歪な関係 4
ちょっと性的な言葉が出てきます。
苦手な方は、読み飛ばして下さい。
「どうか、今晩はラーラの元へ足を運んで下さい」
「ローザリンデが心配なんだ。君の顔色は真っ白だ」
「あなたと寝室に一緒にいるのが、まだ怖いのです」
その場しのぎのつもりだったのに、結局ゲオルグはローザリンデとシャンダウス家の間を行ったり来たりする夜を過ごすことになってしまった。何より恐れから、ゲオルグと寝台でただ眠ることさえ難しそうなローザリンデを見るのが辛かったし、彼女の願いに逆らうことが出来なかった。
ローザリンデはご丁寧にも、ケイティというメイドを使って、本当にゲオルグがシャンダウス家に行ったのか、確認までする。
しかし、ゲオルグはそれを逆手にとって、妻の味方であるこのメイドを懐柔すると、シャンダウス家のかつてのローザリンデの部屋、あの鍵がつけられた半地下の部屋を自分のここでの寝室とした。ラーラや伯爵夫人が、あの手この手で彼と接触しようとしたが、外についていた鍵を内につけなおした。
一度食事にあの時の媚薬を盛られたが、飲み込む前に気付き吐き出した。
かすかに体内に取り込まれ、確かに兆したはずなのに、ラーラの前では何の役にも立たなかった。
「お前では、果てる前に萎えるわ」
と、怒りから吐き出すように言うと、ラーラは屈辱からかぶるぶる震えた。
ルードルフが生まれた後、愛らしい息子が二人の仲を取り持つようにローザリンデの態度は軟化した。そして、しばらくして次の子、クラウディアを懐妊したのだ。
しかし、そこで、一向にゲオルグの気持ちが自分に向かないことに業を煮やしたラーラは、自殺騒ぎを起こす。
自分には子どもを授けるどころか、手すら出してこないゲオルグに当てつけるため。そして、ローザリンデを苦しめるために。
しばしばラーラは、ローザリンデに手紙を送りつけていた。カスペラクス侯爵家の人間に、その破廉恥な文言を含む手紙を見られたくない彼女は、自分でいつも内容を確認していた。そして、自殺騒ぎの後に送られてきた手紙には、次にローザリンデが懐妊すれば、シャンダウス家の醜聞を世間に暴露をすると書かれていた。
実際には、侯爵家もこの母娘を黙らせる材料をおさえていたので、世間への暴露は諸刃の剣となるのだが、それを知らないローザリンデは、またしてもその脅しに屈してしまった。
そして、再び夫と距離を置き始め、今度はゲオルグの方がローザリンデへの失望を隠せなかった。
いつしか、子どもたちだけが、彼女の心の拠り所となっていた。
しばらくして、北部の国境付近の小競り合いが増え、ゲオルグは、王都から遠い国境地帯に駐屯することが増えた。
シャンダウス家どころか、カスペラクス家にいる時間も無くなり、辺境の要塞が彼の寝所となった。
王都へ帰る機会は何度もあったが、ゲオルグはそれを先送りした。
八年後、とうとう紛争が一段落し、先送りする理由が無くなった。
久しぶりに帰った王都で見た妻は、毎夜彼を悩ませた幻よりも、さらに光り輝いて見えた。
顔色もすっかり元気を取り戻し、家を守り、二人の子どもをしっかり育っててくれている。
さらに、留守を守る間、カスペラクス家の人間として世事にも通ずるようになり、心が強くなっていた。
八年の歳月は、無駄ではなかったのだ。
すぐに三番目の子、ケインを授かった。
しかしこの頃から、再び北の国境線が危なくなってきた。また、国王の座を狙う王弟派の動きも激しくなり、国内外ともにきな臭さが充満する。
国王派の急先鋒である貴族の屋敷が、王弟派により秘密裏に襲撃されたのだ。
どちらの派閥の貴族も、次は自分かと戦々恐々とした。
国王派のカスペラクス家は、父は隠居し、兄は領地にいる。しかし、自分が侯爵家の屋敷にいる時に、もし襲撃されれば…。
その時に、中央とは縁のない、派閥争いの蚊帳の外のシャンダウス家の存在を思い出した。
しかもローザリンデの話では、王立学院に通い始めるレオンを本館に住まわせるために、裏庭をつぶして離れを建て、そこに伯爵夫人とラーラを押し込めたと言う。
そこで、ゲオルグはまたしてもローザリンデの心を傷つける行動をしてしまう。
妻子が心配なあまり、シャンダウス家の屋敷で寝起きすることを選んでしまったのだ。
伯爵に許可を取り、レオンに剣を教えるという名目で。
それを告げた時、ローザリンデをカスペラクス家の人間らしく、顔色も変えずに笑顔で送り出してくれた。
しかし、彼女の心の中は、やはりゲオルグはラーラに今でも未練があるのだという思いでいっぱいだった。
ゲオルグは、すっかり過去のことを忘れ、すべて許された気になっていた。
自分の行動が、ローザリンデだけでなく、カスペラクス家の人間にも誤解を与えていることに、まったく気が付いていなかった。
ローザリンデは、心の内を隠し、完璧な妻の仮面をかぶり続けた。
そして、四人目の子、ハイディも産まれた。
妻への愛は、増しこそすれ、ゲオルグの中で絶えることが無かった。
とうとう国境での紛争は大規模な戦闘になり、ワッツイア城塞を奪われてしまうという大局面を迎える。
ゲオルグは、第一騎士団の団長として、部下をまとめ上げ、地道な諜報活動と大胆な作戦で、要塞奪還という大きな武功を上げた。その快挙に国王の求心力は回復し、王弟派は急速に勢力を失い、王権の争いにも終止符が打たれた。
ゲオルグは、英雄として王都に帰還した。
やっとこれで枕を高くして、妻とともに過ごせると思った。
そして、部下に聞いた評判の湯治場にローザリンデを誘った。二人きりで過ごしたかった。
どうしても承諾の返事が欲しくて、今の時期は木蓮が美しいと言う部下の話を、まるで自分が見て来たかのように話した。
その時、妻の顔色が変わった。
そして、笑顔で、「以前木蓮の花を一緒に見た方と、またそこに行っていらっしゃいませ」と言われる。
なにか思い違いをしていると思ったが、次の瞬間、ローザリンデの顔から表情というものが抜け落ちた。
ゲオルグは、それを見て、自分はまたしくじったのだと悟った。
それからは、騎士団の仮眠用の寝台が、彼の寝所となった。
そうして、二人はすれ違い続けた。
ゲオルグは誰よりもローザリンデを愛しているのに、その自分が誰よりも彼女を傷つけている事実に苦しんでいた。
しかし転機はやって来た。
国王より、アッザンの辺境伯領を賜ったのだ。
王都の屋敷の両親も今は亡く、ゲオルグはローザリンデを連れて、この遠く離れた地で二人きり、もう一度やり直せるのではないかという希望に満ちた。
そのためには、長年ローザリンデを苦しめているラーラという杞憂を、何とかするべきだと思った。
シャンダウス家に足を運んだのは、何年振りか。
この二十年、ラーラとは、ローザリンデとの結婚直後に数回顔を合わせただけで、愛人であったことはおろか、ともに食事をしたことすら一度もない。その真実を証明する必要があると思ったのだ。
レオンに同席を頼み離れを訪れると、ラーラはしおらしく、病気のせいで足を悪くし、一人では歩けない伯爵夫人を伴って現れた。
誰にも省みられることなく過ごした二十年は、彼女の気概を奪っていた。可憐だった面影もすっかり色あせ、ローザリンデよりもまるで何歳も年上のようだった。
ラーラは言った。分かった。言われた通り、本当のことをローザリンデに告げよう。ただし条件がある。母が亡くなった後も、この離れで暮らせるようシャンダウス伯爵に頼んで欲しいということと、足が悪い母を、湯治場に連れて行くのに、男手として同行してほしい、ということを。
そうすれば、その湯治場の帰り道にも、侯爵家に立ち寄り、憂いなく辺境に行けるよう、ローザリンデに真実を告げて差し上げる、と。
ゲオルグは、それを承諾した。
幸いレオンも、この旅に同行してくれることになった。
結婚して、レオンの中でも、実母への思いは変化しているようだった。
そして、連れて行かれた湯治場は、三年前、偶然にもゲオルグがローザリンデを誘った場所だった。
ラーラに問えば、伯爵夫人の足が悪くなる前、ここに来たことがあると言う。
そう言えば、ローザリンデへ、木蓮が美しい湯治場にゲオルグが連れて来てくれたと、書き送ったかもしれないと言い出した。
ゲオルグは思った。ああ、だからあの瞬間、妻の顔から表情がなくなったのか…と。
ラーラと行った湯治場に、ローザリンデを誘ったと思ったのだから、あんな顔にもなるよな…と。
涙がにじんだ。
誤解された自分と、虚言に傷つけられたローザリンデを思って。
しかし、それもこの旅が終われば、すべて解ける誤解だ。
湯治場からの帰途は、心が弾んだ。
ラーラと伯爵夫人を乗せた馬車の横を、馬で付き添う間、小雨にも降られたが不快に感じなかった。
だから、まったく気が付いていなかった。
ラーラが突然指定してきたこの旅程が、最後の彼女のローザリンデへの、嫌がらせだったということに。
ラーラがローザリンデの病を知ったのは、レオンが漏らした一言だった。
そして思った。どうせこれが最後だ。
流行り病で命を落とすのは老人だけ。義姉にはたくさんの子どももいるのだから、病床に夫がいないくらいの心細さを味わったって良いじゃないと。
自分はこれから、異父弟の情けだけを頼りに、いつ路頭に放り出されるか分からない本当の心細い毎日をおくるのだから…と。
しかし、それはラーラが想定した以上の効果を生んだ。
いや、生んでしまった。
騎士団には、ゲオルグが手配した侯爵家の大きな馬車で乗り付けた。
そこにいた騎士が、自分をゲオルグの妻と勘違いしているのが分かり、最敬礼に気分が良かった。
湯治場で楽しい一週間を過ごし、帰り道、本来なら自分が嫁いでいたはずだったのにと思いながら、カスペラクス侯爵家の大きな門をくぐった。
そしてそこで知らされたのだ。
ローザリンデが亡くなって、留守番の家人を残し、皆、墓場に行っているのだと。
家人の、ゲオルグとラーラを見る視線は、これが主に向けるものかと思えるほど冷たく凍えていた。
ゲオルグは、そのまま馬を駆り、カスペラクス侯爵家の墓所に駆け付けた。
そこで、今まさに土をかけられている、小さな棺を目にする。
思わず駆け寄り、その棺の中を確かめるために、素手で土を払った。
しかし、それも大きく成長した息子、ルードルフにより阻止される。
そして憎しみのこもった瞳が、自分に向けられた。
違う違う!ローザリンデを裏切ったことなど、一度もないのだ。
愛しているのは、今も昔も彼女だけなのに。
一体どこで間違ったのだ。
自分はどうすれば良かったのか。
そうして失意の底のゲオルグの前に、ガッデンハイル枢機卿が現れた。
ローザリンデとの婚姻式の日、控室でローザリンデが唯一その日笑顔を見せた、幼馴染の男。
聖職者ゆえに、嫉妬の対象にはならなかったが、なぜその男が今ここに?
「細君には、後でゆっくりお別れをして下さい」
そうささやかれた一言に、おとなしく従った。
心はズタズタで、その言葉だけが、今のゲオルグを支えていた。
まだ、最愛の妻の死を、受け入れられていなかった。
自分を責める言葉で、何度も自らに刃を突き立てた。
その夜、胸騒ぎがして墓所に駆け付けたルードルフが目にしたのは、土が掘り返され開け放たれた棺と、その棺の母に覆いかぶさるように、背中から剣で心臓を一突きにされ事切れる、父、ゲオルグの姿だった。
これで、暗い過去編はほぼ終了です。
やり直し編に戻ります。
読んで下さり、ありがとうございます。




