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68 縁故

(68)




(マジか…)

 真帆は開いた唇が閉まらなかった。

 展開があまりにも早い。

 真帆は唇を開けたままコバやんを見る。彼は真帆に向かってうんと頷く。しかしその表情は謎に巻かれてしまった様な虚ろに見えなくもない。

 いや、謎と言うものよりも手元に引き寄せた玉手箱から意外な真実を見て、慌てふためいる浦島太郎の様かもしれない。

 真帆とコバやん。

 交錯する思いの上でやじろべぇの様に揺れるたぁ爺の声が聞こえる。

「まぁ、君等がどれほど伯母の事に興味を持っているか分からないけど、僕と鎌田先生は親戚でね。伯母の弟がウチの親父で…伯母が嫁いだのが学者さんでね、大阪天満にいた時知り合った三重県の人で…子供が何人かいて、その娘が鎌田ってところに嫁ぎ、そして生まれたのが鎌田先生」

 コバやんが手を上げる。

「はい、たぁ爺に質問!」

「なんだい?小林君」

「あの…、今も田中イオリさんは御健在で?」

「いや、五年程前かな。伯母は亡くなったよ」

(そう…)

 真帆が下を向く。しかしコバやんは元気にたぁ爺に訊く。 

「じゃぁこの五線譜はどうして学校に在るの?」

 訊かれてたぁ爺が顎に手を遣る。

「…ああ、そうだね。伯母から聞いたところによると学校設立の記念にある方に差し上げたんだよ」

「誰に?」

 真帆が訊く。訊かれたたぁ爺が鼻頭を掻く。少し照れたように。

「うん、ほら…東珠子さんに」

「…えっ、東珠子?」

 思わぬ名が出て二人は驚いた。

 東珠子と言うのはこの学園の出資会社アズマエンタープライズの会長だ。企業は関西の芸能界はいざ知らず、広く日本の芸能界に脈をもつ大手芸能プロダクション。その代表が東珠子だ。

 若い頃は美貌を謳われた彼女は齢を経た今も美しさを秘め、才能ある若手を多く発掘して育てる芸能界屈指の人物とも言えた。

 そんな東珠子と田中イオリには繋がりがある、そんな事実に今二人は接している。

 接して思う事は…


 ――じゃぁ、是を切り抜いたのはまさか東珠子?


「はい、質問二つ目」

 コバやんが手を上げる。

「何だい?」

 たぁ爺が笑う。

「ちょっと訊きたいことを横に置くけど、どういう関係なん?その田中イオリさんと東珠子さん?」

(ああ…そうね)

 真帆はちらりとたぁ爺を見る。

(だよね…)

 何となくだが、そんな芸能界の大物とどんな繋がりがあるのか、先に聞きたくなる。個人的にも。

「伯母とね、東珠子さんは戦後に出会ったんだよ。伯母はね…と言うかウチはね、実は船場の呉服屋で、今は本町で兄貴が商社をしている。…で、当時は大丸とかよく商品を下ろしていたんやけど、その頃に二人は知り合ったらしい。伯母は結婚後、直ぐに旦那の実家である奈良にいかず、暫くは伯父、つまり旦那が天満に居てそこを新居にしていたから、その新居とウチを行き来しながら家業を手伝って、そのころに二人は仲良くなったようだ」

 二人は興味深く聞き入っている。

「東家と言うのは泉南地域の大地主でさ。泉州タオルで財を成した家で一時は犬鳴山で温泉も経営していたんだ。

 珠子さん自身は演劇が好きでね。大丸に商品を納めるついでに良く難波とか心斎橋に出て劇を良く見ていて…そこで二人とも同じ『大丸』がお客さんだやろ?まぁ年頃も似ていて馬が合うのか、よく二人で遊んだらしい。

 それで、やがて珠子さんが芸能事業で世に出てこの学園を創った際、校歌をどうすべきか考えていたら真っ先に伯母が戦時中に作った詩を思い出した。伯母は若い頃詩人になりたかったんだ。それで珠子さんが伯母に頼んでその詩を貰い受けたとうわけさ」

 たぁ爺が笑う。

「まぁ、そんな伯母との縁のお陰で私と鎌田先生も此処で司書と教員として働かせて貰ってるんよ」

 たぁ爺が何とも言えない顔付きで鼻を掻いた。

「まぁ縁故で働かせて貰ってるという訳やね」

 コバやんが顎に手を遣り、うんと頷く。その横で真帆が思う事を口にする。

「でもどうして有名な作曲家にお願いしなかったんやろう?」

 たぁ爺が眼鏡越しに二人を交互に見ながら言う。

「何でも彼女曰く――戦争の中で生き抜いた名も無き庶人の言葉にこそ、時代を生き抜こうとする力強い魂が籠ってる…だから若い人にもそうした希望と強さで人生を切り開くことを期待したい、と伯母に言ったそうだ」

 しんとした沈黙が三人の上から落ちた。

 何となくだが真帆はそれを聞いて、東珠子自身の内面にある骨柄を感じた。

 それは彼女の人生哲学ともいうのだろうか。

 彼女を若手の発掘の名手とさせる所以が其処にあるのかもしれない。名も無き庶人でも才能があれば人生を切り開ける、そんな若者への願い。

 まだ本人に会ったことは無いが、真帆は何故か無性に彼女に会いたくなった自分が居るのをふつふつと感じた。

 たぁ爺が何とも言えない顔付きで鼻を掻いた。

 しんとした沈黙が三人の上から落ちた。

「はーい。質問三つ目!!」

(コバやん!!)

 思わず心の中で隣の友人に突っ込む。

 自分のセンチメンタルな気分をいきなり土足で踏み散らした友人を責める様な目で見る。

 その眼差しにお構いなくコバやんはたぁ爺に言う。

「一番訊きたい事やけど。たぁ爺はこの五線譜、誰が切り抜いたか知ってる?恐らくこれ…大丸の包装紙やと思うんやけど、ほら、裏側に書いてあるやん?線が沢山。これ地図やと思ってね、大阪の」

 「…ん?」と言ってたぁ爺が五線譜を引き寄せて丁寧に裏面を見る。眼鏡のレンズに映るのは消えかかっている線。それは太い所もあれば、細い所もある。

 図書に埋まり、長年資料を見て来たプロの目が注意深く、その痕跡を探る。探りながら何かを照らし合わしているのか、作業を終えて顔を上げて二人を見た。

「成程な。小林君、だから大阪の古地図がどこにあるか聞いたんか」

「そう」

 満面に笑顔に浮かべてコバやんが答える。

「成程、中々の推理やね」

「…で?」

 真帆が答えを求める。

 たぁ爺がうんと言う。

「まぁ、外れではない。ちなみにこの太い『ト』線は何やと小林君は思った?」

「僕。僕はね、御堂筋かなと」

「ちゃうね」

「違う?」

 コバやんがほんまに?と言う顔をする。

「ちゃう」

 ふふと愉快にたぁ爺が笑う。

「じゃぁどこ?」

 横で真帆が答えを急く。たぁ爺が横目で真帆を見て答える。

「これはね。御堂筋じゃないよ。御堂筋はね、よく見てごらん。この見ている昭和の初めの頃の地図では今みたいに北南の御堂は繋がってないんだ」

「そうなん?」

 驚く真帆。

「そう。だからねこんな長い直線を書けないよ。それに小さい五線譜の中で『ト』になってる箇所を書いているだろう。恐らく此処は西横堀川だろうね。埋め立て前のね」

「どうしてそれが川だと?」

 真帆に訊かれたたぁ爺が地図を指でなぞる。 

「ほら、『ト』の直線、横線だけが二重線、ここれに掛かる他の横線は一本線。つまり何か区別していると見ていいんちゃうかな」

「つまり、道と河川」

 コバやんがたぁ爺に同意を求める。

 たぁ爺は頷くと机に置いたいた古地図を開いた。数ぺージ捲ると開いて二人に見せた。

「ほら、小林君。此処見てごらん。中之島の水道橋から今の船場に入る河川があるだろう。これが西横堀川。いまじゃ高速の下で埋め立てられているけど、この部分が凄く似ているやろ」

 言われて地図に魅入る二人。

 暫く沈黙が五線譜と古地図を互いに見て動く眼球に引きずられてゆく。

(…成程)

 真帆は地図を見ながら思った。

 確かにたぁ爺の言う通りだった。

(流石、資料のプロ…)

 真帆は舌を巻く様な思いで頃の中で唸った。横には同じような気持ちで地図を食い入る様に見ている友人が見える。

 彼もまた指摘については同じ意見だろう。

 だからかもしれない。

 顔を上げるとたぁ爺に向かって頭を激しく掻くと、やがてぴしゃりと首を叩いて静かに頭を下げると言った。

「アッシはほんまに感服しましたぜぇ、たぁ爺」

 言うと顔を上げてコバやんはにっと笑った。

 そして笑ったまま言う。

「それで、この五線譜やけど誰が切り抜いたんかな」

 コバやんは同意を求める様に真帆を見る。真帆もまた同じ疑問に同意して首を縦に振った。

「あ、それ?」

 たぁ爺が二人に言う。

「それは私がやったんだよ」

 それを聞いて二人が声無く驚く。

 そんな二人を見ながら事情を説明するようにたぁ爺が言う。

「学園でこれが保管されてていたんだけど、他の部分の虫食いが酷くてね。私がその大事な部分、つまり最後の部分だけ残して切り抜いたんよ。勿論、珠子さんの許可を頂いてね。綺麗に切り抜いたけど、まさか裏側にそんな地図が書かれていたなんて知らなかったよ、今まで」

 コバやんが大事な秘密を手繰り寄せる様にたぁ爺に訊く。

「じゃ…ぁ、その切り抜いた部分は?今何処に?」

 たぁ爺がすまなそうに答える。

「捨てたよ。ゴミとして」

 勿論、聞いた二人がぎゃふんとなったのは言うまでもない。




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