第113話 南から北へ
311年2月・江夏――――――
「のう張賓、儂はこの江夏を拠点にしようかと思っているのだが、其方の意見を聞きたい」
「.............将軍、前にも申し上げた通り我ら北方の人間にとって南方の気候は大敵にございます。何故、赤壁にて曹操が孫権・劉備に敗れたかをお考えくだされ」
張賓はやれやれと顔を横に振った。
河北でしばらく転戦していたが大した戦果は挙げられず、逆にジリ貧になっていく有様に石勒は焦りを憶えていた。
この頃、青州には王弥の副将・曹嶷が出鎮しており、苟晞や苟純と死闘を繰り返しながら徐々に勢力を拡大させていた。
”このまま留まっていれぱ野心満々な曹嶷や気まぐれな王弥から攻撃を受ける可能性もある” ――――――そう危惧した石勒は南方に脱出。
そして長江や漢水の付近に本拠地を置こうとしたが、張賓から反対されたのだった。
しかし諦めきれない石勒は江夏を攻め落として武器兵糧を手に入れるとその地に居座った..........
「解らぬな 曹軍は20万を擁する大軍、その大軍がたった5万足らずの孫劉の連合軍に敗れた..........何故か? 驕りか? それとも烏合の衆だったからか?」
「将軍は今、何に悩まされておりますか?」
「疫病だ 軍の大半が病人の群れと化してる。これでは満足に戦えぬ.........かと云って北に退くのもなァ」
「かつての曹軍でも疫病が軍中で蔓延し、泣く泣く船団を焼き払って北に引き揚げていきました。北の者にとって南方の風土は毒なのでしょう」
張賓の言っていることは正しいと思いながらも石勒は苦虫をかみつぶしたような表情をしていた。
「うむ~ せっかく得た江夏を棄てるのか? せめて守将を置いてから退きたいのだが」
「名残惜しいのは分かりますが、維持は出来ますまい、将軍がここを離れれば江東に割拠している司馬睿が必ずや奪還に動くでしょう ここは早々に見切りをつけるべきです」
「..............ならば北へ退くとするか しかし仮に王弥や曹嶷に襲われたらどうする? 儂が憂慮してるのはその一点なのだが」
不安げな表情をする石勒に張賓は、たまたま地面を歩いていた2匹の蟻を指差した。
「覇業を成そうとする英雄がなんと情けない。将軍からすれば王弥や曹嶷など蟻に等しい存在でしょうに............曹嶷は今こそ野心を剥き出しにして青州を晋から掠め取ろうしておりますが、いざ得られれば他者に取られまいと引き籠もりましょう。王弥も曹嶷という軍師がいなければ何も出来ますまい」
「...............うむ」
憂いは消えなかったものの、少しばかりか気持ちが楽になった石勒は兵を放って蔵にあった兵糧を全て奪うと江夏を引き払ったのだった。




