78 刑事
(78)
手の指…いや、正確には親指、人差し指の平に丁度良い具合に挟まれたサイズの物体。
まじまじと真帆は見る。
それは紛れもないICチップの形をした印刷回路だった。
(何や、コレ…)
心の疑念が顔にありありと浮かぶ。それは被る帽子では隠しようが無い程はっきりと側に立つコバやんにも見てとれた。
真帆はその疑念の表情のまま友人に言う。
「…コバやん。これ何よ?」
訊かれた友人は頭を掻く様な素振りをして答えようとしたが、不意に口を開けたまま、視線を真帆の背後を凝視して止まった。
目の前で突如動画が停止したような動きをしたコバやんに真帆がイラつく。だから声に勢いがついて出る。
「ちょっ、何よ!!コバや…」
(…ん!!)と真帆が言おうとした時、背後から急に声が圧し掛かる様に被された。
「ちょっと、君等!!」
それは太くて重い大人の声。
真帆はチップを手にしたまま振り返った。コバやんの視線はそちらを見たまま動かない。
振り返る真帆の視線の先には芝を歩み寄る白い手袋をした恰幅の良いスーツ姿の男が見えた。
男は髪を短く角刈りに切りそろえ、肩は厳つく張り出して睨むような視線でこちらにのしのしとにじり寄って来た。
そして立ち止まるとじろりと二人を見た。それはまるで柔道家の様な覇気を籠めた圧を張り出し、背後に制服の警察官を従えている。
真帆にもそれでピンときた。
勿論、この男の正体である。
若しかしたら人生初かもしれない。
そう、それは…
(コイツ…刑事やな…)
真帆がごくりと唾を飲みこんだ。
コバやんは視線を恰幅の良い男から動かすことなく、だが、自分達を取り囲む警察官の動きをまるで匂いを嗅ぐ犬の様に鼻をヒクヒクさせている。
「…聞くけど、此処で何をしてるんや?」
言いながら男の視線は真帆の指先に集中している。集中というか、それを手にするために現れたような勢いがあった。
「…いや、何って」
真帆がコバやんを見た。
「なぁ…コバやん」
彼はまだ鼻を犬の様にヒクヒクさせている。強度の緊張がそうさせているのかもしれない。
真帆は思った。
(…アカン、これは使いモンにならんわ)
そう思うと息を吸った。それから腹に力を籠める。練習で歌う時の様にすると真帆は声を出した。
「何もしてないで」
声に嘘のように力が入る。複式呼吸で鍛えた声量が声を押しだしすぎた。だから余計に囲む警察官達に怪しまれてしまった。
「嘘つけ」
苦笑交じりに角刈りの男が言葉で応える。
「嘘ちゃうわ」
心の中で小さな焦りを懸命に抑えながら答える。そしてごく自然な動きで手をポケットに仕舞おうとする。
だが、その手を男の声が押さえる。
「アカン!!それ、こっちに出しや。綺麗な子」
(えっ!!)
真帆は思わず手の動きを止めた。
(このデカ、…今、ウチの事…、何て言った?)
で、手が止まった自分を照れた。
「出しや、それ」
刑事が真帆を見て言う。
だが、真帆の心は今別次元にいる。
――『綺麗』と言われて浮かれた次元に。
(…はじめてかもしれない、綺麗なんて言われたの)
刑事は勿論、知らない。真帆が今、別の次元に心を飛ばしているのを。
だからあまりの反応の無さに余計怪しさが増してしまい、警察官達は彼等に対してにじり寄る様に囲みを強くした。
とんでもない事態かもしれない。
だが、別次元に心が飛んだ真帆と強度の緊張で鼻がヒクついているアフロの組み合わせはどこか滑稽に見えた。どちらにしても異常な現象が其処に現れているのを勿論公園に遊びに来ている家族達は見る範囲で知る由もない。
――そう、滑稽以外には。
だが刑事は滑稽でもしなければならないことがある。それは怪しいと睨んだ物品の押収だ。
「ほら、綺麗な子」
(あっ…また言われた)
刑事の声に虚ろ気な真帆が顔を向ける。
「それをこっちに」
真帆は素直に手を出して手袋の中に渡した。渡してから僅かに髪に手を掛けて後ろに流した。刑事はそんな仕草に見向きもすることなく受けとった物を先程まで真帆がしていた様に親指、人差し指で挟んでまじまじと見る。
それを囲んでいた警察官達もまじまじと見る。
男が言う。
「…回路の破片やな」
言うと刑事はジャケットの内側から透明な袋を取り出して仕舞った。仕舞うと男が探る様に言う。
「君等、他に何も持ってないか?」
刑事の問いかけに真帆は首を振る。コバやんはと言うと鼻をヒクつかせているだけで、何も反応はない。
「それで、君等。なんでずっと此処で探し物をしてたんや。俺ら、ずっと向こうで見てたんやで」
真帆は僅かに紅潮して浮足立つ心で言った。
「知らへんよ。ウチは。探し物してたんわ、こっちやから」
再び髪を手で流して言う。
「こっち?」
男が真帆に言う。
「そう、こっち」
真帆がコバやんを指差す。指差されたコバやんは未だ緊張が解けないのか、鼻をヒクつかせてぴくぴくしている。そのコバやんを刑事がじっと見て、一寸顔を上げてから言った。
「なんや、デカいな。君、何かしてるんか?スポーツとか」
コバやんはだが答えない。そんな真帆が見かねて声を刑事に掛ける。
「ちょいあかんねん。緊張しすぎてがちがちやから」
「緊張?」
思わず刑事が笑う。
それで警察官達の心の緊張線が切れたのか、僅かに笑いが上がった。
「なんや、緊張しとんのかい。何やら怪しいことしてて。まるでやましいことしてるって丸で分かり過ぎるぐらいの態度やで。まぁ、ええわ。何も変な事してた訳やないんやな?」
念を押す刑事を真帆が見た。
「うん」
真帆が答えると刑事はジャケットの内側から手帳を取り出し、ペンを手にした。
「…で、どこの高校?君等」
「えっ?」
真帆がドキリとする。
「いや、どこ?」
「言うの?」
真帆が少し躊躇気味に訊く。
「聞かなしゃぁないやん。怪しいもん」
刑事が野太い声で答える。
「マジっ!?」
真帆が声を上げた。
「マジマジ、大真面よ」
「聞いてどうするん?」
真帆の視線が刑事に注がれる。
「どうするって、記録すんねん」
「…それ以外に使うんちゃうの?」
何か心の中のやましさを探る様に真帆が言う。
「へ?…それ以外って」
真帆が刑事の反応にモジモジする。
(つけて来るんちゃうの、コイツ?ウチ綺麗やから)
尋問されているのだが、真帆の心はきゅんきゅんと唸っている。
刑事が間を措いて言った。
「まぁ…何考えているか知らんけど、警察は変な事には使わへん。ほら、早よ。答えなさい」
男が髪を撫でて再びペンを手帳に置いた。
「…ほんまやね?」
「ほんまや、くどいで綺麗な子」
(またぁあ…やんか!!)
思わず喜色張りに声が出た。
「堀川学園」
「堀川?」
男が顔を上て、二人を交互に見る。
「何?知ってるん」
真帆が目をぱちくりして髪を後ろに手で流す。
「…あ、…いや、何でもない。ほんで名前と学年は?」
「三年生。それでウチが九名鎮真帆…で、こちらが…」
と言い出した瞬間、コバやんが直立不動の姿勢で声を出した。
「小林古聞です」
真帆が思わずコバやんをえっとした表情で見る。
(この瞬間に緊張モード解除なん!!)
そう突っこみを入れる真帆を他所に刑事が手帳に速記してジャケットに仕舞うと男が顔を上げた。
「そうか、ほんなら俺の名は角谷譲二。府警の刑事や。もしかしたらまた会うかもしれんから、覚えといてや」
言うと顎を引いて警察官の囲みを解いた。それで後は二人に背を向けると二人に向かってきたようにのしのしとした歩調で警察官を引き連れて去って行った。
去って行った姿を見ながら真帆が言う。
「なんや、初めて尽くしやったわ」
感想を漏らしながら真帆がコバやんを見ると彼はヒクついていた鼻頭を押さえて、真帆に言った。
「いやぁ、やっぱ緊張するなぁ」
「緊張するんかい!警察相手で」
真帆が突っ込む。
「いや、警察には緊張しないね」
「はぁ?ほんなら何に緊張したん」
真帆が眉を上げる。
「だってさ」
そう言うと彼がズボンのポケットから何かを取り出した。
それは先程のICチップと同じサイズの何かだった。
「これ、さっきのヤツの近くに落ちてたんよ。マイクロチップ。恐らく、何かここに録音動画が保存されてるやろうけど、コイツを隠してたから」
「えっ!!」
思わず声を出した。
「マジか?さっきデカに言われたやん、もう無いかって?」
「だから、黙って反応せえへんかってん」
「鼻ずっとヒクつかせて?」
真帆が目を丸くする。
「そう、芝居。最初からそうしといた方が、虚を突かれて変な動きして、怪しまれないと思ってね」
真帆は思わず帽子を上げて友人を見た。
(…コイツ、中々やな…)
綺麗と言われて浮つく自分の側で冷静に先を見越した態度をとる友人に、真帆は感心して言った。
「ほんで、それ再生するんやろ?」
「するよ」
「ほんなら再生しよか」
コバやんは頷くと、だが首を横に振った。
「いや、これは僕だけで再生する」
「何で?」
真帆が思わず突っ込む。
「だって、是は僕の特権やしね。見つけた」
その言葉を聞いて真帆が地団駄を踏む。
「アカン、アカン!!ウチもや!!コバやん、仲間やんか!!」
するとコバやんがニヤリとする。
「ほんなら、筋肉バーガーの特別月見バーガーを奢ろうと思ったけど、それと交換であきらめるっちゅうことで良いやんね?」
(…うっ)
真帆が地団駄する足を止めた。そして声を絞り上げる。
「…おのれぇ小林。そんなことではいつかこの『難波デンごろ寝助』に寝首をかかれるぞ!!」
「阿保かっ」
言ってからコバやんが軽く真帆の頭にチョップを食らわす。
「痛っ」
真帆が声を上げるとコバやんが背を向けて歩き出す。歩きながらコバやんが言う。
「ほら、九名鎮。天六にも筋肉バーガーあるやん。そこ行こう。僕も御腹が空いたし、そこで再生しよう」
言うと真帆に振り向いてコバやんが言う。
「行こか」
その声に喜色満面の真帆が頷く。
(そう来なくっちゃ)
真帆がニヒヒと笑って言った。
「流石先生、お心が拾い。この『難波デンごろ寝助』、四天王寺ロダン先生にずっとこれからもついて行きやすぜぇ」
真帆は帽子を被り直すとコバやんの後について歩きだした。
勿論、二人はそんな自分達を遠くの木陰から先程の警察官達が見ているとも露知らずに。




