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第6話 (1/2)

 駅の改札前も構内にも、うちの学校の制服を着た奴の姿は見当たらない。その代わり、いつもの下校する時間帯にはあまり見ない仕事帰りと思しきスーツ姿の大人たちが多い。

「黒田ってどこで降りんの?」

 ホームに並んで電車を待っている間、隣の黒田に聞いてみる。夜の冷え込んだ空気のおかげで、駅に着く頃にはさっきの正体不明の動悸も顔の火照りもだいぶ落ち着いていた。

「北潮見」

「ふーん、キタシオなんだ。おれ一ノ瀬」

「一ノ瀬? ずいぶん遠くから来てるんだな」

「地元から離れた学校に行きたかったんだよ。近くの学校じゃ顔も見たくない奴らばっかだし」

 あ、しまった。言った後で気付く、今のは完全に黒田に気を遣わせる発言だったな。

「……ごめん」

「なんで謝んの」

 何とも居心地の悪い空気が漂う。いや、そういう雰囲気にしたのはおれの方かもしれないけど。

 ちょうどその時、電車の到着を知らせるアナウンスがホームに響き、おれは黒田に聞こえないようにほっとため息をついた。


 帰宅ラッシュの時間に差し掛かっているせいか、電車内はそこそこ混み始めている。いつもの時間帯なら週に二、三回くらいの確率で座れるのだが、今日はさすがに無理のようだ。おれと黒田は車両の端の座席の前に並んで吊り革を掴んだ。

 窓の外は暗く、横に並んで立つおれと黒田の姿が薄く映り込んでいる。黒田の方がわずかにおれの頭のてっぺんを追い越しているのを見て、おれは背筋をしゃきっと伸ばして姿勢を正した。黒田は気付いているのかいないのか、黙って窓の外を流れる街並みをぼんやり見ている。

「もしかしておれら、毎朝同じ時間の電車に乗ってんのかな」

「さあ……どうだろう。鈴原を電車で見かけたことは今まで一度もないけど」

「どうせお前、いつもすっげー早い時間に来てんだろ。学級委員長サマも大変だな」

 冗談のつもりでそう言ったのに、黒田は顔色ひとつ変えずに淡々と答えた。

「そんなことはない。大体、早く登校したところで何もやることなんかないからな。時間の無駄なだけだ」

 時間の無駄、ね。

 それじゃ今日おれと一緒に映画を観に行ったのは、黒田にとって時間の無駄ではなかったってことなのかな。おれが誘った時は渋ってたけど、最終的には今日来て良かったって言ってたし。


『あの時、鈴原が誘ってくれて良かったと思ってる。今日はジョゼットをスクリーンで見られて、本当に良かった。今日見たものはきっと死ぬまで忘れないと思う』


 ……なんで今になって思い出すかな。

 あの時は珍しく黒田が笑ってたからそれどころじゃなかったけど、冷静になって思い返してみるとあの発言って、なんか……めちゃくちゃ恥ずかしいこと言ってなかったか?

 死ぬまで忘れない、なんて、そう簡単に出てくる言葉じゃないぞ。こいつ、自分がすごいこと言ったってちゃんと自覚してんのかな。


 その時、電車は途中の駅に停車し、数人の乗客が乗り込んできた。窓に映るその姿を見るとはなしにぼんやり眺めていると、その中に金色の長い髪の人がいるのを見つけた。緩くウエーブのかかった髪は窓越しに見ても分かるほど艶があり、ジョゼットの髪とよく似ている。思わずそっちを向くと、黒田もその人を目で追っていた。

「……」

 おれ達がいるのとは反対方向へ去って行くその人の髪は、よく見ると毛先が淡いピンク色に染められている。歩く度にそのピンク色がゆらゆらと揺れる様は、まるで陽光を反射して揺れる水面のようだった。その人は一緒に乗車した友達らしき女の人と楽しそうに喋りながら、更に車両の向こうへと行ってしまった。


 電車がゆっくりと動き出す。窓の方へ向き直ると、隣の黒田はまださっきの人が行った方向を見ている。顔は窓の方を向いているけど、目だけは明らかにさっきの人の方を気にしていた。

 なんだよ。

 もしかして黒田ってジョゼットだけが特別好きってわけじゃなくて、金色の髪なら誰でもいいのか? しかもさっきの人は地毛じゃなくてカラーリングでああいう色に染めてるみたいだったのに、それでもいいのかよ。


『きれいだな、と思って』


 ……あーあ。なんだ、分かっちゃったかも。

 きっとこいつは、明るい色の髪が好きなんだ。自分とは違う色なら何だっていいんだ。それが金色でも、ピンクでも、汚い赤茶色でも。本当に、どんな色だっていいんだ。珍しい毛色をした動物に興味本位で近寄るような感覚と何も変わりはない、ただ目を引く色をしていればふらふらしちゃうような、それだけのことなんだ。

 髪の色しか見ていないんだ。なにしろ、見た目だけでこの世に存在しないジョゼットに本気で恋してるような奴なんだから。


『次はー北潮見、北潮見です。お出口は右側です……』

 車内にアナウンスが響く。ふと黒田はこっちを向いた。

「じゃあな、今日はありがとう」

「……おう」

「また明日な。気を付けて帰れよ」

 吊り革から手を離して、黒田は電車から降りて行った。


 *


 アイドルや芸能人を好きになるのと何が違うんだろうか。黒田がジョゼットに向けているのは、そういう種類の好意と同じ熱量の気持ちなんだろうか。そもそも『好き』って気持ちに熱量なんてものがあるんだろうか。もしあるとしたら、それは何を基準にして比較し区別できるものなんだろう。

 その人の見た目しか知らないのに、その人が本当はどんな奴なのかも知らないのに。

 おれにはよく分からない。それって、本当にその人を好きって言えるのか?


「やっぱさあ、顔だけで判断するのはよくないかなって思ったわけよ」

 それまでぼんやり聞き流していた川島と吉野の雑談から突然そんな言葉が飛び出してきて、はっと我に返る。昼休み、弁当を食べ終えたおれ達はいつものように残り時間を教室で駄弁って過ごしていた。

「……何の話?」

「なんだよ鈴原、聞いてなかったの? 吉野が他校の女子とデート行ったんだとよ、デ・エ・ト!」

「ふーん」

「もうちょっと興味示せよ」

 聞けば、先月に吉野がバスケ部の交流試合で隣県にある他校へ行った際、応援に来ていた女子に告白されて、何度かメッセでのやりとりを経てから二人でデートに行く約束をしたらしい。吉野の方はまだ告白に対するはっきりとした返事はしていなかったものの、なかなか可愛い子だったから特に断る理由もなかったそうだ。だが、デート当日に待ち合わせ場所へ現れた彼女の服装が見たことのない奇抜なファッションで、それを見た瞬間に吉野は幻滅してしまった……というのが事の顛末のようだ。

「そんなひどい格好で来たの? どんなだよ」

「ひどいっていうか、なんか全身ピンクですげーフリフリがついたミニスカで……オタクっぽい感じの」

「いいじゃん、フリフリ。吉野のために可愛くしてきてくれたんだろ、ジャージとかで来られるよりかよっぽどマシじゃん」

「え〜、でもなんか方向性がおかしいっていうか……あれはちょっとナシかな、俺は」

「なに贅沢なこと言ってんだよ、そんな理由でごめんなさいしちゃったのか? あーあ、もったいない」

「川島は女に夢見過ぎてるから分かんないんだろ。なにせ、サンプルがちぃちゃんしかいないんだから」

 ため息交じりに吉野がそう呟くと、紙パックの豆乳をストローでちびちび啜っていた川島は突然ガタンと椅子を立った。

「おい吉野、今ちぃちゃんのことバカにしただろ」

「してねーよ」

 ちぃちゃんというのは川島が推しているアイドルグループのメンバーで、表向きは清楚系で売っているがSNSでは真逆のイメージに繋がるような暴露エピソードが連日のように飛び交っている。全く興味のないおれの目にも入ってくるほどなのだから、きっと本人も隠す気がないのだろう。

「この前、ちぃちゃんSNSでめっちゃ匂わせしてたぞ……写真の隅に写ってたマフラーと明らかに同じものをジョーカーズのリュウヤがドラマの番宣で巻いてたって、昨日すげー盛り上がってたの知らねえの?」

「あ、それおれも見た。川島、悪いこと言わないから匂わせなんてする女はやめとけって」

「うるさい! 誰がやめるか、オレは死ぬまでちぃちゃん一筋だ!」

 周りにいた女子たちからの冷ややかな嘲笑が飛んでくる。川島と同類だと思われてはたまったものではない、おれと吉野は協力して川島を力ずくで座らせた。


 川島はともかく、吉野も見た目だけで決めてしまうのか。結果的にはダメになってしまったようだけど、おれは内心ひどく驚いていた。吉野って結構そういうことには冷めてるというか、知りもしない女子からいきなり告白されても絶対に断るようなタイプだと思ってたのに。

 見た目だけで誰かを好きになるって、おれが思うほどおかしいことではないのかもしれない。そう考えるとおかしいのはおれの方なんだろうか。どんな奴かも分からないのに、顔さえ良ければいきなりの告白でも受け入れて付き合えるものなのか?

 なんか、分からなくなってきた。


「……あのさ、吉野」

「ん?」

「見た目だけで好きになれるって、普通のことなの?」

 吉野と川島は顔を見合わせている。てっきりバカにされるかと思ったんだけど、拍子抜けしてしまった。

「だって、いくら顔が良くても、どんな性格なのかは分かんないだろ。それなのに吉野みたいにデートしたり、川島みたいに夢中になったり、それって変じゃない?」

「人によるんじゃないかな。少なくとも俺は、顔が好みなら多少の難には目を瞑るけど」

「ファッションチェックして切り捨てた奴がよく言うよ」

 吉野に足を踏みつけられて、川島はすぐ大人しくなった。

「中身がどんなにひどくてもいいの?」

「さすがに目を瞑れないほどひどい場合は無理だけど、付き合う前はどんな性格かなんて分からないのが普通だろ。そういうのは後から徐々に知っていくもんだよ」

「それじゃあ、とりあえず付き合い始めて、その後にもっと自分好みの見た目をした人に出会ったら? そっちに乗り換えんの?」

「あのな、鈴原」

 吉野は机に頬杖をついて、はあとため息をついた。

「あばたもえくぼ、ってことわざがあってだな。好きになると、どんなにひどい欠点でも愛らしく見えるもんなんだよ。逆に言えば、そのくらい盲目になれるなら本気で好きってことなんでないの。欠点を知って気持ちが変わるくらいならどのみちいつかはダメになるだろうし、欠点を知っても気持ちが変わらなければそのままずっと好きでいればいい、それだけの話だよ。顔が好きかどうかってのはあくまで最初の入り口っつーか、きっかけみたいなものに過ぎないと俺は思ってる」

「……ふーん」

「あんまり納得できないって顔だな」

「そ、そんなことは……ないけど」

「言っただろ、人によるって。俺と川島は顔だけで好きになれるけど、鈴原はそうじゃないってだけのことだろ」


 吉野と川島の感覚が普通なのだろう、と思う。やっぱり、おれがおかしいのだろうか。

 見た目で人を好きになることができないのなら、おれは何をもってこの人が好きだ、と思えるんだろう。人を好きになる基準や絶対的な条件みたいなものを誰しも心の中に持っていて、それをクリアしていれば必ずその人を好きになれるものなんだろうか。

 たとえばそう、黒田みたいに。


『俺が何を綺麗だと思うのかは俺の自由だ。それは誰に何と言われようと、変えることはできない』


 髪が明るい色をしてさえいれば、あいつは相手が誰であろうが好きになれるんだろうか。

 好きって、そんなふうに基準や条件で相手が決まるようなものなのか?

 なんかそれって、違う気がする。おれにはよく分からない。


 その時、午後の授業開始が近いことを知らせる予鈴が鳴り響いた。

「あっ、やべ。今日オレ当てられるんだった」

「そろそろ行くか」

 おれ達は机の位置を元に戻してそれぞれの席に戻った。

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