第二十三話 公衆衛生《こうしゅうえいせい》の、概念導入
王都の貧民街、その北の奥地。
ベル・サンテの医師団十名、看護師十六名、産婆五名、薬師二名。そこにサン・ジュスト公爵家の職人二十名が加わった。総勢五十三名で、街の上下水道の調査と簡易整備に取りかかる。
指揮を執るのは、社交界の華だったはずの令嬢だ。今は泥だらけの長靴で、先頭を歩いている。
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「ガイウス薬師、これお願い」
「セレスティーヌ嬢、確かに。井戸の水を検査する薬剤でございますね」
「どぶ川の水も」
ガイウスの眉が、わずかに上がった。十七歳の令嬢の口から、淀みない指示が飛ぶ。この数か月、数えきれないほど繰り返してきた瞬きだった。
「……了解いたしました」
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ガイウスは各地の井戸と川の水を採取し、ベル・サンテ地下の薬局へ持ち帰って検査した。セレスティーヌが前世の知識で即席に組んだ、簡易の水質検査法だ。
「お嬢様、北の井戸は汚染が酷うございます」
「煮沸消毒の指導に入りましょう」
「左様でございますね」
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セレスティーヌは貧民街の長老たちのサロンに出向いた。
「皆さま、お話し申し上げます」
「シャティヨン家のお嬢様、ご足労ありがとうございます」
「皆さま、北の井戸をこれから毎日煮沸して、飲んでいただきたいのです」
「お嬢様、煮沸と申しますと」
「水を湯にして飲む、ということです」
「お嬢様、それには燃料がいりますで、貧しい者には難しゅうございますで——」
セレスティーヌは扇の先を、迷いなく振った。
「サン・ジュスト公爵家が、燃料を無料で供給いたします」
老爺の目が、零れ落ちそうなほど見開かれた。
「……お嬢様!」
「それでこの煮沸用の大きな釜と桶を、共同で二十置きますわ」
隣の老婆が、袖で目元を押さえた。
「お嬢様、それは、それは……」
「子供の死亡率が半分になります。お子をお持ちのお母様、お父様、これだけはお守りください」
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その一ヶ月後、貧民街の新生児と乳幼児の死亡数は、実に四割低下した。
夜泣きの声が、増えた。
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王都通信の見出しに、再びセレスティーヌの名が躍った。
> 「シャティヨン家のお嬢様、貧民街の子供の命を救う」
> 「煮沸の奇跡、半数が生き延びる」
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そのニュースを受け、王宮では王太子妃殿下が王陛下に進言した。
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「陛下、シャティヨン家のお嬢様の医療事業は、王国の宝でございます」
陛下は書類から顔を上げた。
「うむ?」
「陛下、もしよろしければ、お嬢様に勲位をご検討いただきたく」
「ふむ、勲位か。お嬢様は未婚で若い令嬢であろう」
「陛下、お嬢様のお仕事はすでに領主級、いえ宮廷級でございます」
陛下は顎髭を、指先で撫でた。
「ふむ、考えよう」
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その夜、宮廷の一室。ヴェルニエ侯爵はワイングラスの脚を、指先でこつこつと鳴らしていた。眉間に、深い皺が寄っている。
「あの女、勲位まで貰う気か」
「閣下、お止め申し上げる論理を組まねば」
「うむ。次の議会で、これは徹底的に潰す」
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セレスティーヌは夜、ベル・サンテの執務室でラファエルから報告を受けた。
「セレスティーヌ嬢、ヴェルニエ侯爵が議会で産科法の提案を潰すために、画策を開始したと」
「ふん。来ますわね」
「来ます」
セレスティーヌは扇を、軽く開いた。
「私、ヴェルニエ侯爵にお聞きしたいわ。彼の領地で、新生児死亡率は何パーセントでいらっしゃるのか」
「セレスティーヌ嬢、それを議会で突き付けたら——」
「議会で突き付けますわ。私は女ですから議会には立てませんが、ラファエル様、貴方が代弁なさいませ」
「承知した。喜んで」
ラファエルは、軽く微笑んだ。
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セレスティーヌは、扇をぱちりと閉じた。
前世、幾度となく向き合った顔がある。制度を守ろうとする者たちの、あの顔。
ここでも、勝つ。
必ず。




