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婚約解消されたオバカ令嬢、前世を思い出す  作者: 鷹居鈴野


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第十五話 若い令嬢たちの、密かな憧れ

 ティーパーティーの翌週、シャティヨン伯爵邸に奇妙な来客が続いた。


---


 朝の八時。若いヴェリエール子爵令嬢――マルゴが押しかけてきた。


「ティナ、宣言通り来たわよ。切って、私を第二号にしてちょうだい」


「ふふ、いいわよ」


 セレスティーヌは鏡台の前にマルゴを座らせ、顎をくいと持ち上げた。触診のときの癖が、指先に出る。


「あの、お嬢様。私、まだお嬢様のお髪しか揃えたことがございませんが……」


 ロザリーが震える指で鋏を持った。


「大丈夫よ、ロザリー。隣で見ているから」


「は、はい」


---


 セレスティーヌは緒方真理子時代、二十年分の自己整髪の勘を総動員してロザリーを指導した。手つきはまるで新人医師への指導だった。持たせているのは鋏で、メスではないけれど。


「まず髪を肩の長さで揃える。前髪は後で別に考える」


「は、はい」


「まっすぐに引いて、まっすぐに切る」


「は、はい」


「マルゴ、お顔の輪郭見せて」


「うん」


「お顔の丸み、わかる? あなた顎が丸めね。だから頬を少し隠す長さにしよう。あごの線より二本指下まで長く」


「うん」


「ロザリー、聞こえた?」


「は、はい、お嬢様。二本指下まで長く」


---


 二時間後、マルゴは栗色のきれいなボブヘアになっていた。


「……ティナ……」


「うん?」


「これ、私、いままで髪結いに毎日一時間かけていたのに――」


「うん?」


「ティナ、私、いままでの人生何だったの」


「ふふ」


「めちゃくちゃ楽。めちゃくちゃ軽い。これ、寝起きにぼさぼさにならない感じがする」


「そうよ。寝癖が付いても、ロザリーがささっと整えればすぐ戻るのよ」


「……ティナ、あなた女性の人生変えるわよ、これ」


 セレスティーヌは扇の影で軽く笑った。


「ふふ、それも計算のうちよ」


---


 午後二時、オルレアン伯爵令嬢シャルロット――マルゴの遠い従妹、十六歳が訪れた。


「あの、私、ヴェリエール家のお話を聞いてまいりましたの……。私もお願いできれば、と」


「もちろんですわ、シャルロット様」


---


 午後四時、モンメリエ侯爵家第二令嬢エメ――十五歳。三人目だ。セレスティーヌは内心、外来の受付名簿をめくる気分になっていた。


「シャティヨン家のお嬢様、私、母には内緒で参りました……。切っていただけませんか?」


「ええ、もちろん」


---


 夕方六時、ヴァロワ家の双子の令嬢、十四歳と十二歳。


「私たち、双子でお揃いのボブヘア、お願いいたしますの」


「あら、可愛い。双子で揃えるのね」


 セレスティーヌは思わず笑った。二人一組なら、鋏は一度で二度おいしい。


---


 その日の夜、シャティヨン家から五人の令嬢が、新しいボブヘアで意気揚々と帰っていった。


---


 夕方、ロザリーは汗だくで座り込んだ。


「お嬢様……私、これで髪結いの職人になれるのでしょうか」


「ふふ、もう立派な職人よ」


「お嬢様……私、これで人生、変わるのですか」


 セレスティーヌはその肩に軽く手を置いた。


「ロザリー」


「は、はい」


「あなたの人生、変えてあげる」


「お嬢様……?」


「あなたを、ベル・サンテの隣に作る女性専用の新しいお店の店長にするわ」


「お、お店?」


「ええ。髪結いと美容と、女性の健康相談をひとつにした店」


「お嬢様、私、平民で……店長になど、務まるのでしょうか」


「平民でも貴族でも関係ないわ。手先が器用で、心の優しい女性が店長になるの」


 ロザリーは口を開けたまま固まり、やがてぽろりと涙をこぼした。


「お嬢様……」


「これ、楽しい?」


「は、はい。楽しゅうございます、楽しゅう……」


「なら、あなたの人生を、ここから書き換えましょう」


 ロザリーはただ、繰り返し頭を下げた。


---


 翌週、シャティヨン家には十二名の令嬢が訪れた。


 翌々週には二十二名。


 その翌々週には三十名。


---


 三十人目の予約表を見て、セレスティーヌは眉を寄せた。


 ――この増加曲線、見覚えがある。院内感染の拡大と、同じ勾配だわ。


 もう、追いつかない。


「ロザリー」


「は、はい」


「もう一人、髪結いの助手を雇いましょう」


「は、はい、お嬢様」


「平民街で探すわ。手先の器用な若い女性」


「お嬢様、お屋敷の外でお探しになるのですか」


「ええ。もう屋敷の中でこなせる規模ではないもの」


「お嬢様、お一人、私に心当たりがございます」


「あら、本当?」


「先日お嬢様がお助けになられた貧民街のジャン少年――お母さまを亡くしかけたあの子の、母の妹さまが、平民街の理髪屋の孫娘でいらっしゃいます」


「……と、いうと?」


「マチルダさんとお呼びしているそうです」


 セレスティーヌの目が見開かれた。


 ――マチルダ。あの夜、会いに行くはずだった娘だ。


 報復事件のせいで、結局あの約束は果たせずじまいになっていた。こんな形でまた名前が出てくるとは。


 ――果たせなかった約束を、今度こそ。


「ロザリー、あの夜果たせなかった約束を、明日こそ果たしましょう。マチルダさんにお会いに行くわ」


「畏まりました」


---


 セレスティーヌはその夜、ベル・エトワールの仮の設計図を描き始めた。


> 構想――美容と医療の融合空間

>

> ・一階:ヘアサロン。ロザリー店長、マチルダ補佐。男性入店不可、女性専用空間。

> ・二階:婦人科相談ルーム。産婆さんばギルドの若い助産師が常駐。妊娠、月経、避妊、産後の相談を内密に受ける。

> ・地下:薬局。婦人科専門薬を配布。

> ・建物の名前:ベル・エトワール。「美しい星」。

> ・場所:ベル・サンテの隣、徒歩二分。

> ・利用料:ヘアカット、低価格。婦人科相談、無料。


 設計図の隅に、セレスティーヌは自分のサインを書き入れた。そして、その下に別の名前を書くための空白を二つ開けた。ロザリーのサインの空白。そして、マチルダのサインの空白。


「明日、あなたたち――私の隣に立ってちょうだい」


 呟いた。


「ベル・エトワール。これから、私たち三人で立てるのよ」


---


 セレスティーヌはペンを置き、ベッドにもぐり込んだ。短い髪が頬をかすめる。


 ――ねえ、ヴィクトール様。私のボブヘア、似合うとおっしゃいましたね。


 頬が、まだ少し熱い。


---


 セレスティーヌは毛布を胸にぎゅっと抱きしめ、眠りに落ちた。

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