第三十三話 保守派、最大の、反撃
産科法を議会に提出する、当日の朝。
ベル・サンテに、何かが忍び込んだ。
執務室。
書類を整理するセレスティーヌの背後で、床がわずかに軋んだ。
振り向く暇がない。
黒いフードの男が、短剣を構えて立っていた。
「お嬢様、申し訳ない」
「……っ」
喉が動かない。
短剣の切っ先が、背中に触れる。
その刹那——
淡い光が弾けた。
刃が、はじかれる。
ベル・サンテに常駐する、護衛担当の治癒師がかけていた防御の結界だった。
扉が蹴り開けられた。
ラファエル・ド・サン・ジュストが、そこに立っていた。
「貴様、誰の命だ」
男は答えない。
窓へ走り、迷いなく飛び降りた。
「セレスティーヌ嬢、ご無事か」
声をかけられて、ようやく息を吐く。
膝が笑っている。
「ラファエル様……お助け、感謝申し上げます」
「ベル・サンテの警備を、即時強化する」
「ええ、ええ、お願いします」
---
その日、議会で産科法が提出された。
ヴェルニエ侯爵が、立ち上がりざま声を張った。
「サン・ジュスト卿、貴方のお嬢様は、なんと奇妙な提案を続けることか」
「ヴェルニエ卿、産科法は不要とお考えか」
「不要である。貴族の女性は産婆を雇える。平民の産科は、平民の問題だ」
「令嬢風情が、医術を語るとは片腹痛い」
議場がざわめいた。
扇子の陰で、笑いを噛み殺す貴族もいる。侯爵の顔は、それだけで赤くなった。
「ヴェルニエ卿、王弟殿下が本日、ご臨席でいらっしゃいます」
ラファエルが、王弟席を軽く指し示す。
侯爵の顔から、みるみる血の気が引いた。
「殿下、ご意見をお聞かせいただきたい」
王弟オーギュスト殿下が、静かに立ち上がった。
「王国においては、平民の命も貴族の命も、すべて私の未来の臣民の命である」
議場が再びざわめいた。
今度は、誰も笑わない。
「シャティヨン家のお嬢様の改革で、毎月五十人が救われている。これを王国全土に広げようという提案を、私は全面的に支持する」
その日、産科法は可決した。
ヴェルニエ侯爵派の抵抗は激しく、煮沸消毒の義務化だけは、施行が半年後に持ち越された。
---
夜、ベル・サンテの執務室に、ラファエルが訪ねてきた。
「警備を強化いたしました」
「ありがとうございます」
「ですが——」
ラファエルが、わずかに目を伏せる。
言葉を選ぶような、間があった。
「貴方のお側で、警備を強化したい」
「お側で?」
「貴方の護衛を、私が直接担いたい」
「ラファエル様、貴方は公爵嫡男でいらっしゃいます。護衛役では——」
「セレスティーヌ嬢」
ラファエルが、深く息を吸う。
まっすぐに、彼女を見つめる。
その金の瞳に、初めて見る強さが宿っていた。
「私、貴方に申し上げたきことが、ござ——」
ろうそくの炎が、揺れた。




