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1話 若き少尉、ハインケル・ヴァイス

1930年4月


ベルリンを離れた列車は、春のドイツを駆け抜けていた


窓の外には広大な農地が広がり、その先には小さな町並みが見える

ハインケル・ヴァイスは静かに景色を眺めていた


膝の上には士官学校卒業時に受け取った書類と、新しい任地への辞令が置かれている

今日から彼はドイツ陸軍少尉として新たな人生を歩み始める


車内では数人の乗客が新聞を広げながら話していた



「失業者がまた増えたらしい」


「政治家は口ばかりだ」


「ドイツに未来なんてあるのかね」



重い空気が漂う

1919年の大戦の敗北から十年以上が経っていたが、ドイツは未だその傷を引きずっていた


ハインケルは何も言わなかった

反論もしない

同意もしない


ただ静かに耳を傾ける


彼には分からなかった

ドイツがどこへ向かうのか

この国が再び立ち上がれるのか


だが一つだけ確かなことがあった


自分はその未来を見届ける側の人間になるということだった


列車はやがて目的地へ到着した

ハインケルは荷物を持ち上げ、ホームへ降り立つ

冷たい春風が軍服を揺らした


その日から彼の軍人としての人生が始まった




部隊に到着したハインケルは、早速上官から施設の案内を受けていた



「本日より、この部隊に配属されたハインケル・ヴァイスであります!」


すると上官が厳しい顔で答えた


「貴様がハインケル少尉か、話は聞いているぞ」


「士官学校では随分、優秀だったそうじゃないか」


「だが、ここではそんな成績などは無意味に等しいと覚えておけ!」


「はっ!」



そして上官はそのまま施設内を案内した

訓練場を横切ったその時だった

怒鳴り声が響く



「またお前か、ローラント!」



視線を向ける

そこには一人の若い兵士が立っていた

金髪で背が高く、どこか不敵な笑みを浮かべている



「俺はただ思ったことを言っただけです」


「それが問題なんだ!」



周囲の兵士たちは呆れたような顔をしていた

どうやら日常茶飯事らしい

ハインケルは思わずその男を見つめた


その兵士は上官に叱られているというのに全く動じていない

むしろ楽しんでいるようにすら見える

その男こそハインケルの後の親友、ラインズ・ローラントだった

後にハインケルの人生を大きく変える存在になる男である



数日後

訓練中のことだった

若い少尉であるハインケルは、小隊を指揮する機会を与えられていた


訓練内容は単純だった

想定された敵陣地へ前進し、占領する

ハインケルは教本通りに命令を出した


しかし途中で一人だけ動かない兵士がいた

ラインズだった



「ローラント、前進しろ」


「嫌です」



周囲が静まり返る

少尉への返答とは思えなかった



「理由を聞こう」


「正面から行けば全員撃たれます」


「これは訓練だ、規定通り進め」


「訓練だからこそですよ」



ラインズは前方の地形を指差した



「右側から回り込めばもっと簡単に行けます」



ハインケルはしばらく考えた

感情で怒ることはしない

もう一度、地形を見返す

敵の位置を見る

そしてもう一度考える


結果として、ラインズの言う通りだった



訓練終了後

ハインケルはラインズの元へ向かった



「すまない、君の判断は正しかった」



ラインズは目を丸くした



「怒らないんですか?」


「なぜ怒る必要がある」


「普通は怒りますよ」


「正しい意見を出し、部隊を救った者に何を咎める必要がある」


するとラインズが不思議そうな顔で答える


「救った?これは訓練ですよ」


「訓練だからだこそだ、これが実戦なら私は一個小隊を全滅させていた」


「君の作戦に私は救われたよ、感謝する」



ラインズは数秒黙った後、大声で笑った



「面白い人ですね、少尉殿」


「どうやらあんたは他の上官とは少し違うらしい」



するとラインズが笑顔で言った



「どうです少尉、少し付き合いませんか?」



それが二人の友情の始まりだった



夕暮れ

兵舎の外

ハインケルとラインズは並んで座っていた

赤く染まる空を見上げながら、二人は互いの過去について話し合っていた



「え!あんた21歳なのか!俺と同世代じゃないですか!」


「しかもハンブルク出身とは驚いたなぁ」



ラインズはとても嬉しそうに話し続けた



「それじゃあ、これからはタメ口で話させてもらうか」


「調子に乗り過ぎだぞ」



そんな会話を続けて少し落ち着いた時、ラインズが唐突に問いかけてきた



「少尉はドイツが良くなると思うか?」



突然の質問だった

ハインケルは少し考えた



「分からない」


「未来とは誰にも分からないものさ」



ラインズは笑う



「俺は良くなると思います」


「なぜだ」


「そうなって欲しいからです」


「おかしなことを言うな、だが私も正直同意見だ」



単純な答えだった

だがハインケルは嫌いではなかった

二人はしばらく無言で空を見上げた



その日の夜


ベルリン

小さな喫茶店の窓際


新聞記者のエリーゼ・ホフマンは紅茶を飲みながら腕時計を見ていた



「遅いわね」



そう呟いた直後

扉が開く

軍服姿のハインケルが現れた



「悪い、待たせた」


「15分の遅刻ね」


「たかだか15分だぞ?」


「遅刻は遅刻よ、全く….」



エリーゼは呆れたように笑った

ハインケルも小さく笑う

幼い頃から変わらないやり取りだった


紅茶が運ばれてくる

二人は近況を語り合った


軍の話

仕事の話

昔の友人たちの話

穏やかな時間が流れる

やがてエリーゼが尋ねた



「それで?将校になった気分はどう?」


「まだ実感はないな」


「随分と謙虚なのね」


「そうか?」


「普通なら有頂天になってるわよ」



ハインケルは苦笑した

しばらくしてエリーゼは窓の外へ目を向けた

街には不況の影が残っている



「ねえ、ハインケル」


「この国は変わると思う?」



その問いにハインケルは少し考えた

そして答えた



「変わらなければならないさ」



エリーゼは静かに頷く



「良い方向に?」


「そう願っているよ」



それが今の彼の本心だった

二人はしばらく無言のまま紅茶を口に運んだ



別れ際

店の前

春の夜風が吹く



「身体には気を付けなさいよ」


「分かってるよ」


「本当に?」


「多分な」



エリーゼは笑った



「あなたなら大丈夫よ」



ハインケルは少しだけ空を見上げる

そして小さく頷いた




その夜

宿舎の机に向かい、ハインケルは日記帳を開いた

新しいページにペンを走らせる



「1930年4月」


本日、私は新たな部隊へ配属された

祖国は苦境にある

だが私は信じている

この国は再び立ち上がると

私はそのために全力を尽くそうと思う



書き終えるとペンを置く

窓の外では静かな夜が広がっていた

そしてそのまま静に目を瞑った



この時のハインケルは想像もしていなかった

この先、自らがどれほど大きな時代のうねりに飲み込まれていくのかを

そして、どれほど多くのものを失うことになるのかを


今はまだ

何も知らなかった


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