3日目
ふと、思い出したかのように目が覚める。
本当に目が覚めたわけではないようで、私は自分が夢の中にいるのが分かった。
何かを思い出したように感じる。ただ、それが何かは分からなくて。
家を歩き回ったことは覚えている。
何かを探していたことは覚えている。
ただそれだけを覚えたままに、今度こそ本当に目が覚めた。
一瞬、数瞬、そして数秒の間、私は夢か現実か分からなくなり、天井を見つめる。
そして、アムの存在を思い出し、ここが現実だと認識する。
ああ、そういえばさっきまでの私の記憶の中には、知らない家があって、アムがいなかったではないか、と。
だが、辺りを見回すとアムがいないことに気が付く。
『私は絶対急にいなくなったりしない。約束する』
昨日、電車の中で言われた言葉がフラッシュバックしたときにはもう、私はベッドから跳ね降りていた。
いない。リビングにも、キッチンにも、もちろんお風呂場にも。
アムを探していたせいだろう。母が起きてきた。
「どうしたの、こんな朝早くから……」
そう言われて時計を見ると、まだ6時になっていなかった。
「あの、お母さん、アムは……アムを知らない?」
「アム?なあに、それ?」
私の焦燥は、そのひとことで絶望に変わった。
「ちょっと夢、大丈夫?まだ体調悪いの?」
母が心配して私の顔色をうかがう。
だが、私は呼吸するのが精一杯で、声を上げることなどできなかった。
アムがいなくなってしまった。
突きつけられたその現実は、私の胸に大きな穴を空けた。
私はその日、また学校を休んだ。
1日中、アムのことを考えていた気がする。
アムが読んでいた漫画を手に取ると、アムがどういう思いでこれを読んでいたのか考えてしまって、ただ涙が止まらなかった。
パソコンの履歴を見ると、確かにアムが見ていたお笑いの動画があって、私は泣きながら笑った。ほんの少しだけ、元気が出た。
アムは幽霊。それは最初から分かっていて、こうなることもきっと分かっていた。
でも、私はそれでも悲しかった。
「約束なんかすんなよ……」
椅子の上で膝を抱えて、私は呟く。
せめて、そう思っててくれ、くらいで良かったのに。消えることもあるって教えてくれればまだマシだったのに。
いや、しかし、それでも私は勝手に信じていたのだろうか。
「……」
きっと、信じていたに違いない。
私は、アムの言っていたことの意味を今更ながらに理解する。
それは、信じても信じなくても変わらないのだ。受け入れがたい現実があっても、どちらにせよいい結果だけを信じているのだから。だってそうでなくちゃ、人間はその瞬間を生きていられない。あとは、無駄に悩むか、悩まないかの違いだけ。
「ごめん。急にいなくなって」
声がして、ふと急に気配が漂う。
顔を上げて、窓の方を見ると、すっかり暗くなった空を背にアムが立っていた。
ただ以前と違うのは、彼女の後ろで揺れているカーテンが透けて見えることだろうか。
「アム……?」
私は、鼻水をすすって、ぐしゃぐしゃの顔をハンカチで整える。ただ、涙だけは静かに流れて、止まらなかった。
「ごめんね、急にいなくならないって約束だったのに」
私は首を振る。
「いいの。おかえり、アム」
しかし、そう言われたアムの笑顔には昨日までの爛々とした覇気がなく、返事を迷っているようだった。
「……外、出てもいい?」
時刻は九時過ぎ。お母さんはもう帰ってきているし、門限も過ぎている。いつもならば、到底外になど出られないが、私は躊躇うことなく外に出た。
桜広場と呼ばれている市営の公園は、明日から花見解禁である。
街路灯の灯が僅かに入り込む薄暗い公園を、私たちは手を繋いで歩いていた。
「流石に場所取りもいないね」
アムが呟く。
「人気なとこだと、前日の晩から場所取りしてるって人もいるんだよ」
「そうなんだ」
「それで泊まるのは禁止、ってなったりね」
アムは笑いながら喋る。昨日までと何も変わらない調子で。
しかし、その姿、雰囲気がどんどん薄くなっていた。握っている手も、今にもすり抜けてしまいそうで。
「着いたよ」
アムにそう言われて周りを見渡すと、どうやら一段と広い空間に出たらしい。暗くてよく見えないが、周りは桜の木に囲まれているようだ。
「ここは……」
「私が今日思い出した、思い出の場所」
アム曰く、誰と来たかも、いつ来たのかも、覚えていない。しかし、ここがアムの短い人生の中で最も楽しかった場所なのだという。
「実は今日、自分家思い出しちゃったんだ」
私は、今朝見た夢を思い出した。きっと、あそこがアムの家なのだろう。
「気が付いたらいつの間にか家にいてさ。一生懸命家族の写真とか探してたんだ。でも何にもなくて。外を見たら、空き家になってたよ」
胸に痛みが走る。アムが悲しい思いをしているかと思うと、それだけで胸が痛んだ。
「でも、別に寂しくないよ。何となくだけど、そうやって色々忘れちゃったせいで夢と出会えた気がするんだ」
私が顔を上げると同時に、ふっと一瞬明かりが灯った。そしてそれは瞬くように点滅して、一陣の風と共に点灯した。
桜が舞う。
「……もう、行っちゃうの?」
今度こそ本当に分かってしまう。彼女のタイムリミットが。
「うん、そうみたい」
アムが逝ってしまう。私はまだ何もできていない、という後悔が押し寄せる。
そのとき、私はようやく気が付いた。アムを何故受け入れられなかったのか。ただ、失うことが怖かったのだ。大きなものを失うかもしれないということに、恐怖を抱いていた。しかし、アムは十分に愛しい存在になっていて。
嫌だった。今すぐアムの胸に飛び込んで、泣きたかった。今度、海浜公園に遊びに行ったときは、遊園地で遊ぶ約束だったのに。
もう叶わない光景が目に浮かんで、涙が滲む。
アムの体が、私を包み込む。
「夢、ありがとう。私、最後にあなたに出会えて本当に良かった」
アムが泣きながら言うから、私もつられて泣いた。
「私も……良かった」
後悔はあった。でも、あの一緒に見た花畑の光景は一生忘れない。
「忘れないから」
「うん」
「アムのこともっ……一緒に見たお花……畑も……」
声がうまく出ない。今にも声を上げて泣き出してしまいそうだった。
「うん、私も、絶対忘れないよ」
アムの温もりはほとんど体が透けてからも、まだ暖かかった。
でもその温もりも段々と感じられなくなって。
アムが、すっと体を離した。
「じゃあ、またね」
アムが笑っていたから、一生懸命涙を堪えて、私も笑った。
「うん、またね」
私たちは、笑顔で別れを告げた。
アムが消えた後で、私はこらえきれずに声を上げて泣いた。




