5. 再会
ジェシカがぶつかってしまった相手もまた、大きく目を見開いている。
「ジェシカ……!?」
返事ができない。
今すぐ逃げたいのに、そうすることも叶わなかった。
体が硬直してしまって、動かないのだ。
代わりに、時間を急速に遡っていく感覚に陥った。
ノーステリア州立図書館にいるはずなのに、魔法学校の図書館にいるような錯覚が起きる。
「僕は出張でここに来ていて、これから講演をする予定なんだけど、ジェシカは旅行で? いや、それよりも今までどうしてた?」
これほど驚きが混じっている声を聞いたことはなかったが、記憶していた抑揚の少ない優しい声と相違はない。
心臓が震える。
外は晴れているはずなのに、雨の日の匂いまでしてくる。
ハンスがジェシカの身なりに目をやった。
「もしかして、今ノーステリアに住んでるのか?」
もう二度と会わないと決めていたはずの人。
だが、会いたくて焦がれていた人でもあったことを痛感させられてしまう。
「何か言ってくれないか?」
首を傾げ、ジェシカの瞳を見入る。
かつて好きだった仕草だ。
当時抱いていたのと同じ気持ちが込み上げてくる。
(ああ! でも、ダメよ‼︎)
顔を逸らし、わざとノーステリアのイントネーションで答える。
「あの、人違いだと思い……」
「そんなはずがない!」
ハンスらしからぬ熱量だと思った。
少なくとも、ジェシカはハンスから話している途中で遮られた経験はなかった。
記憶の中のハンスは、いつだってジェシカの話に余さず耳を傾けてくれた。
ジェシカが驚いたのを見て、ハンスは気まずそうな顔をした。
「すまない。でも、どうか理解してほしい。ようやく見つけられたというのに、君が他人のフリをしようとするから、つい焦ってしまった」
「私のことを探してた……?」
「当たり前だろう? 君のご両親や、君と親交のあった同級生には、君の行方を知らないか、ひとり残らず当たったよ」
『両親』という言葉にドキッとする。
「それなのに手がかりは何も得られなくて。外出するときには、君がいないかと常に気にしてたよ。とうとう会えた!」
意外だった。
そんな人だとは思っていなかった。
(姿を消せば、すぐに私のことなんて思い出しもしなくなるだろうと……)
来る者を拒むことはしないし、孤立している者にも等しく声をかける。
けれど、僅かでも鬱陶しそうな素ぶりや拒絶を見て取れば一定の距離を置くし、離れていく者を追うこともしない。
他人に執着がない。
そういう人だと思っていた。
ジェシカが知らなかっただけで、元々こういう一面をもっていたのか、それともハンスが変わったのか。
「君がこれまでどうしていたのかを訊きたいが、このあとは講演会の事前打ち合わせやランチの約束があって、時間が取れない。講演会が終わったあと、ディナーを一緒にどうだろうか?」
「ムリだわ‼︎」
今度はハンスが驚く番だった。
ジェシカに即答で断られるなど、想像もしなかったに違いない。
けれど、ジェシカは変わったのだ。
今のジェシカには、何よりも優先すべき存在がいる。
「家族! そう、家族の夕食を準備しないといけないし、一緒に食べないといけないから」
ハンスがジェシカの左薬指の付け根に視線を移したのが分かった。
指輪をしているかどうか確認したに違いない。
(ハンスはどうなのかしら……結婚はしてる?)
していても、おかしくはない。
カレッジを卒業して、立派な仕事に就いているのだから。
「なら、家族も招待するよ。ご両親かい?」
「それには及ばないわ!」
「そんなこと言わず、どうかこの通りお願いだ」
ハンスは引き下がろうとしない。
ジェシカと再会できたこのチャンスを、何があっても逃がさないつもりだ。
その覚悟がひしひしと伝わってくる。
そのディナーには、ハンスの家族、妻も同席させて、紹介してくれるつもりなのかもしれない。
(そんなの、ご免だわ……)
「私、もう行かないと! ハンスも忙しいんでしょう? 今日は会えてよかったわ。講演会の成功を祈ってる。それじゃあ!」
「待って‼︎」
ハンスのことを忘れた日はない。
本当はずっとずっと会いたかった。
けれど、今の自分はセシルのためだけに生きている。
それに、ハンスにはしあわせになってもらいたい。
お互い関わらない。
これが最善である。
だから、待たない。
何があろうと絶対に。
ジェシカは踵を返すと、脱兎のごとく図書館から抜け出した。
あっという間の出来事だった。
しかし、ハンスもそれに負けず劣らず素早かった。
秒の速さで走り去るジェシカの背中に掌を向けた。
そうして、魔法をかけた。
逃げることだけに集中していたジェシカがそれに気づくことはなかった──
ジェシカは出入口のドアを通り抜けると、すぐさま直角に曲がりしゃがみこむ。
そのまま壁沿いにそろりそろりと移動し、窓の真下まで来たところで停止した。
(正真正銘、ハンスだった。私、ハンスに会ってしまったんだわ)
こんな偶然があっていいものだろうか。
神様のイタズラだとしたら、タチが悪いにも程がある。
(ひどいわ、こんな不意打ち)
声には出さずに、ゆっくりと100まで数える。
数が上がるにつれ、少しずつ心拍数は下がる。
けれど、気持ちは全く落ち着かない。
それでも、ジェシカにはやらなければならないことがある。
恐怖心をどうにか堪える。
音を立てずにそろりそろりと腰をあげ、窓から中をこっそり窺いた。
読み聞かせ会がおこなわれている小部屋では、子どもたちがお行儀よく座っているのが見える。
読み聞かせ会はまだ終わっていないようだ。
ほっとため息を吐く。
セシルの姿は見えないが、セシルもまた目をキラキラさせながら聞き入っていることだろう。
ジェシカは続いて、先ほどまで自分のいた場所に視線を移した。
ハンスはその場からいなくなっていた。
事前打ち合わせとやらに行ってくれたのだろうか。
多忙なようで何よりだ。
念には念を。
ジェシカはもう1度、100まで数えてから図書館の中へと戻った。
書架から書架へと身を隠し、息をひそめながら、児童コーナーへ向かう。
傍から見れば、相当な不審者のはず。
しかし、誰にどう見られていようと、気にしてなどいられない。
ハンスにさえ再び見つからなければ、それでいい。
ほどなくして、セシルが花畑のような小部屋から出てきた。
「楽しかったよ! アヒルの兄弟が出てきてね……」
セシルは興奮して、早口にストーリーを聞かせてくれる。
『うん、うん。それで?』と相槌を打ちながら、ジェシカはセシルと手を繋ぎ、図書館の外へと誘導する。
セシルが歩けるギリギリの速さを見極めながら。
アヒルの冒険談よりも、よほどこちらのほうがスリルがある。
(やったわ、逃げられたわ!)
外に空気を吸ったときには、開放された気分になった。
「さあ、パンを買って帰りましょうね。お昼ごはんを食べたら、さっそく魔法の実践よ!」
──それはジェシカの知らない、ジェシカとセシルが出入口のドアを抜ける少し前の出来事。
研修室から男たちがわらわらと出てきた。
雰囲気はとても和やかだ。
「スティルロッドさん、続いて講演会会場の大セミナー室にご案内しますね」
「お願いします」
「確認していただいて、もし不備などありましたら遠慮なく仰ってください」
「はい、ありがとうございます」
男たちはそろって前を向き、大セミナー室へと進む。
その中でハンスただひとりは、同じ方角に向かいながらも、別のある一点を見やる。
迷うことなく真っ直ぐに。
(図書館に戻ってきたのか? なぜ?)
その双眸を大きく開く。
(……子ども?)
ジェシカが男児の手を引いて急ぐ後ろ姿を、しっかりと捉えてていた──




