幕間 <マリクの過去 その4>
翌日マリクは簡単に朝食を済ませ、待ちきれぬ思いで宿を飛び出した。
上着のポケットに入っているのは、最近届いた数通の姉から来た手紙。昨日見た青い文字の遺書と、いま手に持っている手紙の黒い文字を自分で見比べてやろうという考えだ。もしも証拠品として青いインクまでもが警備局に押収されており、さらには手紙と見比べて遺書が同じ筆跡であったならばそれはそれで仕方がない。姉が最期の瞬間に書いたのは、あの無味乾燥ともいえるたった一行の短い償いの言葉であったということだ。――だがしかし、もしも。
もしも青いインクが姉の部屋のどこにもなく、警備局にも押収されておらず、くわえて筆跡が姉のものにただ似ているだけだとしたら。
マリクは公太子宮へと続く道のりを歩きながら、上着のポケットをギュッと握りしめた。筆跡鑑定人でもない自分では赤の他人の筆跡を見分けることなどまず無理であろう、けれど生まれてから十八年間も見てきた姉の文字だ、必ず見分けはつくはずだと信じながら足を動かしていく。
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マリクが公太子宮の裏手にある警備局の建物についたのは、朝の登庁がはじまってしばらく経った頃だった。昨日もマリクが訪れたことを覚えていてくれたのか、守衛は簡単な身体検査だけで受付に行くように顎をしゃくってみせた。
建物の受付に着いたマリクは昨日の男を呼んでくれるようにと頼んだ、――が、数分後マリクの目の前に現れたのは昨日の男とは違う人物だった。出てきた男は昨日の男よりも年齢も上に見え、その目つきは鋭く、まるでマリクを犯罪者扱いするようにつま先から頭の先までジロリと眺めていた。
『あの、自分はルシア・デラルシュの弟でマリクといいますが、昨日姉の遺書……といいますか、書き置きを見せてもらったものです』
できるだけ北方訛りを消し、恐る恐るに声を掛けたマリクに対して、男は面白くもなさそうに「フンッ」と鼻を鳴らす。
『で、何の用だ?』
『いえ、昨日見せて貰った遺書に不審な点があるので……、もう一度見せて貰おうと。あと、本来であればあの遺書は遺族である自分が持ち帰るのが当然でしょうし、出来れば返してもらおうかと』
マリクの言葉に男の目が鋭さを増した。
『不審な点?』
『ええ、昨日見た遺書は青いインクで書かれていましたけれど、姉から来た手紙はすべて黒いインクでした。姉の住んでいた部屋には青いインクはありませんでしたし、もしこちらで押収されてもいないのでしたら姉はどこで青いインクを手に入れたのかと……。それから――』
それから昨日は書き置きの中身を見るのに気が向いてしまっていたけれど、自分自身の目で姉の筆跡かどうかを確かめてみたいので自筆の手紙を持ってきた。と、マリクは続けて男に事情を話した。
それを聞いた男は数秒無言でマリクを眺め、やがて何の感情も動かされなかったかのように静かに口を開く。
『そうか、残念だったな。実は君のお姉さんの書き置きは紛失をしてしまった。申し訳ないがもうここにはない』
『……はあ!?』
マリクは一瞬自分の耳がおかしくなったのかと思った。が、次の瞬間には自分でも驚くほどの大声をあげていた。
『何言ってるんですか!? 昨日見せてもらったばかりですよ! 昨日の人に聞いてみて下さい、ちゃんとここで見せてくれたんですから!』
『そのあと紛失をした。上の許可も無く勝手に部外者に見せたあとの紛失だ、彼は処分も受けて謹慎となった。残念だがそういうことだ』
『処分……、謹慎って』
マリクは目の前の男にくらべて幾分人の良さそうだった、昨日の男を思い出していた。昨日自分が無理に食ってかからなければ、彼は処分を受けることもなく、謹慎にもならなかっただろう。それを思うと少しばかりマリクの心にも同情の念が湧いてくる。だが一方で、どこかがおかしいとマリクの脳は警報を発していた。何しろ昨日の今日でいきなり謹慎処分など出るのだろうか? 昨日あれから書き置きを紛失したとはいえ、今日一日くらいは建物内を探す程度のことはしそうなものだ。それがアッサリと紛失したという。
――本当に紛失したのか?
マリクは自分と同じくらいに背の高い男の目をジッと見つめる。その目は青黒くマリクを見つめ返し小揺るぎもしない。まるでこれ以上は何を言っても無駄だ、とばかりに拒絶の色を発している男に対して、マリクは遺書とは別の角度から質問を投げかけた。
『それでは、青いインクは押収されていますか?』
『ん?』
瞬間、ほんの少しだけ男の瞳が揺らぐ。
『青いインクです。姉の部屋にはありませんでした、こちらにありませんか?』
『インクか……』
男の表情にほんの少し焦りのようなものが浮かぶのをマリクは感じとっていた。マリクの心の中の疑念が強まっていく。
『ここで少し待て』
そう言い残すと男は建物の奥へと足早に消え、マリクはポツンと受付脇の広間に残される。やがて数分の後、男は片方の頬を軽くゆがませ、嘲りの表情ともとれる顔をみせながら姿を現した。その片手に小さなガラス容器を携えて。
『青のインクだ、部屋から押収していた』
軽く手のひらに収まる程度のガラス瓶が、無造作にマリクの手に握らされる。
マリクはそのガラス瓶をジッと見つめた。さして高級とも思えない、どこにでもあるようなガラス製のインク入れ。その中には青黒い液体が半分ほど入ってゆらゆらと揺れている。
――ウソだ。
偽物だ、とマリクは思った。何かがおかしい、姉の死の裏にはなにかがある。
そう直感したマリクがガラス瓶から目を上げて男の顔を見ると、やはり男は半分嘲りの表情を浮かべてマリクを眺めている。
『ウソですね』
『なにがだ?』
『なにもかもが……、です』
マリクに正面切って言われた男は僅かに片方の目をゆがませ、また「フンッ」と鼻で笑った。
『君が何を言っているのかはサッパリわからんが、これ以上我々を侮辱するようだとしたらこちらにも考えがある。公太子宮警備局を侮辱するということは、我がセレスティア公国の公太子殿下を侮辱するのと同じだからな』
『その公太子殿下が亡くなられた事件なのですよ?』
『いや、私が言っているのは新公太子殿下のことだ。君は新公太子殿下を侮辱しようとしている。やめておいた方がいい』
『新公太子殿下……』
マリクも噂には聞いていた。亡くなったソフィリアス殿下には異母兄がいたことを。そしてその異母兄が次の公太子になるであろうという話を。
『そうだ。まあ今なら昨日無理矢理に証拠品を見せろと押しかけた暴挙と、今日返却した証拠品をウソだと言った侮辱は見逃してやる。思い違いをしないで欲しいのは、君の姉は犯罪者という訳ではないが、給仕をした責任はある。それを悔いて亡くなった、それ以上でもそれ以下でもないのだ。姉さんの死をすぐに受け入れられないのはわかるが、これ以上ここに来てももう何もない』
男は腕組みをしてマリクの前に立ち、もう帰れとばかりに顎をしゃくった。
『泣き寝入りしろということですか?』
静かな怒気をはらんだマリクの言葉が玄関広間に響く。
『泣き寝入り? フッ、そうか、君の姉さんは出稼ぎに来ていたのだったな。いくらだ? いくら貰えれば気が済むんだ? 銀貨で百枚か、二百枚か?』
この時、まだ若く十八歳だったマリクは激発を止められなかった。それこそ姉を侮辱されたと感じたマリクは男に殴りかかり、警備局の庭先で大騒ぎとなったのだった。
男に二発の拳を入れたところまではマリクの思い通りとなったものの、他の役人が多数出てきたところで取り押さえられ、半分ぼろ雑巾のようになって公太子宮の裏通りに放り出された。
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――絶対に許さない
殴られ蹴られ腫れ上がった顔をゆがませ、片足を引きずりながらマリクは思った。何年かかっても姉の死の真相を暴く、そしてその裏側にいたヤツらに復讐してやるのだと。
二十歳前の青年が服に血をにじませ、燃えるような目つきで大通りを歩く姿は一種異様な光景であった。誰もがチラチラとマリクの姿を横目で見てはヒソヒソと話をする。そんなことはお構いなしに、マリクはただ姉の死の真相をどうやって暴いてやろうと考え、大通りから宿へと向かう路地を曲がったところだった。
『お兄さん、尾行されていますよ』
と、見知らぬ小柄な少年がさりげなく声を掛けたのだ。
『尾行?』
驚いたマリクが腫れた目で小柄な少年を見ると、少年は『ええ尾行です、こちらへ』と、敏捷そうな足取りでマリクを裏通りの奥へと導いたのだった。




