中心だったが、今回は四百名もの兵士が森林地帯へ入り込んできた。
「偵察にしては、ずいぶん人数が多いな」
トウヤが言った。
「そうだね。だけど、本格的な攻撃にしては少なすぎる」
「こちらの戦力を探っているのか?」
「その可能性はあるね。森の中でこちらがどう動くのか、どこから兵が出てくるのか、そんなことを調べているのかもしれない」
ユマは森の西側へ視線を向けた。
帝国軍の姿はすでになく、木々の間を吹き抜ける風が枝葉を揺らしているだけだった。
「ここ二か月の接触記録をまとめておいておくれ。敵の数、出現した場所、退却した方向も全部だよ」
「司令部への報告か?」
「当然だよ。それと、カーライルにも増援を要請するよう司令部に上申しておく。これだけ動きが怪しいんだから、備えておいて損はないだろう?」
「グリフィスが素直に取り合うと思うか?」
「取り合うかどうかは向こうの問題さ。こっちは必要なことをするだけだよ」
ユマは肩をすくめると、帰還の準備を進める部下たちに目を向けた。
「さあ、帰るよ! しばらくは西の哨戒を厚くしないといけないね」
ロスバルト傭兵団は戦死者と負傷者を伴い、レンヌ要塞への帰路についた。
◇
レンヌ要塞へ帰還したユマを待っていたのは、またしても補給に関する報告だった。
「……何だって?」
「先日申請した物資ですが、まだ届いておりません」
補給担当者が申し訳なさそうに書類を差し出した。
ユマはそれを受け取り、内容に目を通した。
要求していたのは兵糧の補充分に加え、矢や医薬品、傷んだ装備を修理するための資材などである。
いずれも軍隊を維持するうえで欠かせない物資だった。
「またかい。先週も同じことを聞いた気がするんだけどね」
「司令部には再三問い合わせていますが、輸送の都合で遅れているとの返答しかありません」
「輸送の都合ねぇ。便利な言葉だこと」
ユマは呆れたように鼻を鳴らした。
ロスバルト傭兵団は、レンヌ要塞の防衛を担う重要な戦力の一つだった。
特に西方の森林地帯では、地形に精通したロスバルトの兵士たちが哨戒活動の中心となっている。今日のような小競り合いも、ほとんどの場合は彼らが対処していた。
それなのに、必要な物資の供給はいつも後回しにされる。
「こっちは毎日のように外へ出ているんだよ。矢だって減れば補充しなきゃならないし、装備も傷む。それくらい分からないものかね」
「再度、要求を出しましょうか?」
「もちろんだよ。それと、今まで何をどれだけ要求したのか、全部まとめ直しておいて。あとで知らないなんて言わせないようにね」
「承知しました」
「ああ、それから今日の戦闘報告と増援要請も一緒に出しておいておくれ。カーライルへ早急に増援を求める必要があると、はっきり書いておいてね」
「承知しました。控えも残しておきます」
「頼んだよ」
補給担当者が退出すると、ユマは椅子に腰を下ろし、深いため息をついた。
「まったく、グリフィスのやつ……」
「相変わらずだな」
向かいの椅子に座ったトウヤが、呆れたように言った。
「奴からすれば、俺たちは目障りな存在だからな」
「ケツの穴の小さい奴だね。いい加減、昔のことなんて忘れればいいものを」
「お前はそう思っていても、向こうはそうじゃないんだろう」
トウヤの言葉に、ユマは鼻を鳴らした。
三年前、レンヌの西方で都市同盟軍がレミーラ帝国軍に大敗したことがあった。
当時の総司令官はゼルキア派の人間であり、グリフィス三世はその派閥の有力者として、軍の中枢にいた。
ゼルキアは都市同盟の中核を成す大都市であり、政治・軍事の両面で大きな影響力を持っていた。当然、軍内部にもゼルキアを中心とする有力な派閥が形成されていた。
しかし、その戦いは惨憺たる結果に終わった。都市同盟軍は多くの兵士と領土を失い、レンヌ以西の地域から撤退せざるを得なくなった。
その撤退戦で殿を引き受けたのが、ロスバルト傭兵団の先代団長シュウ=リズナーだった。
ユマの父である。
シュウは追撃してくる帝国軍を食い止め、多くの兵士を逃がしたが、自身は戦場から帰ってこなかった。
「父さんが死んだのは戦場での出来事だよ。私はそんなことでグリフィスを恨んじゃいないし、いまさら責任を取れなんて言うつもりもない」
「分かっているさ。だが、あの敗戦が奴の出世レースから脱落するきっかけになったのも事実だ」
トウヤは腕を組んだ。
「ゼルキア派にとっては大失態だったからな。まして、撤退戦で名を上げたのはロスバルトだ。俺たちがいる限り、奴は嫌でもあの戦いを思い出すんだろうよ」
「だからって、補給を遅らせていい理由にはならないだろう?」
「もちろんだ。だが、奴にとっちゃロスバルトの存在自体が気に入らないんだろうな」
ユマは不愉快そうに口を曲げた。
グリフィス三世は現在、レンヌ要塞の司令官を務めている。
かつての中央での栄達を望めなくなったとはいえ、今なお大きな権限を持つ人物だった。
一方、ロスバルト傭兵団も、レンヌの防衛に欠かせない戦力として一定の発言力を持っていた。三年前の撤退戦の功績もあり、グリフィスといえども簡単に排除できる存在ではない。
だからこそ、互いの関係は表面上だけ取り繕われたまま、いつまでも改善しないのだった。
「まったく、面倒くさい男だね。嫌いなら嫌いで構わないけど、仕事くらいまともにしてほしいもんだよ」
「それができる奴なら、そもそもこんな関係にはなっていないだろうな」
「違いないね」
ユマは苦笑した。
父の死を忘れたわけではないし、今でもあの撤退戦を思い出すことはある。だが、戦場で命を落とした父のことを、いつまでも他人への恨みに変えておくつもりはなかった。
それよりも、今生きている部下たちの方が大切だった。
今日も三人が死んだ。
どれほど有利な戦いでも、人は死ぬ。だからこそ、必要な物資も増援も、手に入れられるものはすべて手に入れなければならなかった。
「とにかく、要求は出し続けるよ。向こうが嫌がろうが知ったことじゃないさ」
「また司令部に睨まれるぞ」
「今さらだね」
ユマが肩をすくめると、トウヤも笑った。
◇
「そういえば、聞いたか?」
書類を片づけていたユマに、トウヤが思い出したように声をかけた。
「何をだい?」
「近いうちに、新しい官僚がレンヌへ赴任してくるらしい」
「ああ、その話なら知ってるよ」
ユマは手を止め、顔を上げた。
「ニューアーク大学の主席様らしいじゃないか。法学だけじゃなく、医学も修めているそうだよ」
「……バケモンか?」
トウヤは思わず眉を上げた。
ニューアーク大学といえば、都市同盟でも指折りの名門である。その主席卒業者ともなれば、将来を嘱望されることは間違いない。
まして法学と医学という、まったく異なる二つの分野を修めた人物となれば、並の秀才ではないだろう。
「そんな優秀な奴が、なんでレンヌなんかに来るんだ?」
「知らない。ただ、変わり者なのは間違いないね」
「中央で出世する方がよほど楽だろうに」
「さあね。本人なりに何か考えがあるんじゃないの?」
ユマは再び書類へ視線を落とした。
「それで、名前は何ていうんだ?」
「ジャン=ワイズマンだったかな」
「ジャン=ワイズマン……」
トウヤは小さくその名を繰り返した。
「まあ、優秀な人間が来てくれるのはありがたいけどね」
ユマは手元の補給要求書を持ち上げた。
「うちとしては、主席様より先に物資を届けてほしいもんだよ」
その言葉にトウヤが吹き出した。
「まったくだな」
「それにしても、ニューアークの主席がこんな辺境へねぇ……」
ユマは椅子の背もたれに体を預け、呆れたように笑った。
「よほどの変わり者なんだろうね」
続きをみていただける場合は
→ 【ブックマークに追加】をポチッとお願いします。
「面白かった!」「続きに期待!」
→ 下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に!
皆さんが反応していただけると喜びます。
感想も気軽にお寄せいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします!




