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幕間 <マリクの過去 その2>

『姉さんが、死んだって……。どういうことですか』


 見ず知らずの守衛にそんなことを言われても、マリクが納得するはずもない。それどころか北方訛りの言葉を話す田舎者を冷やかしているのだとさえ思った。


『いや、だからな、公太子殿下を亡くならせた罪を感じてだな――、その、自らの命を絶ったということだ』


『……はあ?』


 守衛の言葉の意味を理解出来ないマリクは、その長身から見下ろすように守衛をただ見つめる。


 公太子が死んだことはここ数日見聞きして知っていた。その公太子の死の責任を感じて姉が死んだ、という因果関係がマリクには到底理解出来ない。


『何かの間違いですよね』


 北方訛りで聞き返すマリクに対して守衛は再び気まずそうに目をそらし、後ろにそびえる公太子宮を仰ぎ見ながら言葉を紡ぎ出す。


『ソフィリアス殿下は貝毒で亡くなられた。その料理を給仕したのがルシア・デラルシュ、間違いなければお前の姉という女だ。その女は一昨日、公太子殿下に申し訳ないと自らの命を絶った。毒を飲んでな』


『ちょっと待って下さい! 公太子殿下が亡くなったのは知っています、それは残念なことでした。でもどうして姉が? いやそんなの信じられませんし、いまの話だと姉は給仕をしただけでしょう!?』


 なぜ給仕をしただけの姉が公太子の死に責任を感じて服毒自殺をしなければいけないのか? 責任は当然その料理を作った料理人なり、毒味役なりが負うべきではないのか? 本当に姉は死んでしまったのか、とにかく姉に会わせて欲しい。と、マリクは守衛に言い迫った。


 そんなマリクを目の前にして守衛の男は自分の手に余ると思ったのか、『ここで少し待て』と言い残して公太子宮へと入っていった。


 守衛が帰って来るまでの数分間、マリクは『今の話は絶対にウソだ、姉さんは死んでなんかいない』と必死に心に念じた。が、その願いは守衛が公太子宮から連れてきた男の言葉に粉々に打ち砕かれる。


『君がルシア・デラルシュの弟か? 今回のことは残念だった。君のお姉さんは一昨日亡くなった。我々も彼女の憔悴ぶりを心配していたところなのだが、どこから手に入れたものだか毒物を飲んで亡くなった。部屋には、殿下に申し訳ないことをしたと書き置きがあった。彼女の遺体はもう公太子宮には無い、もしよければ今から私が案内をするが――』


 マリクはその男の声を聞きながら膝から力が抜け、気が遠くなる感覚を味わった。ウソや冗談ではなく本当に姉が自殺をしたらしい、それも公太子の死の原因となった料理を運んだというだけで。


 そんな不条理にマリクは思わず男に食ってかかった。目の前の男はマリクのことを不憫に思い、姉の遺体が安置されている建物まで案内してやろうと好意で言っていることも十分に分かっていながら、マリクは目の前の相手に怒りをぶつけるしかなかった。


『――場所はここから歩いて十分くらいだ。埋葬は明日を予定しているが……』


『なぜです……』


『ん?』


『なぜ姉が死ななければならなかったのですか! 料理を作ったのは料理人でしょう? 食中毒になるような食べ物がすり抜けたのは毒味役の責任でしょう!? ただ料理を運んで世話をするだけの姉がなぜ死ななければならなかったのですか! 料理人はどうなったのですか? 毒味役はどうしたのですかっ?』


 激高したマリクの問いに男は冷静に言葉を返した。


『死んだよ』


『え?』


『両人とも亡くなった。まず毒味役だが、公太子と同じ貝毒にあたって死んだ。その貝料理を出した料理人はその夜に首をつった。そして……一昨日だ。君のお姉さんは毒を飲んで自らの命を絶った。さらに言えばその貝を納入した業者は営業停止どころか、今後はどうなることか。とにかく君も残念なことだが、我々も敬愛する公太子殿下を失って痛恨の極みだ。さあこっちだ、私が案内をしよう』


 男は棒立ちになっているマリクを促して、遺体が安置されているという場所へと歩き出したのだった。


 △


 二年ぶりに目にする姉ルシアは、変わり果てた姿でマリクの前に横たわっていた。その顔色は白いというよりは青白い色に変わっていた。毒を飲んで苦しんだのだろうか、喉には爪で掻いたような跡が残っており、その傷跡をマリクは直視できなかった。


『姉さん』


 ヨロヨロと近寄ったマリクは胸の前で組んであった姉の手に触れたものの、その冷たさに思わず手を離す。「おだやかな死顔」、と案内してきた男は言っていたが、その青白く冷たい頬に触れたマリクには到底そんな感情は浮かばない。喉を掻きむしるほど苦しんで死んだ姉の顔は、いつも微笑んでいた姉とは似ても似つかないほどの無表情に見えた。


『姉さん……、ううっ、姉さん! 俺が、俺があと数日早く来てれば! 死ぬなんてことは、ううっ、ああああ!』


 後年、マリクは両親の死に目にあった時も、この時ほどは泣かなかった。それどころか「姉に比べたら長く生きてよかったな」と、不思議な感覚で父親と母親を続けて看取ったものだった。


 とにかくここから二~三日の間、マリクの記憶は途切れ途切れでしか残ってはいない。どのように商隊の師匠に姉の死を話したのか、何を食べたのか、――そしていつ寝て、いつ起きたのかさえ全くマリクの記憶には残ってもいない。ただ翌日の埋葬の時、縁もゆかりもない国の地下深くに埋葬される姉の棺を見ながら、あまりにも姉が可哀想だという感情を持ったことだけは今でも覚えている。


 なぜ姉が死ななければならなかったのか、どうして食事を運んだだけの姉が公太子の死に責任を感じなければならなかったのか、自死をするにしてもどこから毒物を仕入れたのか。姉の埋葬を済ませたその夜も、マリクは夜半過ぎまでフツフツと沸き起こる怒りにも似た感情に支配されていた。


 △


 数日後、姉の遺品を整理して欲しいとマリクのもとに公太子宮から連絡が入った。正直に言って気が進まなかったマリクではあるが、愛した姉の遺品。自分以外に誰が引き取る者があろうかと思い直し、公太子宮へと足を向けた。


 姉の住んでいた部屋は公太子宮に隣接する二階建ての建物で、そこには公太子宮で働く下働きの女が大勢住み込んでいた。各人に個室が与えられているといえば聞こえはいいものの、その部屋は天井も低く寝る以外には何ができようかというほどの広さであった。備え付けの寝台に衣装を入れるチェスト、そして小さな小さな机以外には何も無く、遺品の引き取りなどという大仰なものでもないようにマリクには思えた。


 チェストには出稼ぎに出るときに見た姉の衣服が入っており、小さな机にはマリクや家族が書いた手紙が多数入っていた。思わず涙ぐみながらマリクはそれらを一纏めにし、さらには僅かな小銭や気に入っていた髪飾り、そして愛用の化粧道具などを荷物に加えた。


 大の大人が三人も入れば身動きすらしづらくなるような小さな部屋である。遺品整理などといっても半時もかかる訳もなく、実家に持ち帰る荷物はあっというまに整理が出来た。


 姉であるルシアの遺品を一通り背負ったマリクは、その姉が二年間を過ごした小部屋を最後に振り返って眺める。飢饉などがおこらず夫となるべき男のもとに嫁いでいれば、本来であれば子どもを産んで幸せな家庭を持っていたかもしれない。そんな今さらどうしようもないことを想像し、大きくため息をついたマリクの脳に、ふと一つの疑問とも疑念ともいえない事柄が思い浮かんだ。


 まさかその質問が自分の運命を変える切っ掛けになるとは、このときの彼は知るよしもなかった。しかしマリクは気がついたのだった、姉が自らの命を絶った時に書いたといわれる書き置きがこの部屋には無かったことに。


『姉が書いたという遺書というか、書き置きは……、どこにあるのですか? 見る限りこの部屋にはありませんでしたが』


 部屋の入り口に立っていた公太子宮の役人二人はマリクの質問に当惑した表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせて首を傾げるだけだった。

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