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第29話 アンタ、誰?

「それにしてもサラちゃんは美人だな。悔しいけどセリアが勝ってるのは……まあ、身体の大きさだけだな」


「いや、だから。なんでセリアと比べるんですか? もう嫁さんに行ったんでしょ? いいじゃないですか、それで」


「ああ、ルアンがセリアを嫁さんに貰ってくれなかったからな」


「だ、か、ら! なんでそこに俺が出てくるんですか!」


 薬草の調合部屋に通されたサラとルアンは、エルドリカ商店のいまの店主であるスピルス・エルドリカとお茶を飲んでいた。その声の大きさにサラはまだ慣れなかったけれど、スピルスは優しくお茶と茶菓子を出してくれていた。見るからに力のありそうな太い腕、四角い顔に黒い髭、そしてルアンの倍くらいありそうな胴回り、どれを見てもスピルスがルアンより五歳だけ年上などとはサラには思えなかった。


 スピルスからは二人の関係をひとしきり官憲の取り調べのように受け、老夫婦の時と同じようにジェリエラの信徒であること、そして外の世界を見るためにテルム王国から連れ出したことなどをルアンが説明した。スピルスはルアンの説明を「フンフン」と聞きながらも、しつこいように何度も「で、お前はサラちゃんのどこに惚れたんだ?」と言ってルアンを困らせていた。


「サラちゃん、コイツには気をつけろよ。俺の妹のセリアをこっぴどく振りやがったんだからな、コイツは」


「だ~か~ら、俺は昔からセリアに虐められてたんですって!!」


 そしてさっきから何度も話題に出てきているセリアなる女性。その女性はスピルスの妹で、ルアンより一つ歳上の女の人だとサラは聞かされた。


 とにかく大人になってもセリアの背は高く、ルアンよりも少し低いくらいだという。そしてルアンの聞いていた話では一年ほど前に他家に嫁いだという話だったのだが。


「それにしてもなあルアン、これは偶然だな。今日はアイツが帰って来てるんだ、『あんな旦那には呆れた』って言って家を出てきてな。跳ねっ返りも困ったもんだ、こんなことだからお前が嫁に貰ってくれたらと思ってたんだが……」


「はあ?」


 ルアンはスピルスの話を聞き、呆然とした表情を見せる。


「なんですかそれ、そんな話聞いてませんよスピルスさん!」


「ああ、ルアンには今はじめて言ったからな」


 澄ました顔でそういうスピルスを見て、サラはいつか同じようなことをルアンに言われたな、と記憶の糸を辿る。あれはそうだ、アデリーで質屋探しをしていた時に、ルアンの母親が死んでいたことを初めて聞かされた時のことだと思い出す。あれからもう一週間以上が経つけれど、サラの感覚ではもっと長くルアンと一緒にいるような気がする。


 そんなことを思いながら、あんぐりと口を開けたままのルアンを横目で見ると、なんだか困ったような、それでいて困っていないような複雑な表情に変わっていくのがサラにも分かる。


「なんだ、その微妙な顔は? ルアン、さてはお前セリアにサラちゃんを見せるのが嫌なんだろう、そうなんだろう? アハハハ」


 スピルスにそう揶揄されても、「ぐっ……」としか言えずに言葉を飲み込むルアン。そんなルアンを見ていると、いったい「レモンの人」であるセリアがどういう女性なのかサラにも興味が湧いてきた。


「あの……ルアン様。そのセリアさんて、『レモンの人』なんですか?」


 サラの言葉に反応したのはルアンではなく意外にもスピルス、それもサラが思わずビクッとなるような大声で笑い出したのだ。


「レモンの人? ブッ、こいつは可笑しいや! グアハッハッハ、レモンの人か、確かにそんなこともあったなあ! なあルアン? グアッハッハッハ」


「えっと、ルアン様?」


 大声で笑うスピルスを仏頂面で眺めていたルアンが、何かを言おうと口を開いたまさにその時だった、店の入り口の方から女性の声が調合室に届いたのだ。


「ねえ兄貴、おもてに荷馬車が停まってるけど、だれか来てるの?」


 その声は若い女性の声ではあったけれど、サラのように細くて可愛らしい声ではなく張りのあるやや大きめの声だった。もしかするとこれが噂のセリアだとすると、声の大きさは兄妹で似ているのかも、などとサラは一瞬思う。


「おーいセリア、ルアンだ! ルアンが来てるぞ!」


 わざとらしくスピルスが大声で呼びかけると、「え? ルアン! ルアンが来てるの!?」と、若い女性の声の質が変わる。


「チッ」


 珍しくルアンが舌打ちをするのを打ち消すように、バタバタと帳場の方から足音が聞こえる。サラにはその足音がなんとなく弾むような、楽しそうな足音に聞こえて、上目遣いにルアンの様子を窺った。すると、ルアンの様子は舌打ちをしているものの、さっきと同じようになんだか困ったような、それでいて困っていないような複雑な表情のままだった。


 ルアンの表情をサラが観察していたのも数秒のこと。パタパタと嬉しそうに近づいてきた足音はすぐに近くまで来て、やがて何か人のようなものがサラの横を通り過ぎたかと思うと、それがルアンの方へと一直線に飛んでいった。


「ルアーン! 久しぶり!! やっぱりねえ、男は自分より強くないとダメよねえ! よーし今日は久しぶりにお姉さんと一緒にお風呂に入ろうか!?」


「うわあ! セリア、離れろ!」


「ひゃっ」


 何の脈絡もなく目の前で起こった出来事を、サラはすぐには理解出来なかった。サラの目の前の状況は、長いブロンズの髪を後ろで束ねた女性がルアンに抱きついていた。半袖のシャツに男の人が履くようなズボンを履いて、椅子ごとルアンを抱きしめるようにして頬ずりまでしている。それが恐らくレモンの人であるセリアだとは認識はしていたものの、顔を近づけそのまま口づけをするのではないかと思うような行動に、ただ「ひゃっ」と発した口の形のままサラは固まってしまった。


「ねえルアン? そろそろ身を固めてもいいんじゃない、観念したら? アタシも二十五になったしさあ、まずは一緒のお風呂で――」


「セ、セリアッ、お前、人妻だろう! 嫁さんに行ったんだろう! もう俺をからかうのもいい加減にしてくれ!」


「行ったけどさあ、やっぱりねえ、ルアンに比べたらねえ」


 その女性は大柄で、椅子に腰掛けたルアンをそのまま押し倒しそうな迫力があった。ゴクリ、と喉の奥を鳴らしてようやくサラが小さな声を出す。


「……一緒に、お風呂、ですか」


「サラ! 違う、違うぞ! 絶対に違う!」


 必死にサラの方を向いてルアンが何かを否定する。それがお風呂のことなのか、それともセリアと何かがあったことなのか、そんなこともまったく分からないサラは、身を硬くして呆然と二人を見つめているだけだ。


 やがてルアンの視線の先に気づいたセリアが大きく後ろを振り向いた。身長はサラがいつもルアンを見上げているくらいに高く、そして顔立ちは可愛らしいというよりは断然凜々しいといった印象。均整の取れた身体つきは大人の女性らしく出ているところは立派に出ていてサラとは違う。意思の強そうな目、そして引き締まった口元はサラを脅しているようにさえ見える。


 振り返ったセリアの瞳にようやくサラの華奢な姿が映ったのだろう、セリアは腰に手を当て、小首を傾げながらサラに問いかけた。


「アンタ、誰?」


「ひっ……」


 射すくめるような茶褐色の瞳を目の前にしたサラは、今日何度目になるだろうか、短い悲鳴をあげることしかできなかった。

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