第七十六話「流れを守り続ける者」
〖前書き〗
前回まで:
崩れかけた道をいったん閉じた一鶴たちは、足元を補強し、安全を確かめながら少しずつ人を通した。
閉じることも、開くことも。
どちらも、その先にある暮らしを守るための同じ理。
信玄は、流れを再び動かす者にも、先を見続ける責任があると知った。
最後の旅人が板の上を渡り終えた頃、日は山の端へ触れようとしていた。
坂道に伸びた影が、少しずつ長くなる。
「今日は、ここまでだ」
一鶴が縄を閉じた。
まだ宿の前には、今夜ここへ残ることを選んだ者たちがいる。
だが、誰も先を急ごうとはしなかった。
明日の朝、道の状態を確かめてから通す。
その言葉が、すでに六嗣から全員へ伝えられていた。
三那兜が敷かれた板を持ち上げる。
板の下には、浅い足跡が残っていた。
「少し沈んでるな」
四糸乃がしゃがみ込み、土へ指を触れる。
「このまま夜露を受ければ、朝にはまた柔らかくなります」
一鶴が道を見た。
人を通せた。
誰も落ちず、怪我もなかった。
それでも、これで終わりではない。
「板は外すのか?」
三那兜の問いに、四糸乃は首を横へ振る。
「いいえ。朝、どれほど沈んだか確かめるために残します」
五風が宿の方へ目を向けた。
「なら、縄だけじゃ足りないな。暗くなれば、板を見て渡れると思う者もいる」
六嗣が答える。
「宿の人に、夜の見張りを頼んでみる」
二羽花は待たされていた馬の背を撫でながら、道の脇を見た。
「明日の朝も、馬を通す前に一度歩かせた方がいいね」
それぞれの声が、再び一鶴のもとへ集まる。
一鶴はしばらく考え、宿の若い男を呼んだ。
水路の逃げ道を、少年へ教えていた男だった。
「今夜、この道を見てもらえるか」
男は崩れた場所へ目を向ける。
「俺が?」
「異変があれば、誰も通すな。朝になったら、板の下の土を確かめてくれ」
男は戸惑うように六人を見た。
「お前たちは、見ないのか」
「見る」
一鶴は答えた。
「だが、俺たちだけでは見続けられない」
六嗣が男へ歩み寄る。
「今夜と明日の朝、どこを見ればいいか伝えます」
四糸乃は土の沈んだ場所を示した。
「板の端に隙間がないか。踏んだ時に水が浮かばないか。崩れた側へ土が寄っていないか」
三那兜も続ける。
「棒を差して、今日より深く入ったら通すな」
男は一つずつ確かめるように頷いた。
五風が旅人の列へ目を向ける。
「人が増えたら、自分だけで決めるな。宿の者を呼べ」
「馬が怖がったら、無理に引かないで」
二羽花が付け加える。
男はしばらく黙っていた。
やがて、縄を握る。
「分かった。今夜は俺が見る」
宿の入口にいた少年が駆け寄ってきた。
「俺も見る」
男が眉を寄せる。
「子どもは寝ていろ」
「水路も、道も、明日また直すんだろ」
少年は板の下を覗き込んだ。
「なら、どこを見るか覚えたい」
男は困ったように頭を掻き、少年の肩へ手を置いた。
「夜は俺が見る。お前は朝だ」
少年は大きく頷いた。
信玄は、そのやり取りを黙って見つめていた。
道を開く者がいる。
閉じる者がいる。
その判断を支える者がいる。
だが、流れを守り続けるには、その場に残る者が必要だった。
「直した者が去れば、守り続けられぬか」
信玄が呟く。
「はい」
樹玄は静かに答えた。
「形を作るだけでは、守ったことにはなりません」
「見続ける者を残す」
「いいえ」
樹玄はわずかに首を横へ振った。
「残すのではありません」
信玄が目を向ける。
「その土地にいる者へ、渡すのです」
縄を握る男。
板の下を覗く少年。
六人から教わったことを、二人は自分たちの言葉で確かめ合っている。
信玄は小さく息を吐いた。
守る者が、いつまでも同じ場所にいられるわけではない。
だからこそ。
見方を伝え。
判断を渡し。
その土地の者が、自ら流れを守れるようにする。
龍地の坂道に、夕闇が降り始める。
皆で整えた道を、
今度は龍地に生きる者たちが見守っていた。
理は、教えられたまま残るのではない。
受け取った者の手で使われて初めて、
その土地のものになるのだ。
〖後書き〗
今回のまとめ:
・日暮れを迎え、一鶴たちは翌朝まで道を再び閉じる
・夜露や人の通行によって、道の状態が変わる可能性を確認する
・六人は宿の男と少年へ、道を見る方法と判断を渡す
・信玄は、形を直すだけでなく、その土地の者が守り続けられるよう理を渡す必要があると知る
作者ノート:
前話では「安全に流れを戻すこと」を描きました。
今回は、その流れを誰が守り続けるのかという話です。
旅をする六人は、いつまでも龍地の道を見ていることはできません。
だからこそ、自分たちだけで守るのではなく、その土地に暮らす者へ見方と判断を渡していきます。
キーワード:
龍地/武田信玄/森口樹玄/一鶴/六人/宿の男/少年/道を守る/受け渡し/治水の理




