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僕とレンが降り立ったその駅は、思いのほか雑踏に包まれていた。
降りる人も乗り込む人も沢山居て、みんな寒そうに厚い上着の前をしっかりと閉じている。
「ひゃー、寒いね」
途中、汽車の車内を歩いてきた車掌さんが言うには、今日はこれでも寒さが緩いらしい。
都よりも遥かに冷たい風が吹いていて、僕の顔は既に動くことを忘れたかのように固まっているというのに。
「…そう言うわりに、元気だね」
「だって、見て!雪ー!」
銀灰色に染まった空からは落ちるのを惜しむみたいに、ゆっくりと白い綿のような雪が降っていた。
「すごいね!こんなに積もってるの初めて見た」
都では滅多に雪は降らないから、僕たちがそれを見る機会は殆ど無い。
レンが嬉しそうに、舞い踊っている銀色の花弁に手を翳して空を見上げる。その光景がなんだか幻想的で、僕はそんなレンに少しの間見惚れた。
「リトさん!レンさん!」
人だかりの中からはっきりと聞こえた聞き覚えのある低い声に、僕とレンは見上げていた空から視線を下ろした。
「シバさん」
雪景色に同化するような灰色の作業服を着た彼は、工場長のシバさんだ。以前、工場の見学に行ったときに案内してくれたのも彼だった。
アルおじさんが迎えを頼んでおいたから、と言っていたけれど、それはシバさんだったのか。
「お久しぶりです。すみません、忙しいでしょうにこんな迎えを頼んでしまって」
彼の短い黒髪には雪が積もっていて、謝る僕にシバさんは顔の前で手を振った。
「そんな。こちらこそ、わざわざ来て頂いて申し訳ない。寒いですし、早速行きましょう」
この寒さに慣れているのか、シバさんは上着を着ていなかった。彼の薄着を見るだけで、僕は寒さに体が震える。
駅から工場までは、歩いてもそんなにかからないけれど、でも、この雪と、冷たい風の中を歩くのは少し辛かった。
僕の隣を歩くレンも先程の上機嫌が嘘かのように黙り込んで、帽子とマフラーに覆われた隙間から茶色の瞳が少し見えるだけだ。
「それにしても、よく僕たちがわかりましたね」
「ああ、おふたりとも目立ちますからね」
「そうですか?」
「リトさんも背が高いし、レンさんも遠目から見てもスタイルが良いですし。おふたりの周りだけ少し空気が違いますよ」
少し前を歩くシバさんが微笑んで僕たちを振り返る。
40代半ばのシバさんは、大学を出て直ぐに白花織物に入社したベテランだ。僕たちの屋敷にも何度か遊びに来ていて、彼の奥さんや子供にも会ったことがある。
「今日はリトさんが来るって、女子社員が朝から浮かれてますよ」
シバさんが苦笑しながらそう言って直ぐに、工場の建物が見えてきた。
ユコおばさんが社長になるずっと前から建っている白かっただろうその建物は、長い年月を表すように所々黒く汚れていた。
「寒かったでしょう、こんな遠くまでありがとうございます」
ぎい、と鈍い音を立てて、シバさんが扉を開ける。
工場に隣接して建てられた二階建てのその事務所の中には、大きなストーブが焚かれていた。
部屋に入った途端、冷え切った体を包み込んでくれるような温もりに僕はほっと息をつく。
「どうぞ、ストーブの近くに座ってください」
ストーブの直ぐ近くに置かれている、少し草臥れたソファに促されて、僕とレンは並んで座った。
「おふたりとも、宿はもう決めてますか?」
僕たちが帽子や上着や手袋、あらゆる防寒具を脱いでいる間に、シバさんは両手に湯気の上がったコップを持って僕たちの向かい側に腰を下ろした。
都から数時間かかるこの場所には一応泊まる予定で来たけれど、僕たちはまだ宿を決めていなかった。
「いや、まだです。シバさんに聞いてからにしようと思って」
「良かった、宿を取っておきました」
「え、そうなんですか?」
はい、とシバさんが微笑んで頷く。宿はこの工場から少し歩いた繁華街の近くにあるらしい。
「近くで氷のお祭りもやってるんです。ぜひ行ってみてください」
「お祭り?」
「はい、ライトアップなんかもしててすごく綺麗ですよ」
僕の隣に座るレンが見るからに顔を輝かせて、シバさんの説明に食い付く。
「リト、行きたいな」
「……言うと思ったよ」
予想通りのレンの言葉に、僕は苦笑して頷いた。
雪国らしいそのお祭りでは、雪が積もった景色を灯りで照らしていて、それはそれは美しい光景が見られるのだという。
嬉しそうな顔をするレンに僕は、レンが楽しいのならそれでいいかと、脱いだコートを再び手に取った。