歪な関係 3
カスペラクス侯爵夫人は、元々、次男の婚約者を、実のところ歓迎してはいなかった。
犯罪者でもない以上、息子に任せると言った手前口をつぐんではいたが、それでも、だ。
シャンダウス伯爵家自体は、侯爵家が縁を結ぶ相手として何ら問題はない。
しかし、婚約の契約書を交わす時に顔を合わせた、ゲオルグが望んだと言う娘は、ろくなマナーも身についておらず、さらにそれすらが付け焼刃だとすぐに知れるお粗末さ。
容姿は美しいが、ただそれだけの娘で、夫人は息子の見る目のなさにがっかりしていた。
連れ子だからということではなく、それ以上に本当に伯爵家でまともに教育を受けたのだろうかと疑問に思ったのだ。
聞けば、王立学院には通ったこともなく、理由は、その当時体が弱く、入学を辞退したからだと。
侯爵夫人はその言い訳を聞きながら思った。きっとこの嘘は何度もついてきたのだろう。だから、他の受け答えとは違って、すらすらと話せるのだ。
そして、婚家に対して、こんな浅はかな虚偽を口にするなんて…と。
その娘を満面の笑みで得意気に見つめる伯爵夫人は、そのつもりがなくても、思わず出自の怪しさを話題にしたくなるような、華美なだけで品格のない装い。
結局、隙が多すぎるのだ。上っ面だけの底の浅い受け答えでは、会話すら続かない。
領地に引っ込んだきりで王都にはほとんどいないと聞いている伯爵自身は、思ったよりもまともそうだったが、肝心の将来の婚約者がこれでは…。
社交界では『シャンダウスの妖精』などと呼ばれ、一部の軽薄な輩にもてはやされていると聞いたが、そんな安っぽい名をつけられることこそ、その娘の本質を現しているように思う。
事実、この娘に他の貴族の子息から何らかの申し出があったと噂ですら聞かない。
昨今、不安定な国内外の情勢が続くこの国において、求められる貴族の妻の条件は、見てくれではなく内実なのだ。
いつどこで、足元を掬われるか分からないのだから。
正式に婚姻を結んでカスペラクスの人間になれば、厳しく躾るしかないが、どれほどの時間を要するのだろうかと気が重くなる。
そんなある日、上の息子の妻とお茶をした。
そこで、思わぬことを聞かされるのだ。
シャンダウス伯爵家に、もう一人令嬢がいることは知っていた。そちらが正統な伯爵の血統をひく娘であることも。侯爵夫人自体は、連れ子であっても、きちんと教育された娘であれば問題なかった。
しかし、そのもう一人の令嬢がゲオルグにぴったりの年齢の十七歳で、家の事情で途中退学はしたものの、年に五名しか選ばれない優秀生徒の称号まで授けられ、生徒会入りが決まっていた才媛だと聞けば、一気に自分の息子の婚約者がそちらではないことに、落胆するのを止めることが出来なかった。
『シャンダウスの外れの方』などと言う心無い二つ名も、学院時代に令嬢をやり込めようと罠にはめ、逆に論破され立場を無くした貴族の息子の一人が、腹いせに言いふらしているとか。
実際には、学院で共に学び、この令嬢が社交界デビューするのを心待ちにしていた子息を何人か知っていると言う。王都の屋敷には、それらの家門から何らかの招待状なり書簡なりが届いているはずだが、なぜか誰一人として、正式な返事をもらえていないとも。
同じシャンダウスなら、どうしてこちらの令嬢でないのか。
それ以来侯爵夫人の頭からは、その考えがこびりついて離れなくなった。
そして、ある日突然、ゲオルグから言われるのだ。
その令嬢、ローザリンデとの間に、子どもが出来てしまったと。
夫人は思った。
これは決して逃してはいけない、千載一遇のチャンス、だと。
そこからカスペラクス侯爵家が動くのは早かった。
心の中で熱望していた令嬢が、すでにカスペラクスの子まで宿しているというのだ。
これに乗じて、何としても侯爵家の人間にはもう一人の方の令嬢を迎えなければ…。
伯爵夫人とあの娘が何かわめきたてようと、口をふさぐ手段はいくらでもある。
カスペラクス侯爵家は、軍閥として名を成す家門。目的のために手段など厭わない。
人脈と権力、すべての手段を総動員した結果、妊娠が発覚したその翌月には、ゲオルグとローザリンデは、婚姻に至る手順のすべてをすっ飛ばして、王都の大聖堂で婚姻式を華々しく執り行うことが決まった。
最初の婚約者ラーラは、体が弱く、場合によっては辺境に赴任することもある騎士との結婚生活に耐えられないことが判明した。しかし、ローザリンデはそんなラーラに代わり、ゲオルグを慰め、義妹の分もカスペラクス侯爵家に尽くすために嫁ぐと言った、近年稀に見る滅私の人物であるという美談に彩られながら。
婚約者が変わってしまった事情は、奇しくも、ラーラが王立学院に入学出来なかったときに使った言い訳と、同じだった。
それにより、噂好きな者たちは、勝手に察してはやし立てた。
侯爵閣下は、どうやら上手いことやって、家門に不釣り合いな不出来な首を、上出来な首の方に、まるっと挿げ替えることに成功したのだ、と。
だが、これでローザリンデを妻に迎えることが出来ると、意気揚々と向かったシャンダウス家で、ゲオルグは、やっと会えた愛する女性の姿を見て言葉を失う。
その姿は、やつれ、榛色の瞳からは光が消え、ゲオルグに対して明らかに恐れを抱いていた。
そしてそこで初めて、あの日、自分が愛を交わしたと思っていた行為が、実はローザリンデにとっては、突然身に降りかかった凶行でしかなかったと言う事実を、目の前に突き付けられたのだ。
体だけでなく、心もつながったのだと思った自分の浅はかさ。
あの場で自分がすべきだったのは、すぐにもラーラとの婚約を解消するために飛び出すことではなく、ローザリンデのそばにいて、彼女を労わり、自らの気持ちを伝え、ローザリンデの気持ちを確認することだったのだ。
しかも、その結果として、彼女は婚姻前にもかかわらず懐妊すると言う、貴族の令嬢にとって耐え難い現実を抱えることとなった。
ゲオルグは、そんなローザリンデを前にして、愛だの恋だの、目に見えない不確実な言葉を口にすることが出来なくなった。
何とか彼女を安心させたいと、二人が正式に婚姻を結ぶことになったと伝えたけれど、それを聞いてローザリンデの顔に浮かんだのは、喜びではなく悲しみや恐れだった。
ゲオルグは焦った。
そして、愚かにも、この結婚の意味を、ローザリンデへの愛だと言えず、生まれてくる子供に背負わせてしまったのだ。
そんな二人の様子を、物陰から伯爵夫人とラーラが見つめる。
カスペラクス侯爵家からはコテンパンにされてしまったが、まだまだ付け入る隙があるぞ、と。
さんざん自分たちが使ってきた『病弱』という言い訳を、カスペラクス家にローザリンデとの婚姻に使われてしまい、意趣返しにしてはそのダメージは大きすぎた。これでは今後、まともな相手との結婚は望めない。
ではどうするか。
ゲオルグをつなぎとめるのが最善だった。
媚薬と、正義漢気取りのパトロラネ夫人のせいで、ローザリンデとの間に子が出来てしまい、カスペラクス家があの義娘との婚姻を選んだだけだ。
もう少ししてゲオルグの目が覚めれば、平凡なローザリンデを前に、美しいラーラを逃してしまったと後悔する日が必ず来る。
それなら、そばを離れず、その立場がもう一度入れ替わるチャンスを待てばよいのだ。
閉じ込められ、心身ともに弱っていくローザリンデを脅すのは簡単だった。嘘の手紙や贈り物で、この愚かな義娘はゲオルグが愛しているのはラーラだと思い込んでいたし、それを利用しない手はなかった。カスペラクス家も、シャンダウス家の屋敷の内側で行われることにまでは手出ししようがない。
伯爵家を訪れるたび、ラーラは婚約者気取りでゲオルグを名前で呼び、腕を絡ませる。
ラーラに罪悪感を持つゲオルグが、きっぱりとそれを拒否できないのも分かっていた。
そして、とうとうある日、ゲオルグを頑なに受け入れなったローザリンデが、切り出したのだ。
自分はカスペラクス侯爵家に嫁ぎ、子を産むと。
ゲオルグは、喜びに椅子から立ち上がりかけたが、その次の言葉に、全身の力が抜けた。
ローザリンデは続けた。
しかし、あなたはどうかラーラと幸せになって下さい。そうでなければ、わたしがあなたの妻になることはないでしょう、と。
ゲオルグは、ローザリンデが誤解していると思った。
だから、それは受け入れられないと言い募った。
それでも、ローザリンデは引かなかった。何が彼女を頑なにするのがゲオルグには分からなかった。しかし、何日経ってもローザリンデの意思は固かった。
そして、とにもかくにも彼女を自分の妻に出来るなら、とりあえずその言い分を呑むしかないのかというところまで、彼の心は追い詰められた。
ゲオルグはそれを受け入れた。
ラーラも、愛人という立場に、安っぽい涙を見せながら同意した。
それはカスペラクス家が王都中の名だたる家門に招待状を送った婚姻式まで、あと八日に迫った冬の日だった。
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