『静止していた歯車、ついに王の間へ』
王城・謁見の間。
三人は並んで立っていた。
悪役令嬢レディアナ・フォン・クラウゼル。
王太子アルベルト。
そして“ヒロイン”と呼ばれる存在、リリエル。
静寂が重い。
玉座に座る国王は、しばし無言で三人を見つめていた。
この数ヶ月――
婚約破棄騒動は起きず、断罪劇もなく、社交界は平穏。
派閥争いも燃え上がらず、令嬢同士の決闘もなく、噂も曖昧。
何も起きない。
それが、逆に異様だった。
やがて国王が口を開く。
「……報告は受けている」
低く、重い声。
「そなたら三人の間で、何も問題が起きておらぬ、と」
沈黙。
アルベルトは真顔。
リリエルは緊張。
レディアナは――考えている。
(“ここで動くべきか否か”)
国王は続ける。
「王太子の婚約者と、聖女候補。
本来であれば、火種の一つや二つは生まれて然るべきだ」
アルベルト、内心で(わかります)。
リリエル、内心で(ですよね)。
レディアナ、内心で(“然るべき”とは具体的にどの程度か?)。
国王の視線がレディアナへ向く。
「レディアナ。
そなたは何を考えておる?」
空気が張り詰める。
王の問い。
ここで答えを誤れば――
レディアナの思考は高速回転する。
(“悪役令嬢として正しい回答”は何か)
選択肢A:毅然と敵意を示す
選択肢B:高慢に笑う
選択肢C:感情を否定する
選択肢D:沈黙
(沈黙は戦略か逃避か。
怒りは演出か本音か。
嫉妬は開示すべきか否か。
ここで動けば物語は進む。
だが動かなければ――)
数秒。
十秒。
二十秒。
国王の眉がぴくりと動く。
「……?」
レディアナは、ゆっくりと口を開いた。
「陛下」
アルベルトがわずかに身構える。
リリエルも息を呑む。
「現在、最適解を検討中でございます」
静止。
空気、凍結。
国王「……は?」
レディアナは真剣だ。
「悪役令嬢として期待される振る舞い、
王太子妃候補として求められる資質、
そして一個人としての感情処理。
三者の整合性を取るため、
現在、最終判断を保留しております」
アルベルト、顔を覆う。
リリエル、目を見開く。
国王は、しばし沈黙したのち――
「……つまり、何も起こさぬということか?」
レディアナは、迷わず答える。
「現段階では、その可能性が最も高いと存じます」
謁見の間に、重すぎる静寂が落ちた。
国王は深く息を吐く。
「王太子」
「は、はい」
「そなたはどう思う」
アルベルトは、一瞬レディアナを見る。
彼女は真剣だ。
逃げてはいない。
ただ――止まっている。
アルベルトは静かに答えた。
「父上。
確かに、何も起きておりません。
しかしそれは――」
一拍。
「誰かが傷つく必要がなくなった、ということでもあります」
国王は目を細める。
リリエルも一歩出る。
「陛下。
私は……今の関係が、嫌ではありません」
本音。
国王は三人を見つめる。
長い沈黙の末――
「……奇妙な三人だ」
だが、怒りはない。
「しばらく様子を見る。
だが忘れるな。
王家の決断は、永遠に保留にはできぬ」
それだけ言い、国王は席を立った。
謁見、終了。
三人は廊下に出る。
アルベルトが小さく笑う。
「……怒られなかったな」
リリエルも苦笑する。
「なんとか、ですね」
レディアナは静かに言う。
「“保留”が延長されました」
アルベルトがふっと息をつく。
「レディアナ」
「はい」
「次に呼ばれたときは?」
彼女は一瞬、視線を落とす。
嫉妬。
期待。
怖さ。
願い。
未定義だった感情が、少しずつ形を持ち始めている。
「……そのときは」
ほんのわずか、微笑んだ。
「もう少し、動けるよう検討いたします」
リリエルがくすっと笑う。
「また検討なんですね」
「最適解は慎重に導くものです」
三人は並んで歩き出す。
まだ何も決まっていない。
まだ何も起きていない。
だが――
“動かない理由”が、少しだけ変わった。
次に国王が呼ぶとき。
今度こそ、歯車は回るのか。
それともまた、静止するのか。
物語はまだ、保留中である。




