39.旅立ち
とうとう、クレーネー王国を出る日がきた。
しかし、見送りがつくでもない。人目につかぬよう、ひっそりと旅人に紛れ出ていくだけだ。
行き先はブルーナと話し合った結果、マレの両親の故郷へと向かう事に決めた。
ただし、マレの体力はそこまでない。
途中の村で滞在しながら、小金を稼ぎつつ向かう予定だ。行ってみて、そこに住まうかはまだ決めていない。
北方は寒い国だ。無理であればまた戻って、今まで滞在した村のどこかに落ち付こうと考えている。
幸いブルーナは剣の腕も立つ。マレも薬師としての腕があった。滞在先でそれらを駆使すれば、なんとか生きていく糧は得られそうだった。
多少ではあったが、旅費も支給される。とにかく、これで行けるところまで行こうとなった。
「マレ、あまり荷物を詰めては背負うのに大変ですよ? 背中が痛むでしょう?」
「大丈夫。だって、みんな必要だもの。これくらい平気──」
と、押さえこんだはずのザックの口が、幾ら紐を締めても締まり切らなかった。
中身は薬草に関する本と、薬を作るのに必要な道具の数々。あとは日々の着替えが少々。生活に必要なものは殆どはいっていない。
けれど、どれも置いて行くわけには行かなかった。途中で手に入るとは限らないのだ。必死なマレを見て、ブルーナは笑うと。
「少し、私の方に移しましょう。途中でばてても困りますから」
「ごめん。ブルーナ…」
「いいえ。──ああ、そう言えばアロが見送りに来ると言っていましたよ。玄関で待ってはいかがですか?」
「本当? 良かった。じゃあ、お言葉に甘えて…」
「こちらは私がなんとかしておきます」
「ありがとう! ブルーナ」
マレは声を弾ませ、玄関へと向かった。
アロとはなかなか会えず終いで。最後にやっと会えるとあって、心が浮き立った。
国の外に出てしまえば、もう会うことはできないだろう。
扉を開ければ、すぐそこにアロがいた。
「マレ!」
今、丁度着いたところらしい。マレを見て、飛びつくように駆けて来た。
「アロ。久しぶりだね? 見ないうちに、大きくなったね」
屈んでアロを見つめる。身長もまえよりずっと伸びていた。心なしか面差しも大人のそれになった気がする。
「身長、伸びたんだ! あれからずっと会ってなかったもの…。──ねえ、本当に行っちゃうの?」
「うん…。決まりだからね。アロは──僕のこと、聞いている?」
「うん…。けど、僕は信じない。──だって、僕の知っているマレは優しいもの。僕の知っている中で一番だ!」
「──ありがとう。アロ…」
アロの存在に、いつも救われている気がした。
「ね、最後にあのお唄、歌ってくれる? 忘れちゃいそうだから。いっぱい聞いて覚えたいの」
「うん。いいよ」
マレはアロの手を引くと、木陰に置かれたベンチに座ってそれを歌う。サイアンが歌ってくれたあの子守唄だ。
唄と言っても旋律のみで。ちょっと悲しいけれど綺麗な歌。
──二度とサイアンが歌ってくれることはない──。
「マレ? 泣いてるの?」
思わずこぼれた涙を手の甲で拭う。
「…ううん。なんでもない。ほら、アロも歌って。一緒に歌って覚えよう」
「うん!」
晴れ渡った空には、渡り鳥が舞っていた。もうそんな季節なのだ。黒い影が幾度も視界を横切る。巣作りに忙しいのだろう。
──父ルボルと、サイアンと作った巣箱は、今もそこにあるんだろうか。
そうして歌う事に熱中していたマレは、背後に立った人影に気づくのに遅れた。幾度目かを歌い終えた所で。
「──怪我は癒えたのか?」
唐突にかけられた声に飛び上がるほど驚き、背後を振り返った。
「──」
驚かないはずがない。そこにはサイアンが立っていたのだから。
「…誰?」
傍らのアロが不審げな表情を浮かべる。マレはアロと共にベンチから立ち上がると、
「アロ、お家に入ってブルーナに伝えてきて。──お客様が来たからって…」
「うん!」
アロは小走りになって家の中へと駆けていく。その背を見送った後、ゆっくりと振り返る。
そこには、見間違い等でなく、金の髪を風に揺らすサイアンが立っていた。
✢
「──どうして、ここに?」
「今日の旅立ちを確認するためだ。関所まで見届ける」
確かにブルーナから聞いていた。
だが、それは部下の仕事で、指揮官のサイアンが直々に来るとは聞いていなかった。見れば他に部下の姿もない。一人で来たようだった。
「わかりました…」
沈黙が続く。
サイアンの顔をまともに見ることはできなかった。
──これで最後だと言うのに。
怖くて見ることができないのだ。ぶたれた時の記憶が蘇る。実際の痛みより、胸に刺さった痛みの方がより鮮明だった。
──二度と会うことはないと、思っていたのに。
最後の確認に来たのだろう。もしかしたら、命を奪いに来たのかもしれない。
だから共もつれずに一人できたのか。
──それも、仕方ない。
生きて逃がすつもりはないのだろう。マレはそれでもいいと思った。せめて、サイアンの為に死ぬことができるなら本望だった。
そう思うと、自然と怖さはなくなった。それでようやく顔を上げることができる。
見返したサイアンは、以前より幾分、頬のあたりが痩せた様に見えた。美しい容姿なのは変わりないが、太陽のような明るさがそこに欠けている。
──僕のせいだ。
マレは唇を噛みしめる。
──僕が消えたばかりに、サイアンに辛い思いをさせた。
今さらながらに悔やまれる。あのとき、サイアンの言うことを聞いて、ラクテウス家に帰れば良かったのだ。リーマのことなど放って。
──そうしたら今頃。
けれど、やはりあの時、マレにリーマを捨てていくという選択はなかったのだ。
過去を悔やんだ所で、元には戻らない。もう、あの頃には帰れないのだ。
「ついでに、──これを託された」
そう言ってマレに近寄ると、懐から取り出したものをこちらに差し出してきた。
緑の石のついたネックレスだ。以前、リーマが大切にしていたカフス。
「──どうして?」
これは執事に渡したものだった。サイアンはその石に目を落したまま、
「執事がどうしてもと。自分がもつべきものではないと、託された」
「そうですか…。ありがとうございます」
マレが差し出した手の平に、それが落ちてくる。サイアンが握っていた所為で温もりが残っていた。
ついでサイアンが口を開く。
「…さっきの唄」
その言葉にはっとする。
「アロに──先ほどの少年に歌って聞かせたことがあったのです。…それで、最後にもう一度聞きたいと。申し訳ありません…」
マレはネックレスを胸ポケットにしまうと、居住まいをただした。
唄はサイアンが『マレ』に聞かせたものだ。『リーマ』が勝手に歌っていいものではないだろう。
また怒りを買うのかと、視線を落とせば。
「──そうか」
それだけだった。
顔を上げれば、サイアンは視線を空へと向けていた。視線の先には渡り鳥がせわしなく飛び交う。
「…サイアン様?」
家の戸口に、アロを伴ったブルーナが現れた。サイアンはそれを認め、表情を上官のそれに切り変える。
「出立を見届けにきた。準備はできたのか?」
「はい…。しかし、サイアン様自らとは」
ブルーナに緊張が走る。そっと腰に帯びた剣の柄に手をかけるのが見えた。
「…案ずるな。命を取りに来たわけではない」
腰に下げた剣を見えるようにローブを翻した。ブルーナも同じことを考えたのだろう。その言葉に幾分、緊張を解いたようだった。
マレはブルーナの元へ向かうと。
「──ブルーナ、荷物を。待たせては申し訳ない。…さあ、行こう」
「はい…」
ブルーナは足元に置いた荷物を背負わせてくれる。前より随分軽くなっていた。かなりの量を引き受けてくれたのだろう。
とは言っても、ブルーナとマレでは鍛え方が違う。マレの大変は、ブルーナにとってさほどのことではないのだろう。
ブルーナは自分の荷物を軽々と背負うと、そばにいたアロを振り返り。
「アロ、この鍵を先生に渡して置いてくれるか? ありがとうと伝えて置いて欲しい」
今も院内で忙しく立ち回っているはずで。そのため、すでに先に別れは伝えてあった。アロは大きく頷くと。
「うん、わかった。ブルーナ。──それと…」
アロはマレに向かい。
「マレ。僕、大きくなったら、きっと会いに行くからね? お手紙、絶対よこしてね?」
「うん、分かったよ…。手紙は先生の所へ送るから。先生がきっと伝えてくれるよ。──それじゃあ」
マレと呼ばせているのを、咎めないだろうかと気になったが、サイアンは別段気にした様子はなかった。腕組みし、ただこちらのやり取りを見つめている。
「マレ! マレのこと……大好きだよ!」
そう言ってアロが首筋に抱き着いてきた。それを屈んで抱き返す。
アロはリーマがどんな人物か、母親や周囲の大人から聞いているはずだった。けれど、出会った頃とちっとも変わらない。
それがどんなに自分を救ったか。自分のしたことは間違っていなかったのだと思えた。
「…ありがとう。アロ」
滲みそうになった涙をこらえ、アロの頭を軽く撫でてから身体を離した。
✢
アロに見送られ、間借りしていた医者の家を後にした。
ここは街はずれで、関所にも近い。一時間もしないうちにそれが見えてきた。
街道の入口に頑丈な木製の門扉がある。そこを越えれば隣国だった。皆、手にしたり、首にかけた札を、関所番に見せて通過していく。
マレ達のものは片道のみだ。出ることはできても、戻ることは不可能で。戻るには自国の許可と相手国の許可がいる。リーマにその許可は下りない。
それに、身分や名前を偽って入ったとしても、バレた時点で極刑となる。罪人とはそう言うものだった。その危険を冒してまで、戻ろうとは思わない。
それに手を貸したブルーナも巻き添えを食うことになる。そんな目にあわせるわけには行かなかった。
「それでは──」
ブルーナが、後方からついてきたサイアンに、軽く目礼して見せる。マレは何か口にしたかったが、言葉がみつからなかった。
本当は伝えたいことがたくさんある──。
けれど、どれを口にしても、今のサイアンには受け入れられないだろう。
全てを飲み込み、ただ頭を深々と下げた。
──どうか、幸せに。
と、そこへサイアンが思わぬ言葉を投げかけてきた。
「巣箱は…私がかけ直した。──心配しなくてもいい…」
その言葉にはっとして顔をあげ、サイアンを見つめる。
その表情には、今までとは明らかに違う、苦悩と共に、懐かしいサイアンの顔があった。
サイアン──。
「……っ」
思わずその場に泣き崩れる。
「リーマ様?」
ブルーナが咄嗟に腕を差し出した。その腕につかまって、さらに泣き続ける。ブルーナには、泣く意味が分からないだろう。
──でも、涙が止まらない。
肩を支えられ、そのまま関所に向かおうとすれば。ざりと土を蹴る音。それと同時に、背後から強く抱きすくめられた。
ふわりと懐かしい香りがする。いつもサイアンが好んで使っていた、クリームの香りだ。
「……!」
「──いつか。…訪ねよう…」
マレは顔を上げ、振り返る。
日の光をすべて集めた金糸のような髪。澄んだ湖水のような青い瞳。口元に浮かぶ柔らかな笑み──。
どれもが昔のままだった。
マレは小さくうなづくと、幼い子どもの様にサイアンの腕の中に頬を埋めた。サイアンもまた、慈しむ様にマレを抱きしめる。
──生きていて、良かった…。
すべてが報われた瞬間だった。
時が止まった様に、しばらくの間、そうしていたが。
「──別れの時だ…」
そう言ってサイアンは腕を解くと、マレの頬にそっと触れ、
「次、会う時まで──どうか息災で」
「……うん」
サイアンの瞳は優しいままだ。マレは名残り惜しげに手を離す。
「──行きましょう」
ブルーナが促す。
「…サイアンも、どうか──お元気で…」
「ああ…」
その瞳を、表情を。しっかりと記憶に刻みつけた。
その後、サイアンに見送られ、マレはブルーナと共に旅立った。
サイアンは、最後に認めてくれた。──いや、確かめただけなのかもしれない。巣箱の事を知っているのは、マレだけなのだ。
──本当に僕が『マレ』なのか。
『──いつか、…訪ねよう』
──あの言葉は、サイアンの精一杯。
そのいつかが一生こなくとも、十分、報われた気がした。
✢
サイアンは去っていく二人の背を見えなくなるまで見つめていた。
──行ってしまった。──やはり、あれはマレだったのか…。
リーマはすっかり以前と姿を変えていた。
火災で火傷が影響したのか、心労が祟って髪がすっかり白髪となっていて。顔や手足にも火傷の痕が残る。背中はもっと酷いと聞いていた。
以前のリーマを知るものが見ても、同一人物とは思わないだろう。それほど、外見はかわった。
──だからと言って。
やはり、あれはリーマなのだ。中身がたとえマレだとしても。
ブルーナのように、全て許して受け入れることはできない。自分の愛したマレを奪った男の身体だ。愛せと言われて、簡単にそうとはならない。
──だが、生きていた。
リーマの中に。
巣箱のことは、マレと自分しか知らない。ラーゴでさえ知らないのだ。まして、リーマが知るはずもなく。
──ブルーナの言葉は正しかった。
もっと、かけるべき言葉があったはず。
今でも愛していると。生涯、愛するのはマレだけだと。
──しかし。
マレの笑顔を思いだす。あの、マレは二度とこの手の中に帰ってはこないのだ。
──私のマレは死んでしまった。
きっと、次、リーマに会うことがあっても、マレのように愛すことはできないと分かっていた。どうあっても、あれはリーマなのだ。
──いつか。
この胸のわだかまりが消えた時、訪ねてみようと思った。
それがいつ来るかは分からない。
落ち着き先が決まれば、きっと医師へ手紙を書くのだろう。その時、また考えようと思った。
──それまで、どうか息災で。
今はそれが精一杯だった。




