第31話 ルアンの過去
「ねえサラちゃん、お湯、熱くない?」
「……はい、平気です」
「それにしてもサラちゃん、色白いよね。髪は赤いのに」
「えっと、セリアさんは綺麗なブロンズの髪ですよね。羨ましいです」
サラの目の前にいるのは、長いブロンズの髪をアップにしてお湯に浸かっているセリア。自分に比べると本当に大人の女性という身体つきに、どうしてもサラは引け目を感じてしまう。
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先ほど四人で食べた夕食は美味しかった。スピルスとセリア、そしてルアンの三人は本当の兄妹のようで、言いたい放題に言い合っていた。夕食を食べながらもセリアはルアンのことをからかったり、それに対してルアンはムキになって言い返したりをしていた。そんな光景を見ながらサラは楽しいと感じながらも、どこか寂しいような思いにも捕らわれる。それはサラにはこういう兄妹も、従兄弟も、誰もそういう存在が近くにいなかったという寂寥感でもあった。
夕食後、サラをお風呂に誘ったのはセリアの方から。もちろん最初はルアンをからかって、一緒にお風呂に入ろうとセリアはルアンに言ったのだけれど――。
大陸でも南に行くに従って入浴の習慣が身近になってくる。それは気候的な話で、どうしても湿度も気温も高い南の地方はお風呂の習慣が好きなのだ。対して北にあるアデリーは大陸の真ん中、乾期はもちろん雨期でもそれほど湿度はない。したがって入浴というよりは大きなタライにお湯を張って、髪を梳き身体の汗を流す程度の沐浴が主で、公衆浴場へと行くのは月に数度という具合だった。
しかしいくら南の地方が風呂好きとはいっても、各個人の家すべてに石造りの風呂がある訳ではない。今日泊まっているエルドリカ家のように、多少裕福な商家や貴族の家の他は公衆浴場に入るのが普通で、そういう意味ではセリアはお嬢さん育ちとも言えるのであった。
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「でさあ、サラちゃん」
ランプの炎が揺れる浴室で湯船の方からセリアが話しかける。洗い場で髪にお湯を掛けていたサラが「はい?」と濡れた髪を振って見上げると、そこにはイタズラ娘のような顔つきで笑う茶褐色の瞳があった。
なんのことやらと小首を傾げるサラを見ながら、セリアがクスリと笑う。
「ねえサラちゃん。ルアンにはもうその白い身体を見せてるんでしょ?」
「へっ?」
「『へ』じゃなくて、ルアンとはもうしてるんでしょ?」
いったいセリアが何を言っているのか、一瞬サラには理解ができなかった。ただ自分の身体の方を指さし、半分疑わしそうな、そして半分羨ましそうな目をしているセリアを呆然と見返す。濡れた赤みがかった髪からはポタポタと雫が落ちて、その何滴かがサラの目に入った。
「だってアデリーからここまでルアンと一緒にいたんでしょう? 一週間以上も夜を過ごして『何もありませんでした』ってことはないんじゃない。ねえ、もう済んじゃってるんでしょ?」
「あ……、あ……、あのっ」
ここでようやくサラはセリアの言っている意味が分かった。ただ分かったとはいえ、ルアンに抱かれましたとは簡単に言えない事情もサラにはある。なにしろ妓館で働いていたことや、そこで出会ったなどということはさすがにこの兄妹相手にさえ、ルアンとサラの二人は言っていない。
「もう、別に隠すことないじゃない。もしサラちゃんが十五や十六だったら、さすがにアイツの顔をぶん殴ってパンパンに腫らしてやるんだけど、まあ十八だったらギリギリしょうがないって感じかな。で、どうなの?」
前のめりになって石の湯船にのりかかり、サラに詰め寄るセリア。完全に否定するのはおかしいし、かといって本当のこともサラには言えない。真っ赤なウソをつくのはジェリエラの信徒としてできないし、そんなサラにできることといえば、ただ黙って頷くことだった。
ランプの炎でも分かるほどに真っ赤な顔をしたサラが、コクリ、と頷くのを見てセリアは「あ~あ」と言いながら湯船に深く浸かる。
「チッ、ルアンの奴! アイツさあ、アタシには結局全然手を出してこなかったんだよね……。やっぱり子どもの時にちょっといじめすぎたのかなあ、でも可愛かったんだよねえ、アタシも弟欲しかったし」
「可愛かったんですか?」
「そりゃあもう可愛かったよ! まあ喧嘩もしたけどね。いつだったっけなあ、ルアンがウチに預けられてた時にさあ、アタシと大喧嘩になってアイツが熟したザクロをぶつけて来たんだよね。だからアタシはルアンを引っ捕まえたうえにズボンを脱がせてルアンのあそこにレモンの汁を搾ってやったんだ。そしたらやっぱり滲みたのかなあ、泣きながら水で洗ってさあ、可愛かったなあ」
熟したザクロの実をぶつけられたら色々と大変だったとは想像できるけれど、それに対抗して男の子のあそこにレモンの汁を搾ったセリアも凄いとサラは思う。昼間は聞きそびれたけれど、これが「レモンの人」の正体だったのかとサラは思わず呟いた。
「それで、レモンの人って……」
「え? なに」
「いえ、今日峠の茶店でレモンの炭酸水を飲んだ時に、ルアン様が『レモンか、アイツ元気にしてるのかな』って言ってたんです。だからレモンの人って勝手に名前を付けてたんですけど」
「アハハ。なんだ、ルアンもアタシのこと一応気にしてくれてたんだ。そっかそっか、アハハ……」
と、それからセリアはルアンと自分たち兄妹の子ども時代の話をサラに聞かせた。父親の商売に連れられてルアンが最初にここに来たのは七歳か八歳の頃。ちょうど父親同士が仲が良かったことと、それからルアンが母親を亡くしていたこともあり、ルアンの父親が大陸の仕事をするときにはよくエルドリカ商店に預けられたらしい。短いときなら三~四日、そして長いときには一ヶ月近くも一緒に過ごしたという。「子どもの頃から本当に可愛かった」というセリアの言葉とは裏腹に、セリアはルアンに色々と姐さんぶったことをしたといった話。
「いつ頃だったかなあ……アタシが十五になってたかなあ、なってなかったんじゃないかな。ずっと勝ってたアタシが喧嘩でルアンに負けたんだよね。まだ身長は追い越されてなかったんだよ、でもね、そのとき肌で感じたんだ、『ああ、ルアンはここのところずっと手を抜いてくれたんだ』って。そのあと一年くらい会わなかったら、もうルアンはアタシの身長を越してた。その時かな、弟じゃなくなったルアンに惚れちゃったのは……」
昔話をするセリアと同じ湯船に浸かりながら、不思議な思いでサラはその話を聞いていた。サラがルアンと出会って一週間と少し、その間サラだってルアンからいろんな話を聞いている。けれど自分の全然知らないルアンの過去があって、そこにはもちろんルアンの色恋の話もあって、という事実を改めて耳にすると、いまのサラとルアンの関係もいずれ過去の話になるのではないかとサラは嫌なことを想像してしまう。
そんなサラのことを知ってか知らずか、セリアの話は続く。
「――で、ほら、大きくなってもうお父さんと一緒に商売の手伝いをするようになったら、ウチにルアンが預けられるようなこともないじゃない? だから何日も何日も姉弟みたいに一緒にいる時間もなくなってさあ、一年に一回か二回会うだけになって、それから数年経ったらルアンのお父さんがあんなことになって……。やっぱりあの時ルアンを強引に奪っちゃえばよかったかなあ」
「え? ルアン様のお父さんが、あんなこと、って……」
サラがボソリと口にした疑問に、セリアはハッとした顔をする。湯船の中で見つめ合って数秒間の後、しまったという表情に変わったセリアが唇に人差し指を立て、聞かなかったことにして欲しいとサラに言った。
「ごめん、サラちゃん。ルアン、この話してなかったんだね、聞かなかったことにして。アイツ、怒りはしないだろうけど気分は良くないよね、きっと。アタシ口が軽いからなあ……、ねえサラちゃん、ルアンからはどんな話を聞いてるの?」
「ルアン様からは、お母さんが小さいときに亡くなった話とか――」
サラにはルアンのことで隠すようなことは妓館の話以外には無く、商売の話や、いろいろな国や地方を巡った時の話を聞かされたとセリアに告げる。その話を聞いたセリアは少しサラのことを羨ましそうにしながらも、「やっぱりね」と小さなため息をついた。
「お母さんがいないこと以外は、家族や家の話はサラちゃんにはしてないか。そうだよね」
「なにか、あるんですか?」
「まあルアンの家もいろいろとね。でもサラちゃん、あなたからはルアンに聞かないでやって欲しいな。きっとね、いつかサラちゃんにならルアンは家族のことも全部話すと思うから。だってさ、アイツが特定の女の子と旅をするなんて、サラちゃんが初めてだろうし、サラちゃんのことを大事に思ってることは間違いないとおもうよ。少なくともアタシよりはね、アハハ」
「そんなこと!」
「さあ、あがろう。こんなに長風呂したらのぼせちゃうよ」
石の湯船からザバッとあがったセリアの裸は背が高く女らしい身体つきで、それを目の当たりにしたサラは一瞬自分の母親を思い出したのだった。




