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第6話 (2/2)

 一度倒れてからというもの、徹夜で映画を一気見などという無謀なことはしなくなった。また同じようなことになったらきっと黒田に怒られるだろうし、『危なっかしくて見てられない』なんて嫌味を言われるのが分かりきっているからだ。

 あいつは本当に目ざとい。一体どこでいつから見ていたのかと不思議に思うくらい、些細なことによく気が付く。おれがそれに気が付いたのはここ数日の間のことだけど。


 その日の朝、教室に向かう途中の廊下で珍しい組み合わせの二人を見つけた。黒田と川島だ。

 今日も川島は学ランの下に変なTシャツを着ているのが離れた場所からでも確認できる。

「おい、何だそのふざけたTシャツは。学ランの下には学校指定のカッターシャツを着ろ」

「いや〜いつもはちゃんと着てるんだけど、今朝寝坊して急いで着替えたらうっかりしてさあ。ホントに今回だけだから見逃してよ、なっ?」

 どうやら黒田が川島のTシャツを注意しているようだ。ああいうのは本来ならハマ先の仕事なのだが、この時間帯ハマ先は昇降口前で登校してきた生徒たちの服装チェックをしているから、そこさえ気付かれずにスルーしてしまえば後は割とどうにでもなる。定期的に頭髪検査をしたり制服に細かいルールを設けたりしている割にはチェック体制がザルなのだから、この学校の校則は厳しいんだか緩いんだかよく分からない。

 黒田は腕組みをして深いため息をついている。

「まったく……次はないからな」

「ありがてえ! 恩に着るわ」

「せめて学ランの前を締めて隠す努力をしろ。浜内に見つかったら俺でも庇い切れないからな」

「ういー」


 本当に黒田って目ざといな。少し前までは細かいことにいちいちうるさい奴だと思っていたけど、そもそもそういう細かなことに気が付く時点で周りをよく見てるってことだよな。

 おれの髪が地毛だってことも、おれがいつも弁当を持ってきてるってことも、黒田はずっと前から観察していたから知ってたのか。そしてそれはおれだけが特別ってわけじゃないんだろう、ああやって川島の変なTシャツにも朝イチで気が付いて注意してるんだから。

 学級委員長だからってそこまでするかな、普通。そんなことしたって一文の得にもなりはしないというのに。


「委員長ってさー、話してみると意外とイイ奴だよな。思ってたより話が通じるっつーか」

 体育の授業のためジャージに着替えて校庭に出る途中、隣を歩く川島が唐突にしみじみと言った。おそらく、さっき廊下で変なTシャツを見逃してもらったことを言っているのだろう。川島の『イイ奴』判定基準は恐ろしく低い。

「そうかな……」

 適当に返すと、横でそれを聞いていた吉野が苦笑いしながらこっちを見た。

「ああ、鈴原は委員長のこと苦手なんだっけか」

「べっ、別に、苦手では」

「そういや委員長、鈴原のことおんぶして保健室まで運んでくれたもんな。やっぱイイ奴じゃん」

「鈴原も委員長のことあんまり毛嫌いしてないで、少しは丸くなってやんなよ」

 何故か話がおれを説教する流れに変わっている。こいつら、何も知らないくせに好き勝手なこと言いやがって。

「おれは別に……黒田のこと、毛嫌いなんかしてねーし。どうでもいい」

「そういうとこだって言ってんの。素直じゃねえな」

 吉野の手が後ろからぽん、と頭を押さえた。


 どうしてだろう。吉野や川島にこうやって頭を触られても、別に何も感じないのに。

 あいつが触ると、それが髪でも、腕でも肩でも、背中でも、そこに触られた感覚がいつまでも残って消えない。何日か経ってやっと消えたと思っても、あの時のことを思い出した瞬間にまた黒田の手の感触が甦ってくるんだ。まるでついさっきまで触られていたみたいに。


『本っ当にお前は、危なっかしくて見てられない』


 黒田はいつからおれを見ていたのかな。危なっかしいと思うほど、普段のおれを見ていたんだろうか。

 クラスの他の奴らのことも同じように注意して見ているんだろうか。おれのことだけを見ていたわけじゃないのかな。

 あの時、橋の欄干の上でジョゼットの真似をして歌うおれを見ていた黒田の目が、今も頭から離れない。放心したようにぼうっと見つめる、眼鏡の奥の大きな眼。スクリーンの中で歌うジョゼットに心を奪われていた時の黒田の顔と少しだけ似てる気がした。

 あれからずっとおれは、あの目で見つめられた時の不思議な高揚感を忘れることができないでいる。誰かに見られて、あんなに気持ちが昂るのは初めてのことだった。人からの注目を浴びることが何より大嫌いなはずだったのに。


 *


 マラソン大会を来週に控え、今日も相変わらず体育の授業は持久走だ。毎度のことではあるが、やる気のある奴とそうでない奴との差はスタート直後からものすごい勢いで開いていく。

 おれも適当にちんたらマイペースで走っていると、不意に誰かがすぐ横に並んで走り始めた。ちらと隣を見上げると、そいつもちょうど同じタイミングでおれの方を見た。

「……なんだよ。なんか用?」

 そっけなくそう言ってふいと顔を前に向ける。特に理由はないが、何となく今は黒田と話したくない。

「この前、帰りは遅くならなかったか?」

「へ? なんで」

「鈴原が一ノ瀬から来てるなんて知らなかったから、映画が終わってから帰る時間のことを考慮してなかった。暗くなるまで付き合わせたのは良くなかったよな、ご両親にも心配かけただろう」

 いい加減こいつのクソ真面目っぷりには辟易する。門限の厳しい箱入り娘でもあるまいし、ちょっと寄り道して帰りが遅くなったくらいで親に怒られるような子供だとでも思われているんだろうか。

「いーよ、別に。映画行こうって言い出したのはおれの方なんだし」

「そうだけど……」

 気になっているのはそれだけか。用が済んだらさっさと先に行くだろうと思っていたのに、黒田はおれと並走するのをやめる気はないようだ。

 まだ何か用かよ、そう聞こうとしたちょうどその瞬間、背後から車のエンジン音が近づいてきていることに気付いた。公道に出たら車や歩行者に注意しながら走ること、と言われてはいるけど、こんなふうに雑談しながら走っているとつい周りが見えなくなってしまうことがたまにある。

 後ろを振り向こうとした時、突然黒田の腕にぐいと肩を引き寄せられた。

「鈴原、こっち」

「え? あっ……」

 肩を抱き寄せるようにして、そのまま路側帯の内側に引き込まれる。あまりに突然のことだったから足がふらついて、支えを求めて黒田の肩に寄りかかってしまった。

 車がおれ達を追い越して走り去って行くのを見送りながら、おれと黒田はその場で立ち止まったままじっと動かなかった。

「い……いきなり、引っ張んなよ」

「悪い。大丈夫だったか?」

 周りに他の生徒たちの姿はない。あまりにもちんたら走っていたせいで、だいぶ後ろの方にいるようだ。黒田から離れようとした時、指がわずかに黒田の手の甲に触れてしまった。熱いやかんを触った時みたいにぱっと手を離す。黒田は不思議そうにおれを見ていた。


 ……熱い。

 何なんだ、これ。ちょっと指先が当たっただけなのに、なんでこんな。

 指先だけじゃない、さっき黒田が抱き寄せた肩も、異常なほど熱を持っている。


「もしかして、さっきどこか引っ搔いたのか」

「ちっ、違うって。何でもないよ」

 黒田がおれの手を取ろうとしていることに気付いて、咄嗟に一歩後ずさってしまう。さすがに露骨過ぎたらしく、黒田も気付いたようだ。その表情だけで分かる。

「……」

 黒田の視線に堪えかねて下を向く。


 何だかもう、分からなくなってしまった。橋の下で黒田に抱き留められたあの時から、黒田の前でいつも通りに振る舞うことができない。距離を保って会話するだけならどうにかできているけど、触れてしまいそうなほど近寄られたり、ほんの少し触られたりすると、いつものおれでいられない。

 身体の奥で知らない何かがざわざわ揺れて、自分でもどうしようもなくなる。

 黒田に触られた感覚だけがいつまでも熱を持って消えてくれない。

 ほんの数日前まではこんなんじゃなかったのに。なんかおれ、変だ。


 どうして黒田は何も変わってないんだろう。

 おかしいのはおれだけで、黒田は以前と何の変わりもない。ためらいもなくおれに触る。

 こいつにとってはただ転びそうになったおれを助けただけのことで、取るに足らない、些末なことだからだろうか。あの時のことをこんなに意識しているのはおれだけなのか?


「……あのさ、黒田」

 ジャージの裾をぎゅっと握りしめる。黒田の顔を見られない。

 抱き留められたことも、髪を『きれいだ』って褒められたことも、倒れた時におぶって保健室まで運んでくれたことだって、全部黒田にとってはどうでもいいことだったのかな。おれが一人で大げさに捉えていただけだったとしたら、なんかおれ、すっげーバカみたいじゃん。

「あの時なんで、嘘なんかついてたの?」

「え……」

「おれが倒れた時、自力で保健室まで歩いて行ったなんて嘘なんだろ。知ってるよ」

 ざあっと強い風が吹いて、道に落ちていた大量の落ち葉を舞い上げて去って行く。風が去ってあたりがしんと静かになっても、黒田は何も言わなかった。下を向いてるから、今の黒田がどんな顔でおれを見ているのかも分からない。

 どのくらいの間そうしていただろう、黒田が小さくため息をつくのが聞こえて、おれは息を呑んだ。

「俺なんかにおんぶされたなんて知ったら、鈴原は嫌がるかと思って……」

 まただ。この間も聞かされた、それと同じこと。


『俺は良くても、鈴原は嫌だろ。俺なんかと一緒にいるところを見られたら』


 嘘つけ。そんなことも分からないほどバカじゃない。

 本当はおれと一緒にいるところを見られたくないのは、お前の方だろ。


「なんで? そんなこと思うわけないじゃん。本当のこと知って、黒田のこと頼りになるなって思ったよ」

 言い終えたところで思い切って顔を上げた。黒田は戸惑ったような表情でおれを見ている。

 心臓がめちゃくちゃな速さで脈打ってる。マラソン大会のコースを全力で完走してもこうはならないだろうと思う。顔が熱い。

「黒田ってよく『俺なんか』って言うけど、本当はおれと一緒にいるところ見られるの嫌がってんのは黒田の方なんじゃないの」

「はあ? なに言って……」

「だって絶対そうじゃん。映画行く時だって、わざわざ隠れるみたいにロビーの奥で待ち合わせしてさ。保健室までおんぶして運んでくれたこと黙ってたのだって、本当は嫌だったけど委員長だから仕方なくやっただけで、そんなのおれに知られたくなかったからなんだろ」

「違う。俺はただ、鈴原の嫌がることはしたくないと思ってただけで」

「何それ? おれが何を嫌がるかなんて、なんで黒田に分かるんだよ」

「鈴原、俺は」

 突然、黒田がおれの右腕を強く掴んだ。そのまま引っ張られそうになった時、鈍い痛みが肘に走る。

「いたっ……」

「あっ……ご、ごめん」

 黒田はすぐにおれから手を離した。眼鏡の奥の瞳は、気遣わしげにおれを見ている。


 なんでそんな目で見るんだよ。ほんのちょっと前まで、話したことすらなかったのに。

 おれが気付いていなかっただけで、もうずっと前からこいつはおれを見ていたんだろうか。だから『危なっかしくて見てられない』なんて思うんだろう。

 だからいつどこにいても、黒田はすぐに気が付いてくれたんだ。今になってやっと分かった。


 右肘を押さえて、黒田から視線を逸らす。黒田の前でどんな顔をしていればいいのか、もうおれには分からない。今の自分がどんな顔をして黒田の前に立っているのかも。

「おれがいちばん嫌なのは、そうやっていつも誰かに見られてることだよ。珍しい生き物を見るような目でさ」

「……」

「倒れた時も、転びそうになった時も、さっきだって。なんでそうやっていつも、真っ先に気が付いてくれるんだよ? 黒田、変だって」

 変なのは黒田じゃない、おれの方だ。

 黒田は何とも思ってないのに、おれ一人が変に意識してるだけなのに。

「普通にしてろよ。……おれのこと見るの、やめろよ」


 自意識過剰なだけ。こんなに黒田の視線を気にしてるのは、おれだけ。

 自分がここまで痛い奴だとは思ってなかった。こんなに惨めな思いをしたことはなかった。

 あの時、橋の上で歌うおれを黒田が見ていたのだって、おれを見ていたわけじゃない。きっとあの時の黒田は、映画の中のジョゼットを思い出していただけだ。おれのことなんか見てなかったんだ。

 自分は人と違う髪の色をしてるから目立つだなんて、実際はそんなこと誰も思ってない。おれ一人がそう思い込んでいるだけだ。

 だってそうじゃなかったら、黒田はおれだけを見つめていたはずだ。ジョゼットや電車の中で見かけた金髪の人になんて目もくれず、おれだけに視線を向けているはずだ。そうじゃないとおかしいって、ずっと思ってたのはおれだけだったんだ。


「普通って何だ」

 ひどく落ち着いた声で黒田はそう言った。

 もうこれ以上黒田の前にいたくない。どうせおれの言いたいことなんて、こいつには半分も伝わってない。いや、伝わっていたら困る。

「おれ、先行くわ。黒田も真面目に走れよ」

 黒田の顔を見ないようにして、おれはその場から走り出した。黒田は追いかけてこなかった。


 普通って何だ?

 そんなもの、知りたいのはこっちだ。

 どうすれば普通でいられるんだ。おれと黒田の普通って何だよ。今までどんなだったっけ?

 もう思い出せない。同じクラスになって半年間まともに会話したこともなかったおれ達に、どうしたら戻れるんだよ。

 黒田の視線に気付いていなかった頃のバカで何も知らない自分に、戻れるものなら戻りたい。


 黒田に掴まれた腕がまだ熱い。じんじんと疼くような熱が、いつまで経ってもそこから消えない。


 もうこの世にいなくても、見た目しか知らなくても、黒田が本気でジョゼットに恋をしていることに変わりはない。黒田の心におれが入り込む隙間なんて一ミリもない。

 黒田がジョゼットを見つめる目とおれの髪を見ている時の目は全然違うのに、どうしておれはそれを同じだと思っていたのか。

 全部おれの勘違いだったんだ。自意識過剰なおれの思い込みだったんだ。

 黒田がおれを見てる、なんて一人で勝手に舞い上がったりして、バカみたいだ。

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