4ー9 探し人
この男をどうしてしまおうか、リベルテがそう思ったのは一度や二度ではない。
「君は魔獣以下の知能しかないんだね」
グッと腕を引くと、握っている拘束魔術の鎖が彼を締め付ける。
無表情な顔と、何を思っているのかわからない赤い瞳に、魔獣のようだなとバカにしてやりたいが、そんなことを言ってもこの男は表情一つ変えないのだろう。
その顔がこちらを馬鹿にしているように感じ、締め付ける力を強くする。
咎める者はいない。
アルメの元に帰る前に拘束魔術師を透して魔術師抑制をかけた。その陣が男の首に現れている。
オネットは街の騎士団に状況を確認しに行っている。
今ならこの男を殴ってもいいだろう。いつだったか、自分もこの男に殴られたのだ。
そう考えていたリベルテに、声がかかる。
「リベルテか?……」
知らない声だ。老人の声……自分を呼ぶその声に、リベルテは振り返る。
何故か既視感を覚えた。長い杖にローブ姿の老人。魔術師だろう姿自体は、決して珍しい格好ではない。
「あんたは……」
老人の背後には、フローレの街で見かけた魔術師の姿があり、自ずと老人が誰か見当がついた。
「リギー・スリス……」
「良かった……本当にルガルデにそっくりだ」
老人は驚きの顔を緩め、笑った。
「リベルテさん!」
オネットの声が背後から聞こえた。駆けてくる足音に、放心していたリベルテは我に返る。
「オネット……」
一つに括った黄土色の髪を揺らした彼女は、リベルテ以外の存在に気付きそちらを向いた。
アルデラの姿に、彼女も老人が誰か、わかった様で、令嬢らしい綺麗な礼をした。
「はじめまして。魔術師総会に所属しております、オネット・ラスラスと申します。お噂はかねがね伺っております、リギー・スリス先生」
「……ラスラス……シンシア様の……大きくなられた」
「お会いしたことが?」
「一度だけ。あなた様が生まれたばかりの頃に。覚えていらっしゃらないのも無理はありません」
「それは、もったいないことをしました。スリス先生の授業を受けられるチャンスだったのに」
赤子には無理だろう、リベルテは呆れたが、リギー・スリスは面白かったようで肩を揺らした。
「確かに、私ももったいないことをしました」
なごやか……そんな空気があたりを包み、リベルテはため息を吐いた。
「取りあえず、場所を変えようか」
「待て」
リベルテがそう言うと、リギー・スリスの後にいたアルデラが師を庇う様に前に出て、制止の声を出した。
「何?」
「お前が、エグレゴアから本当に逃れたという保証はない」
「……」
「アルデラ君……」
その言葉に、リベルテは眉間に皺を寄せた。
「……どういう意味」
「忘却魔術をかけられていたんだろ。どんな治療を受けたか知らないが、記憶障害は残るはずだ。混在した記憶は思考に変化をもたらす。不安定なお前を先生に近づけさせるわけにはいかない……」
杖を構えて警戒するアルデラを、睨むリベルテ。場の空気は一変したが、オネットは落ち着いた声を発した。
「アルデラさん、それは貴方も同じでは?」
「は?何を言っ」
「先程、騎士団の元に捕らえられた人物が二人いました。事情を聞けば、この街に魔獣を召喚した魔術師だそうです」
「それがどうした? あいつらは俺と師匠が捕らえた奴らだ」
「捕らえ得たということは、あなた方の元に現れたということですね。つまり、身を隠しているリギー・スリスの居場所がバレているということ」
「……」
「私達はあなたの転移魔術を追って来ました。フローレ様の村には他に魔術師はいませんでしたし、一度追った転移魔術は痕跡が薄れますから、二度目の座標転写はできません。私達の後に他の魔術師が転移してはいないのは確定です。ですが、あなたならどうでしょうか? 貴方も昔、エグレゴアにいたのでしょう?」
「なっ……」
「いつからスリス先生の元にいるのかはわかりませんが、先生と慕う素振りをするほどです。子供の頃からそばにいらっしゃったのではないですか? ちょうど、グラン・モルデンがエグレゴアの総帥に就任した時期に」
「……」
「となれば、貴方はスパイとしてそばにいた可能性が高い。スリス先生という、魔術師の中でも最高位の人物を監視、利用するために」
「そんなことはない!」
「ですが、忘却魔術をかけられていたら」
「は?」
「忘却魔術は治療を施して治りません。一度、脳に強い傷を負うのですから。記憶障害の影響で混濁した記憶や感情が混ざり、不安定な状態になる。そうなったら…」
アルデラの背に冷や汗が垂れる。もし、知らぬ間に自身の意に反する行動を取っていたら……
「エグレゴアで従っていた記憶が、リギー・スリスの居場所を伝えた。そうすることもできまです」
「……っは」アルデラの 息が詰まった……
「冗談です、フフッ」
場を裂くように、女はクスクスと笑い、肩を揺らした。
「君ねぇ……」
リベルテが呆れた声を出した。
「すみません。意外にデリケートな方なのですね。今のは意趣返しです」
「意趣返し……貴様」
「落ち着いて、アルデラ」
師に背を撫でられ、アルデラは怒りを鎮めるようにため息を吐く。
「思慮深い方だと思っていたが……本当にラシラス公爵にそっくりだ」
「ぶっ!」
見守っていた老人にそう言われ、にこやかだったオネットは突然吹き出した。
「何? 汚い」
リベルテが引いた顔をしているが、オネットは気にせず、取り出したハンカチで口元を拭った。
「父をご存知で……」
「王宮魔術師長を知らない者はいませんよ。私も、何度かお会いしたことがありましたな。貴方のように、切れのある言葉をいただいたことはしばしば……」
眉を下げてそう言ったリギー・スリスは、ふぉふぉと笑った。
オネットも笑みを浮かべたままだが、さっきよりも引きつっているのがリベルテにはわかった。
「……もうそろそろ移動しよう。申し訳ないけど、近くにゆっくり話せる場所はあるかな?」
一応、父の師匠に当たる人物である。リベルテは、彼なりに言葉を選びながらリギー・スリスにそう問う。
「それなら私たちの家においで。結界も張ってあるから、落ち着いて話せるはずだ」
師匠の提案だからか、アルデラの顔は不服そうだったが、それ以上は何も言ってこなかった。
「そう、それじゃあお邪魔させてもらうよ……」
リベルテは頷いてそう言い、白髪の男を拘束している鎖を持って彼を立たせる。
するとリギーは、驚きを含んだ声でリベルテに尋ねた。
「リベルテ、彼の目を見せてくれ」
慌てて近づこうとするリギーに、リベルテは訝しむ。
「両目……だが、髪色は……それに顔立ちも違う……」
「彼についても、後で話すよ……」
悲壮感を感じさせる声色。
その真意はわからないが、彼に触れようと手を伸ばす老人を止めるため、リベルテは静止の声をかけた。
「あぁ、すまない……」
我に返ったリギーが、そう答える。
拘束魔術をかけられているため、彼はリベルテたちの仲間ではないようだ。
ならば、エグレゴアの人間……赤い目を見るに、多量の魔力を持っているのだろうということはわかるが、その魔力を感じ取ることができない。
ふとアルデラは、フローレの街から帰宅した際の会話を思い出す。
この男の話をしていない……師が見せた動揺に胸騒ぎがして、アルデラは目を逸らした。
その青年には、もう一つ、嫌で仕方のないことがある……




