狂気的な上昇志向
夢は社長になることだった。
でも、今にして思えば、総理大臣を目指せばよかったと思っている。
あるいはアメリカ合衆国の大統領だろうか。
うんそれが一番頂上っぽい気がする。
わたしには前世の記憶がある。
努力して人生を切り開いてきた記憶だ。
賃貸アパート暮らしの両親のもと、姉のお古のランドセルで小学校に通い、ミニバスでは親戚からもらったバスケットボールでたくさん練習をした。中学高校と全国大会で優勝して、勉強も頑張った。一流の国立大学に進学して、GPA4.0で経営学部を首席卒業。卒業後は、大手商社に勤めたり、証券会社で働いてみたりした。仕事でも常に上を目指し続け、起業して、会社を軌道に乗せて──そこで前世の上昇は終わった。
最期はつまらない交通事故だった。
48時間の連続勤務で注意力がすこし落ちていたのだ。
向かってくる車を避けることができなかった。
最初から記憶の連続性があったわけではない。5歳くらいの頃に、ぼんやりと前世を思い出したのだ。
思い出したその日から私は、孤児院の庭で腕立て伏せを始めていた。
「スカーレットちゃん、なにしてるの?」
「腕立てだよ」
「どうして?」
「強くなりたくて」
生まれ変わったこの世界。いわゆる異世界ということになるのだろう。前世の感覚からしたらひどく遅れた世界。強くなりたいと思ったのは、ここで上を目指すには、前世で学んだことより、もっとシンプルな道理が機能すると洞察したからだ。
つまるところ、力というやつだ。
わたしは努力という概念が好きだ。
努力できる自分が好きだ。
生まれに文句を言っている人間が嫌いだ。わたしは低いところから高いところへ行ったんだ。そのことを誇りに思っている。
だから、この人生でも上を目指そうと思う。
出世こそが生まれてきた意味だ。
この世界における頂点は、恐らく『王』だ。
人生の目標は高ければ高いほど良い。
かくしてこのわたし、オーファル村のスカーレットは、この生涯における命題を『王』と定め、そこへ向けて必要なことをコツコツと始めた。
基礎的な鍛錬を始めて数日後。
オーファル村に怪しげな男がやってきた。
「僕はマーリン。よろしく」
彼はふらりとやってきて空き家に居座った。先日、ご老人が亡くなった家だ。ずいぶんと間の良いやつだと思った。
わたしは危険人物マーリンのことを、頭の片隅で気にしていた。オーファル村の住民は皆、善良でわたしのことを害する者はいないが、あの男だけは未知数だったからだ。幼くて、可愛らしいわたしに害を加えてくるかもしれない。
マーリンはたびたび剣を振り回している。それに何やら魔法を使えるらしい。そう、魔法である。わたしは子供の頃は、そういうものに夢中だった時期がある。正直、心が躍った。同時にこれは絶対に必要なものだと感じた。
「おや、ピンク色の髪の子」
「魔法でなにができるんですか?」
「いろいろなことができる。例えば、これとか」
マーリンが初めて見せてくれた魔法は、火の玉を作り出すものだった。
「これを怪物や人間にぶつけると大変なことになる」
すごかった。
わたしが求める力そのものだ。
きっとこの世界において絶対的なものだ。
「マーリンさん、わたしに魔法を教えて?」
この可愛い顔をいっぱいに使って、お願いしてみた。
「村で一番の美人さんにお願いされたら、断るわけにもいかないね」
「ありがとうございます! 頑張ります!」
「でも、条件がふたつある」
「なんですか?」
「一つ目の条件は、動機を教えることだ。なぜ魔法を覚えたいんだい? なにか目的があるのかな?」
「王になりたいんです」
「そうかそうか。王にね。……王? え? 王って、あの、王様?」
「はい。それで合ってます」
どこか底知れない雰囲気を持っていたマーリンも、あの時はかなり動揺しているように見えた。
「そうか。そういうことか。君がね」
「どうしたんですか?」
「いいや、なんでもない。二つ目の条件は、まずは剣を覚えてもらう」
「剣ですか。理由を聞いてもいいですか」
「いつかわかるさ。とにかく育成方針は僕が決める。大丈夫。君は僕を信じてついてきてくれればいい。僕が君を王にしてみせよう」
はたから見たら怪しげな男は、近くで見るともっと胡散臭い男に変わった。でも、村で剣や魔法を扱えるのは、彼しかいなかったので、教えを乞うことにした。
「鋼の剣は君にはまだ重い」
マーリンは魔法で近くのモミの木を変形させ、木の剣を作ってくれた。
「なにはともあれ素振りだ。でも、それだけだと飽きちゃうから型も並行してやろうか。意味を考えながらやるんだよ」
教わった型は、基本的な四つの構え。
王冠の構え、雄牛の構え、城壁の構え、影身の構え。
4つを順番に切り替える。
そういう練習だった。
「今日はこんなところでいいかな。長時間頑張ってえらいね、スカーレットは。疲労を軽減する魔法をかけてあげよう」
「はあ、はぁ、はぁ。ありがとうございます……」
「それじゃあ、また明日。言っておくけど、僕は厳しいからね。毎日やるよ。しっかりとついて来るように。ふふ」
翌朝。
マーリンが孤児院にやってきた。
わたしは木の剣を片手に、ぺこりと頭をさげた。汗で張り付いた前髪を掻きあげる。マーリンは目を丸くしていた。
「はあぁ、はぁ、はぁ」
「えっと、あれ、え? なんで朝からそんな疲労困憊なの……。ねえねえ、そこの君、スカーレットちゃん朝から様子がおかしんだけど、なんかあったの?」
「スカーレットちゃん、院長先生が止めても、あの剣をずっと振り回してたんだよ。たぶん、寝てない。変な子なんだよ」
そこでわたしは前のめりに倒れた。
マーリンの声が遠くに聞こえた。
気づけばわたしは自分の身体を見下ろしていた。
「スカーレット!? スカーレット、目を覚ますんだ! し、死んでる!?」
マーリンが悲鳴をあげる。
この景色をわたしは知っている。
幽体離脱というやつだ。
前世でもよく経験していた。
頑張りすぎると、糸が切れたように気絶するのはご存知だろう。わたしはその感覚が好きだ。むしろ気絶で終われない追い込みなど甘さの証拠だとすら思う。
残業も連勤も倒れてからが本番。
それ以外はすべて甘えである。
幽体離脱で終われると気持ちが良い。
頑張ったと心から確信できる。
えらいぞ、わたし。
大丈夫。
少ししたら戻るから。
ほら、霊体が肉体に引き込まれる。
「はっ! ……おはようございます、マーリンさん」
「目が覚めたんだね、スカーレット!?」
「疲労回復の魔法、もう一度お願いできますか? あれがあればもうちょっと頑張れる気がします」
「寝なさいッ!」
わたしとマーリンは意外と良いコンビだった。流儀上、気絶しないと終われないわたしの健康を、マーリンは懸命にサポートしてくれた。
走り込みや筋力鍛錬などのベーストレーニングのあと、素振りと型をひとしきりやったあと、わたしは瞑想まで取り入れるようになった。もちろん、マーリンの育成方針だ。
「君は女の子だ。身体の強さも骨の太さも、男には敵わない。でも、魔力を鍛えれば話は別だ。魔力で身体能力を強化できれば、素の肉体の差は誤差になる。魔力での強化は、英雄の最低条件でもある。それほどに魔力があるのとないのとでは、差がある」
マーリンは魔力を纏った剣で、岩を両断してみせた。すごい。こんなことが。
「これが魔力纏いの威力だ。魔力は精神力と強く結びついている。だから、精神修行が効果的だ。いいね、スカーレット」
「はい。頑張ります」
「……ほどほどにね」
1週間後。
「スカーレット! どこだ! スカーレット返事をしてくれえ!」
微かな声が聞こえて、目を開ける。
瞼が硬い。重いというか硬い。
そういえばいつからこうしてたっけ。
「スカーレットちゃん、森のなかで何してるの!? もう何日も姿が見えないと思ってら! なんか蔦とか体に絡まってるし!?」
「瞑想を」
日が昇るたびに岩に刻んだナイフの傷跡は、七つを数えている。
「たぶん7日間くらいですかね」
「完全に頭がイカれている……!?」
「マーリン、疲労回復の魔法を──」
「寝なさいッ!」
2年が経つ頃、鋼の剣を振るうようになった。わたしには大きな代物だったが、魔力纏いによる身体強化を身に着けていたので、自在に振るえるようになっていた。
4年が経つ頃、マーリンと打ち合うようになった。刻一刻と状況が変わるなかで判断力を養った。
6年が経つ頃、オーファル村を出て、遠征し、怪物を倒すようになった。生き物を殺すのは、最初はすこし躊躇したけど、慣れればなんてことはなくなった。
8年が経つ頃、ようやく基礎的な魔法の訓練が始まった。
そして、あの日から9年が経った。
わたしは孤児院の私室で姿見を見つめていた。
可愛い。今日もばっちり可愛い。
自分の容姿が気に入っている。ピンク色の髪と瞳。凛々しさのある顔つき。身長もかつてと比べたらずいぶん伸びた。手足もすらりと長い。まだ伸びて欲しいけど。
そんな風に思いながら、髪をとかし、結わう。
鋼の剣を手に取り、部屋を出る。
14歳は孤児院の最年長組だ。
わたしもそろそろ身の振り方を考えないといけない。
まあ、もう九分九厘固まってはいるけれど。
「スカーレット姉さま、はあぁ、今日も素敵です……!」
「姉さま、頑張ってください……っ」
「お姉さまなら勝てます!」
「ありがとうね。行ってくるよ」
孤児院の子たちに見送られ、わたしは飾り付けられた村の広場を抜ける。人通りがすごい。人口300人に満たないこのオーファル村のほぼ全員が出てきている。
今日は祝祭だ。
このめでたい日を、マーリンはわたしの卒業式とした。
マーリンは賑々しい広場からは遠い村はずれにいた。
いつもと違う。長い髪を紐で結わい、右手に長剣、左手に大きな杖を携えている。
わたしは剣を抜いて、片手で遊ぶように回転させる。指の間をくぐらせ、捻り、手首で返し、手の甲で転がし、逆手に順手へ持ち替え──ひと通り動かして、指と手首の準備運動を終える。
「来たね。緊張してるかい?」
「全然だよ」
「さすがだ」
マーリンは優美に微笑む。
「僕を越えられないようじゃ、王になるなんて夢のまた夢」
「そうだね」
「さて、それじゃあ、やろうか、スカーレット」
「よろしくね、マーリン」
わたしの旅立ちにつけた師の条件。
それは師マーリンを、わたしが倒すことだった。
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