1. 封書
仕事を終え、息子セシルとともに安下宿に戻ってきたジェシカは、待ち侘びていた封書が届いているのを見つけた。
(ついに! ついに来たわ‼︎)
そろそろ届くはずだと思い、ここ数日間ずっとソワソワしていた。
疲れていたはずだが、そんなものはあっさりと吹き飛んでしまう。
ジェシカはしゃがんで目線をセシルに合わせる。
そうして、セシルの前に手紙を差し出す。
「セシル、ここに触れて」
封書に封をしているのは蝋ではない。
宛名本人が触れることで解除される魔法のシールだ。
「どうして?」
「いいから、やってみて。さあ、何が起こるかな?」
セシルは母親の顔とシールを交互に見て、それからようやく指を伸ばした。
セシルの指先がシールに触れた瞬間──
「わああ!」
シールが光り、セシルの顔を照らす。
まもなくして暗くなったが、そのときにはシールまでも完全に消えていた。
「ママ、今の何⁉︎」
(ふふっ、驚いてる驚いてる)
この笑顔を見たくて、どんな現象が起こるのかは事前に言わないでおいたのだ。
「セシルだけに開けられる特別なシールよ」
「すごーい! これも魔法?」
「そうよ。さあ、中を見てみましょうね」
セシルの興味はまだ完全にシールにあったが、ジェシカは1秒でも早く中の手紙を確認したかった。
中身だけ抜き取ると、封筒だけセシルに渡してやる。
もはや何の変哲もない空っぽの封筒にも拘らず、セシルはそれを大よろこびで受け取ると、フタの部分を開けたり閉めたりして熱心に調べ始める。
ジェシカはそんなセシルを愛おしく思い、頬を緩めた。
が、その間も意識が手元から離れることはなかった。
いよいよ二つ折りにされている手紙を開く。
と同時に、飛び込んできたのは『合格』の文字。
「セシル、おめでとう!」
初・中等教育を受けられる州立魔法学校の入学試験に受かったのだ。
ジェシカは手紙を握ったまま、セシルのことを抱き締める。
セシルなら不合格になることなどあり得ないと確信していたが、それでもこうして合格通知が届いて安堵する。
「ぼく、魔術士になれるってこと?」
「セシルならきっとなれるわ。だから、魔法学校でがんばってお勉強してね」
「うん、がんばる!」
魔術士になるには、魔法学校を卒業して、さらに上のカレッジで高等教育を受けなければならない。
しかし、セシルなら魔術士になるのも夢ではないはずだ。
かつて6歳だったジェシカもまた、ここノーステリア州よりもっと田舎の州ではあるが、同じような州立魔法学校の門戸をくぐった。
そんなジェシカの目から見ると、セシルはまだ小さな子どもでありながら、母親以上の魔法の才をもっていそうな片鱗を覗かせていた。
それが誰譲りのものであるのか──
ジェシカはそのことにも気づいていた。
「さあ、急いで夕ごはんの用意をするわ。いい子で待っててね」
「はーい!」
ジェシカとセシルのふたりは、古くて建て付けも悪い集合住宅の小さなひと部屋で暮らしている。
部屋にはわずかな家具を置けるだけの広さしかない。
そこで、本来であればひとり用のはずのダイニング・テーブルに無理矢理椅子を2脚置き、夜になればシングルベッドに身を寄せ合って眠っている。
そんな窮屈な家でも、ジェシカにとっては、セシルのためにどうにか用意し、維持してきた住まいだ。
ジェシカはスープの入った鍋を魔法で温め直す。
この程度の魔法であれば、ジェシカにとってはお手のもの。
帰りがけに購入した硬いパンと、残りもののスープ。
これが本日の夕食メニューの全てだ。
スープが温かいことだけが、せめてもの救いだ。
こういうとき、魔法が使えてよかったと思う。
魔法が使えなければ、燃料代をケチって冷えたスープをださなければならないところだ。
「できたわよ。どうぞ召し上がれ」
「いただきまーす」
「よーく噛んでね」
いつもと変わり映えのしない食事にも、セシルは不平のひとつも漏らさない。
それもそのはず。
セシルは、お祝いだからといって、特別なご馳走を食べた経験がないのだから。
誕生日でも新年でも、『おめでとう』という言葉で祝うのみ。
セシルは、笑顔で今日幼児保育所であった出来事を母親に話して聞かせながら、せっせとちぎったパンを口に運ぶ。
会話にも食事にも一生懸命だ。
(本当はお祝いに何かおいしいものを食べさせてあげられたらいいのだけど……)
しかし、生活はギリギリなのである。
日中働いている間、セシルを保育所に預けるしかないが、そうするにもお金はかかる。
毎月家賃を支払うのも綱渡りな状況だ。
とてもではないが、それがほんのたまの機会であっても贅沢できるような余裕はない。
それに、これからセシルの入学に向けて物入りになる。
ローブに、教科書に、筆記具に……
これまで以上に節約しなければいけない。
「ねえ、ママ?」
ジェシカははっとした。
今自分はお金の心配をして暗い顔になっていなかっただろうか。
大切な母子の時間なのだ。
努めて笑顔を作る。
「うん、なあに?」
「さっきのぼくだけが開けられたシール、ぼくでも作れる?」
「うーん、どうかな……」
ジェシカは少し考える。
蝋の代わりに封をするだけでいいのなら、今すぐにでも可能だが、開封する個人を限定するとなると、もっと複雑な術式になるはずだ。
少なくとも、ジェシカは今までに使ったことはない。
学校で習ったこともなかった。
それでも、と思った。
(何とかなるんじゃないかしら??)
「今度のお休みに図書館に行って、どんな魔法か調べてみようか?」
「うん!」
中等教育までしか修了していないジェシカが習得している魔法は多くはない。
とはいえ、基礎理論は叩き込まれ、しっかり身についていた。
それほど高度な魔法でなければ、独学で新たに習得することも十分に可能だ。
以前から魔法に興味をもっていたセシルが、魔法を使ってみたい、とはっきり言葉にしたのは3歳のときだった。
ジェシカが日常的に使ういろいろな魔法に興味をもったようで、具体的にどの魔法を、というのはなかった。
どれでもいいからとにかく魔法を使ってみたい! という漠然とした憧れだったのだろう。
あるいは魔法が発動する瞬間に出る光に魅了されたのかもしれない。
ジェシカは息子の好奇心を手放しで褒め、初歩の初歩から手ほどきした。
それに応え、セシルは着実にステップアップした。
そうして4歳になる前に、魔法学校の1年生が学ぶはずの内容をすっかり覚えてしまった。
セシルはますます魔法に夢中になっていった。
ジェシカもまた然り。
セシルに教えることがますます楽しみになっていた。
その頃になると、あの魔法を覚えたい、この魔法を使いたい、と具体的な要望を出すようになっていた。
幼い男の子が望む魔法である。
ジェシカが魔法学校で学んだことの範疇外なこともあった。
その度にジェシカはセシルを連れて、公立図書館へ向かった。
ジェシカがお目当ての魔法書を探し当てると、セシルはまだ文字が読めないにも拘らず、決まって目を輝かせた。
そうして、まずはジェシカが魔法書を読み解き理解し、セシルに実践して教えてやった。
まだジェシカが学生だった頃、細フレーム眼鏡のムーンウェイン先生は口癖のように言っていた。
「魔法はどれだけ学んでも、学び尽くすということがありません。どんな形でもよいので、生涯学び続けるという覚悟でいてください」
セシルが魔法に興味をもたなければ、新たな魔法を学びたいという欲求は生まれなかったはずだ。
セシルのために魔法を覚えるようになってからは、先生の言葉をよく思い出すようになった。
(先生の教え通りに私が今も学び続けていられるのは、セシルのお陰だわ)
働いて食べて寝て──
その繰り返しだけでも十分大変なのだが、セシルのためなら不思議と意欲も湧いてくる。
かつて、ムーンウェイン先生に憧れて教師になりたいと夢見ていたこともある。
懐かしい思い出だ。
(セシルの通う学校にも、ムーンウェイン先生のような素敵な先生がいてくれらいいな)
ジェシカはセシルの笑顔を眺めながら、セシルの学校生活が楽しいものになることを願った。




