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新年の祝 3

 先導されるまま庭園側正面ではなく、通用口からヴェネルホールに足を踏み入れる。進む通路は行き交う使用人たちでごった返している。

 ホールを表舞台と例えるならば、こちら側は裏舞台だ。実際の舞台がそうであるように、表が華やかである分だけ裏は忙しなく慌ただしい。

 そんな雑然とした場所で見る筈のないコーデリアの騎士のお仕着せに、使用人が驚いたふうに立ち止まり、目を丸くしている。それに内心苦笑しながら通路を進み、飾り気のない扉からコーデリアらは表側に出た。

 広い廊下の先、突き当たりにある扉をくぐる。部屋に入るなり感じた消毒液のつんとした匂いに眉根を寄せると、部屋の奥で指示を出していたクレアが振り返った。

 クレアはコーデリアを見て、ぱっと顔を輝かせる。彼女は足早に部屋を突っ切ってくると、手にしていた書類をコーデリアに押し付けて言った。

「来てくれて助かったよ、コーディ。いきなりで申し訳ないんだけど、ここはひとつわたしを助けると思って、お願いだからなにも言わずに今すぐこれに署名してくれ」

 押し付けられた書類を手に取り、視線を落とす。乱暴な扱いのせいで皺と折り目が出来ているが、紙面の右下には内務府の紋章印が押されている。どう見ても機密扱いの書類だ。それをなんて扱いをするんだ、と文句を言いかけたコーデリアは、だが記されている内容に目を瞬かせた。

「これは……医療処置の同意書? なぜ内務府がそんなものに関わっている。それに患者の署名欄、ここにイライアスの名があるのはいったいどういうことだ」

「あー、うん。そう言いたくなる気持ちは分かるんだけど、今はちょっと説明している時間がないんだ。情けないことに色々と後手に回っててさ。きみを代理人に指名したのがディグラント、という事実で今はひとまず不満を呑んで欲しい」

 頼む、と思いの外真剣な口調でクレアが言う。

 どうやら時間がない、というのは冗談や建前の類ではなかったらしい。だが不信感しかないそれに、言われるがまま署名する気にはなれなかった。

 イライアスの頼み、というクレアの言をどこまで信じて良いのかも分からない。探る目を向けたコーデリアにクレアは口を開きかけ、だが言葉を遮るように背後で足音が響いた。

 ノックもなしに扉が開き、使用人のお仕着せに身を包んだ男が慌ただしく部屋に入ってくる。彼はコーデリアにちらと視線をやった後、クレアを見て緊張の滲む声で言った。

「五列が動きだしました。目標は打ち合わせ通りに洞穴へ。準備はすべて滞りなく整えてあります。治療の許可をいただけますか?」

「少し待って」

 言ってクレアはコーデリアを見る。眼鏡の奥に見える灰茶の瞳から、気さくで親しみのある色が消えたのが分かった。

「――ロリンズ、署名を」

 友の頼みではなく上官として命じるその声音に、コーデリアは眉間に深く皺を刻む。それでも文句を口にすることはなく、差し出されたペンで署名を入れた。

 書類に素早く目を落としたクレアが小さく頷く。

「確認した。いいよ、行って」

 クレアが言い終えると同時に、お仕着せ姿の男性が身を翻し部屋を出ていく。それを目で追っていたコーデリアの肩を、クレアがそっと叩いた。

「さあ、わたしたちも行こうか。これからが本番だよ」

 折り畳んだ書類を片手に、クレアが歩き出す。考えるより先にその後に続いて、コーデリアは低い声で言った。

「望み通り署名してやったんだ。説明してくれ」

「うん、それじゃあ歩きながら話そう。この後もきみの協力が必要だからね」

 まだなにかあるのか、というぼやきは飲み込んで、代わりにコーデリアは表情を苦く歪めた。



 時刻はほんの僅か遡る。

 遠く神殿から響く鐘の音に、イライアスはふと面を上げた。

 女神降臨を知らしめるそれは、背筋を伸ばし襟を正さなければならない、そう感じさせる厳かな静謐さがある。それはベルサリウス人であれば、誰しもが感じ取れるものなのだろう。周囲にはイライアス同様に面を上げる者もいれば、胸に手を当て祈りを捧げている者もいる。

 大晦日(おおつごもり)特有の荘厳な雰囲気が辺りを満たしたが、それは数秒も経たずに泡のように儚く消え失せた。

 そもそもが祝いの場であり、社交の場だ。粛然とした雰囲気が長く場を支配するはずもなく、ホール内は浮かれ華やいだ声にざわめき始めた。イライアスは軽く息を吐いて、人でごった返すホールに視線を巡らせた。

 配置に多少の変更があったものの、警備自体は普段のそれと大差はない。基本的には隊を六名五班に分けての巡回だ。

 オーサントの動きを警戒して、以前に体調を崩した副官のルイス・セヴァンとジャック・オーリンの二名はホール外周を担当している。別隊でも同様の対処がされているらしく、見慣れない班構成が多かった。

 なるほど、どこの隊も人員のやりくりには苦心しているらしい。

 既に頭に叩き込んである配置図と、実際の動線とを引き比べていると、ルイスの代役で補佐に入ったフィン・ルーカスが、周囲を憚る抑えた声で言った。

「王族方は無事にお役目を終えたようですね。こちらにお戻りになるまで、あと半刻といったところでしょうか」

「なにごともなければ、そうだな。……もっとも王室警護隊がついていて、なにかが起こるとは思えないが」

 そう呟くように言った時だった。ホールの人波をかき分けるようにして、まっすぐ近づいてくる人の姿がある。イライアスは覚えず眉根を寄せた。それは侍女のお仕着せに身を包んだ女性で、行儀見習いとして出仕している貴族の娘だった。顔を見知ってはいるものの、さして親しくもない相手だが、どうやらお目当てはイライアスであるらしい。

 イライアスの目の前に立った侍女は、あの、と震える声で言った。

「任務中に、その、大変申し訳ありません。ですがディグラントさまの他に、頼れる方が思いつかなくて。あの、じ、実は少し困ったことがあって……」

 おどおどと言いながら、侍女はちらとフィンを見る。席を外して欲しい、と言わんばかりの眼差しだが、イライアスはそれをまるきり無視して問いを返した。

「騎士の手が必要な事態ですか?」

「は、はい。あの……でも、ここではちょっと……」

 お仕着せの胸元を握り締める白い手が、微かに震えている。怯えのあからさまなそれを無感動に見て、イライアスはフィンに目配せする。

 小さく頷いたフィンが身振りで班員を呼ぶのを視線の端で捉えながら、イライアスは儀礼的な笑みを浮かべてみせた。

「では場所を移しましょう。どうぞこちらへ、ホールを出れば幾らか人目も減る。完全に耳目を排することは出来ませんが、それでどうかご容赦を。――ルーカス、後を頼むぞ」

 言ってイライアスが歩き出すと、侍女が慌てて後をついてくる。

 ホールを抜け廊下に出て、人波が途絶えたところで足を止めた。振り返ると、侍女がびくりと肩を跳ねさせた。

「それで、困ったこととは?」

 訊くと侍女はうろうろと視線を彷徨わせた。

「あ、あの、私の友達なんですけど、一緒に行儀見習いに来ていて、すごく可愛い子で。だから男の人によく声をかけられるんです。さっきもそんな感じで……でも、相手の人の様子がなんだかおかしくて……。た、たぶん、お酒をお召しだったと思うんです。断っても抵抗しても駄目で、それで、そのままむりやり連れて行かれてしまったんです……」

「つまり、そのご友人を助けて欲しい、と」

「そ、そうなんです。お願いします、彼女を助けてください……!」

 縋りつこうとするのを挙げた手で抑え、イライアスは静かな目で侍女を見やった。

「どこに連れて行かれたか分かりますか?」

「は、はい、もちろん。案内します」

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