幕間 <マリクの過去 その3>
『姉が書いたという遺書というか、書き置きは……、どこにあるのですか? 見る限りこの部屋にはありませんでしたが』
姉ルシアが二年間を過ごした小部屋を眺めていたマリクは、ふと入り口を振り返って公太子宮の役人に聞いた。それは最初から訊ねてやろうと用意していた質問ではなく、マリクの中では「そういえば書き置きがあったはず」という程度の意識でしかなかった。
『……ん?』
質問を受けた一人の役人が小首を傾げ、お前知っているか?、といった表情で同僚に目をやった。その視線を受けたもう一人の役人は何度か頷きながらマリクに向き直る。
『ああ、その書き置きならまだ宮廷の警備局にあるはずだが……。必要か?』
『あたりまえじゃないですか、姉の書き残したものなんですから!』
あなた達は何を言っているのだ、とマリクは憤り、姉が死の間際に書き残したという書き置きを渡すように役人に迫った。
その後、宮廷の警備局までは遠いだとか、警備局と我々では与えられた権限が違う、だとかいって抵抗する役人との無為な口論を経て、マリクはようやく警備局へと出向くことができた。二人の役人は面倒くさそうに警備局への紹介手続きをとり、「一人で行ってこい」と、その書類をマリクに渡した。
遠い遠いと二人の役人が嫌そうに言っていた宮廷の警備局は、ちょうど公太子宮の裏側にあり、姉が住んでいた住み込み部屋から行くとすれば宮殿の周囲をグルリと迂回する必要があった。マリクは一度公太子宮を出て通りを二度曲がり、ようやく宮の裏側にある警備局の建物につく。そこで前段の役人から受け取った紹介の書類を見せると、警備局の役人は疑わしそうな目でマリクの頭からつま先までを眺め、「少し待て」と言って警備局の奥へと消えていった。
待たされること半時間ほど、ようやく帰って来た警備局の役人が無表情に告げる。
『今日はだめだ、また今度来い』
『はあ? なぜです』
『上の許可が要る。許可を出す者が不在だ』
『許可って……』
実の姉が死に際して書き残したものをなぜ血縁の弟が見られないのか、誰の許可がいるのか、今日は姉の遺品を整理しに呼ばれたのだから自分は見る権利があるはずだ、などとマリクはイルタシア商人の本領発揮とばかりに役人に食ってかかる。
『頼みますから、じゃあ今日は見るだけでいいです! 姉の遺書を見せて下さい。そうじゃないとここから帰りません!』
背中に荷物を背負ったマリクが警備局の床に座り込まんばかりの勢いでそう言い出すのをみて、役人は面倒くさそうに舌打ちをした。
『チッ、わかった、そこで待ってろ』
そう告げて奥へと消えた役人が、つぎに手に持って来たのは一枚の紙切れ。大きさは大人の手のひらから半分はみ出るほどで、いつも姉から送られてくる手紙の用紙とは違って見えた。
『いいか、ここで見るだけだ』
『はい』
マリクは役人から受け取った紙切れをその目の前で広げてみせる。と、その紙切れに書かれていたのは……、思いもしないたった一行の文章だった。
――この度の不始末に際し、責任を痛感しております。死してお詫び申し上げます。
『これだけですか? たったこれだけですか!?』
読むのに五秒もかからない、たった一行の書き置きを読んだマリクが目を丸くして役人に問いかける。問われた役人は『ああそうだ』と、無表情に返した。
『そんな……』
絶句したマリクはもう一度紙切れに目を落とし、姉が最後に遺した文字を目で追う。しかし何度読んでも紙切れには「この度の不始末に際し、責任を痛感しております。死してお詫び申し上げます。」としか書かれていない。
『さあ、もういいだろう』
役人はマリクの手から紙切れをスッと引き抜き、用が済んだら帰れとばかりに手をヒラヒラとさせたのだった。
△
夜になり、姉の遺品を背負って宿に帰ったマリクは、荷物を部屋の片隅に置きベッドに横になった。一緒に旅をしてきた商隊は昨日先にセレスティアを出発しており、マリクは後から商隊を追いかけることになっている。セレスティアにいるのもあと一日か二日で、そのあとは姉の遺品とともに故郷への悲しい旅立ちがまっていた。
『「この度の不始末に際し、責任を痛感しております」、か……』
そのあとに続く「死してお詫び申し上げます。」という言葉はさすがに口にできず、マリクは静かにベッドで目を閉じる。
たったの一行。なんとも簡単で空虚、そして意味の浅い遺書だろう。普段の姉の手紙は、紙が高価なこともあって便せんビッシリに近況を書いてきたものだが、死に際しての人間の心境とはあのようなものなのだろうか。そんなことを考えたマリクは深いため息をついてベッドから起き上がり、ここ最近姉から届いていた手紙を革の鞄から取り出した。
『……ん?』
手に取った手紙を読み始めたマリクの視線が止まった。そして何を思ったのかマリクは次々に姉から来た手紙を漁り始める。
『やっぱりこれも、これも、この手紙も、全部……そうだ』
マリクが確認していたのは紙に書かれていたインクの色。姉の手紙に書かれていた文字は全て黒いインクで書かれていた。さらにマリクの記憶が正しければ、実家にある手紙もすべて黒いインクで書かれていたはずだった。
ところが今日見せてもらった書き置きに書かれていた文字は青みがかっていた。黒に比べて青の顔料は高価で、姉が買ったとすればかなりの奮発をしたこととなる。しかも最近の手紙が黒のインクで書かれていたことを考えれば、青いインクを買ったのはそれより以降のことで、当然姉の遺品のなかにはたっぷりと中身が残った青いインクがなければならない。
マリクは急いでベッドから飛び降りて、姉の遺品を集めた荷物を開いた。一つ一つの遺品は姉の匂いの染みついた大切なものではあったけれど、いまはそれどころではない。なにしろ昼間にあの小部屋で遺品の整理をしたときに、マリクは青のインク入れなどを見た記憶がなかったからだった。
『やっぱり、黒だ!』
大きな包みから荷物を広げ、全ての小物を確認したマリクの手に握られていたのは使いかけの黒のインク入れだった。
『じゃあ、姉さんはどこで青のインクを? それどころか、あの書き置きの文字は本当に姉さんが書いたものなのか……』
あの時のマリクは姉が書いた書き置きだと信じ込んで紙切れを見せてもらった。それだけに筆跡などを確認する意識もなく、どんな内容が書かれているかだけに意識がいっていた。
いま一度冷静な目で見れば、本当に姉が書いた者かどうか自分ならわかるはず。
マリクはもうすっかり暗くなった外を眺めながら、明日もう一度公太子宮に行く決意を新たにしたのだった。




