第五十四話「危うい道」
〖前書き〗
前回まで:
龍地では、「道を受けよ」の札が立てられた。
けれど、人も荷も馬も集まれば、声は濁る。
樹玄は滝坂の家から姪であり弟子の二羽花を連れてきた。
五風が人の流れを分け、二羽花が不安や苛立ちを鎮める。
風が分ける。
花が鎮める。
龍地はまたひとつ、道を受けるための形を覚えた。
「分けよ」「鎮めよ」の札が加わってから、龍地の荷場は少しだけ落ち着いた。
水を求める者は水桶へ。
荷を預ける者は一鶴のもとへ。
馬を休ませる者は柵の外へ。
名を残す者は六嗣の前へ。
五風は面倒そうな顔をしながらも、人の流れを分けた。
二羽花は白い布を抱え、声が尖る前に近づいた。
一鶴はそれを見て、静かに頷いた。
「受ける形はできてきたな」
「形だけはな」
五風は草の上に座り込んだ。
「でも、来る途中で壊れたら意味ない」
勘助が地図から顔を上げる。
「道のことか」
「道っていうか、足元」
五風は台地の下へ続く方を見た。
「川を渡って、坂を上がる。そこまでは分かった。でも、その先の道も全部まっすぐじゃない。ぬかるむ場所、崩れやすい端、馬が嫌がる曲がり。そういうの、誰が見てるんだよ」
一鶴が眉を寄せる。
「荷場に来た者から聞き取るか」
「聞いてからじゃ遅い時がある」
五風は吐き捨てるように言った。
「転んでから、道が悪かったって言われても面倒だろ」
その時、台地の下へ続く道の方から声がした。
「おい、そこ、右へ寄るな!」
荷場の者たちが振り返る。
滝坂の方から、泥だらけの若者が上がってきていた。
髪は乱れ、膝には擦り傷。
肩には短い縄をかけ、腰には小刀。
泥のついた足で、平然と歩いている。
若者は、荷を背負った男の腕をつかみ、道の内側へ押し戻した。
「そっちは草の下がゆるい。荷ごと落ちるぞ」
男が青ざめて足を止める。
五風が顔をしかめた。
「誰それ」
勘助は地図から顔を上げ、若者の足元を見た。
「……道に入っていた者か」
若者がすぐに噛みつく。
「入ってたんじゃねえ。見てたんだよ」
勘助の目が細くなる。
「危ない場所に自分から入る馬鹿だな」
「入らなきゃ分かんねえだろ」
荷場が静かになった。
信玄は若者を見た。
「名は」
若者は少し迷ってから、胸を張る。
「三那兜」
四糸乃が筆を取る。
「三那兜」
「書かなくていい」
「記す役なので」
「……勝手にしろ」
五風は目を細めた。
「で、何を見てたんだよ」
三那兜は泥のついた手で、勘助の地図を指した。
「ここだ。滝坂を上がって、台地へ出る前の曲がり。雨の後は端がゆるい。馬が外へ寄ると崩れる」
勘助の目が鋭くなる。
「他には」
「川を渡った後の石場。水が引いても石が動く。昨日踏めた場所が、今日は沈む」
樹玄が静かに頷いた。
「水が置き直している」
三那兜はさらに続けた。
「あと、荷を背負った奴は坂の途中で右へ逃げる。楽に見えるからだ。でもそっちは草の下が柔らかい。足を取られる」
五風は黙った。
二羽花が小さく言う。
「それで、怪我を?」
三那兜は自分の膝を見た。
「見に行っただけだ」
勘助が冷たく言った。
「落ちかけた」
「落ちてねえ!」
信玄は、わずかに笑った。
「危うい場所を知る者か」
三那兜は口を閉じる。
一鶴が問う。
「なぜ、そこまで見る」
「嫌なんだよ」
三那兜は、視線を逸らした。
「知らないまま、誰かが落ちるのが」
その言葉に、二羽花が目を伏せた。
五風は頭をかいた。
「また面倒な奴が増えた」
「お前に言われたくねえ」
三那兜が返す。
五風は少しだけ口元を歪めた。
「俺は流れを見る。お前は危ない場所に入る。最悪の組み合わせだな」
「使える組み合わせだろ」
勘助が地図に印をつけた。
「危うい道は、先に記せ」
六嗣が木札を取る。
「何と刻みますか」
信玄は、台地の下へ続く道の方を見た。
道は人を運ぶ。
だが、道は人を傷つけもする。
受けるだけでは足りない。
分けるだけでも足りない。
鎮めるだけでも足りない。
危うい場所を、先に知る者が要る。
「危うきを見よ」
信玄が言った。
六嗣の小刀が、木に触れた。
守れ。
聞け。
預けよ。
名を残せ。
道を受けよ。
分けよ。
鎮めよ。
その横に、新しい言葉が加わる。
危うきを見よ。
三那兜はその札を見て、鼻を鳴らした。
「見ればいいんだろ」
勘助が言う。
「勝手に死ぬな」
「死なねえよ」
五風が肩をすくめる。
「落ちるなよ、道の馬鹿」
「うるせえ、風の面倒くさがり」
二羽花が小さく笑った。
龍地の風が、草を揺らす。
道を受ける土地は、危うい道の名も覚え始めていた。
〖後書き〗
今回のまとめ:
・龍地の荷場は、五風と二羽花の働きで少しずつ整い始める
・五風は、荷場に来る前の「道の危うさ」に気づく
・勘助が泥だらけの若者、三那兜を連れてくる
・三那兜は危険な道や崩れやすい場所を、自分の足で確かめる者
・新しい言葉「危うきを見よ」が加わる
作者ノート:
今回は、三那兜の初登場回です。
五風が人や荷の流れを見る者なら、三那兜は実際に危ない場所へ入り、道の危うさを確かめる者です。
龍地が道を受ける場所になるためには、荷場を整えるだけでは足りません。
そこへ至る道、川を越えた後の石場、滝坂を上がる途中の崩れやすい場所。
そうした危うさを先に知ることも、宿の骨組みには必要でした。
キーワード:
龍地/滝坂/貢川/穂坂路/三那兜/五風/二羽花/山本勘助/武田信玄/危うきを見よ




