38.正体
マレはその後も、順調に回復していった。
ブルーナの献身的な看護が、それに大いに貢献しているのは否定しない。
背中は相変わらず引きつれるが、これはもうこのままらしい。酷い跡が残ってしまったとブルーナが嘆いたが、べつにマレ自身は気にならなかった。
見えないのもあるし、そんな跡を他人に見せる機会もないからだ。──が、最近それも少し変わってはきているのだが。
「熱ももう、ほとんど平熱ですね。良かった…。一時はかなり危なかったですから」
額に当てた手を外すと、口元に笑みを浮かべ、ベッドに横になるマレを見下ろしてきた。ひんやりしたブルーナの手は心地いい。少し名残惜し気に思いながら目を開けると。
「ブルーナのおかげだよ。寝る間も惜しんで看てくれていたもの…。ありがとう」
「いいえ。なにも大したことはしていません。…それに、あなたが回復してくれたならそれで十分報われます」
ブルーナの視線が優しい。長く見ていられず逸らしてしまった。そんな風に人から見られることは暫くなかったからだ。
「──アロはあの後、どうしているの?」
照れ隠しに話題を他へと向ける。
自分を助けに来たアロとは、あの後、会えていない。当日、アロは大人達が息巻くのを知って、慌てて駆けつけたのだと言う。
──自分も危なかったのに…。
今さらながら、アロの思いには感謝しかない。
もちろん、罪人になど会いに来られないのは分かってはいたが。
「街へ買出しに行った際、時々会っています。元気そうですよ。母親もその後は体調もいいようで。今になって、あの薬のお陰だったかもしれないと話しているそうです」
丸薬の作り方は、医者に書き記したものを渡した。これで、同じものを作る事が出来る。アロもそれを聞いて喜んだらしい。
「そう…。元気になったなら良かった。アロにお礼も言えていなくて…。会った時によろしくと伝えてくれるかな?」
「もちろん。快方に向かっていると聞けば喜ぶでしょう」
ブルーナはそう言うと、お湯の張ったたらいを傍らの机に置いた。そこにはタオルがつけられている。
「包帯を変えるついでに身体も拭きましょう」
「──あの…、ブルーナ。いつもありがたいと思っているんだけど…。そろそろ自分でできると思うんだ。洗面所まで歩いていけてるし…」
ここ最近、ブルーナにこんな酷い傷跡を見られるのが恥ずかしくなって来ていて。意識してしまう自分がいるのだ。あの、優しい視線のせいかもしれない。
「無理は禁物です。遠慮は必要ありませんよ? 私は苦ではないですから。──さあ、大人しく座っていてください」
「…わかった」
──遠慮ではないのだけれど。
ブルーナはまったく気にしていない。それ以上何も言えず、いつも通り大人しく従った。ブルーナはベッドに乗り上げ、包帯を解いていく。
傷口が包帯と張り付かないよう、ガーゼとともに油紙が傷との間に挟まれている。それをブルーナは丁寧に取り去りながら、
「…この痕。これ以上、薄くならないとか。綺麗な肌でしたのに…」
「いいんだよ。他に見せることもないし…。アロの命が救えたと思えばそれで……」
すると、ブルーナがふと手をとめて。
「そうですね。……他の誰かに見せる必要はありません。──この痕は、私だけが知っていればいい」
「…ブルーナ?」
「あなたのことは、私がお守りしますから。──ご安心を」
「う、うん…」
ブルーナはそう言うと、再び手を動かし始め、丁寧に身体を拭いていった。
マレはいたたまれなくなって、身を縮める様にして、大人しくなる。
それでも、ブルーナから向けられる思いは、気恥ずかしくも、心地よかった。
✢
その後、退位した前王レマンゾが崩御した。
急な事だった。朝、起こしに来た執事が、眠る様に亡くなっていたのを発見し、死亡が確認されたのだ。
医師の診断は、突然死。病死とされた。
前国王の死に、クレーネー王国は悲しみに包まれる。その前王の遺言により、第四王子リーマは幽閉から国外への追放となった。
幽閉となれば監視の目がつくが、追放となれば監視はつかない。もちろん、その動向は確認されるが、入国しない限りは厳しい目はなかった。
サイアンに呼び出されたブルーナは、リーマに対する新たな処罰を告げられた。サイアンの表情は苦々しい。納得はしていないのだろう。
「…おまえは嬉しいのだろう?」
「サイアン様。それは──」
「聞いている…。献身的にリーマを看病していたと。──今更ながら、どうしてそこまで変われる? おまえは奴を恨んでいたのではなかったのか? 善人と判断したから許せると?」
「──私の中に、ずっと引っかかるものがあったのです。あれは、本当に第四王子リーマなのかと…」
「何を言っている? どう見ても、あれはリーマだ。身代わりなどあり得ない」
「だからこそ、不思議だったのです。私の目にはどうしても、噂で聞くような悪人には見えなかった…。しかし、私も妹のことがあります。素直にそれを認めることはできなかったのです。──薬を使って、命さえ奪おうとしていました。ですが…」
「──何があった?」
「決定的だったのは、あの火災です。屋敷が民衆によって焼かれた時、リーマ様は巻き込まれた子供を、身を挺して庇いました。本人はそのまま死を望んでいたようですが…。あれは、偽りの姿ではありませんでした。──それは、私の聞き知っていたリーマ様ではない」
ブルーナはサイアンを見据える。
「……何が言いたい?」
「なぜか、リーマ様は身の回りのことをおできでした。掃除もベッドのしつらえも。洗濯や食事作りさえ…。王子ならそんな事ができるはずもありません。できたとしても、まったく初めてのはず…。なのに、苦もなくやってのけました」
「…そんなもの、見よう見まねで何とでもなる」
「それに薬草の知識をお持ちで、薬に詳しい。それを作ることもできました」
「……」
それには黙り込む。サイアンもそこは不審に思ったのだろう。
「──おかしなことばかりです…。理由を知りたかった私は、以前、リーマ様に仕えていた執事のもとへ向かいました」
「…それで?」
「執事は、あの橋での不幸な事故のあと、変わったと言いました。まるで、マレのようだと…。執事は幼い頃より、リーマ様のお側でお仕えしていた。その印象の違いをはっきり分かっていたのです。──ですが、まさか中身が変わったとは思わないでしょう」
「……」
サイアンは黙り込む。
「サイアン様の怒りを承知で申し上げるなら、あれは、『マレ』です。──本人からも聞きました。あの橋での事故のあと、意識を取り戻すと、なぜかリーマ様の身体に変わっていたと…。身体は死亡し魂だけが、あの身体に乗り移ったのです」
「──そんなバカげた話し、卿は信じろと言うのか?」
「…わかっております。荒唐無稽な話だと。ですが私は実際お側にお仕えして、そう確信したのです。──彼はマレだと。ここにその証拠があります──」
ブルーナはそう言うと、懐から二通の手紙を取り出した。以前、刑が下る前に、死を覚悟したマレが、王レマンゾとサイアン宛にしたためたものだ。
そこに署名はない。だが、文字を見ればマレものと分かるはず。サイアンが見間違えるはずがないのだ。
渡された手紙を開き目を通す。ブルーナも内容は読んで知っていた。マレがそうしていいと言ったせいもある。
一通には、例えマレが他者によって命を奪われても、その相手の減刑を望むこと。もう一通にはサイアンへの感謝の思いが記されていた。
読み進めるサイアンの表情は、初め不審をあらわにしていたが、その内、口を引き結び硬いものへと変わった。
「──それは以前、極刑が下るとお覚悟を決めた際、前王と閣下宛に書かれたものです。──その字、マレでないのですか?」
しかし、サイアンはそれを握り潰すと。
「いい加減にしたまえ!」
サイアンには珍しく、声を荒げた。厳しい眼差しをブルーナに向けてくる。
「こんなもの、筆跡を真似れば幾らでも書けよう! ……私のマレを殺したのは、リーマだ。それを分かって、そんなバカげたことを口にするのか? ──もういい。下がれ」
「しかし──」
「下がれと言った! 私の前で二度とその話しをするな…」
「…わかりました。私は、今後も彼と行動をともにいたします。──それをご了承いただけますか?」
「──好きにするといい」
ブルーナとしては、それ以上、続けることはできなかった。言われた通り、大人しく引き下がる。
サイアンの反応は至極当然のことで。ブルーナと違って、サイアンはリーマの傍にいたわけではない。彼の中で、リーマは誰もが恐れ恐怖するリーマのままだ。いくら周りが彼の変化を告げた所で、信じるはずもない。
──しかし、これきりだ。
国の外に出てしまえば、二度と会うことはないだろう。せめてその前にサイアンと話す機会を作ってやれれば、そう思ったが──無理な話だったようだ。
──私が傍にいよう。
サイアンの代わりにずっと。
✢
ブルーナの話しに耳を貸すつもりはなかった。ただ、以前、薬師が口にしていたことを思いだしてもいた。
『まるで、マレが作った薬のようでしたな』
──そうだ。薬師はそう口にしていた。
あの件はずっと引っかかってはいた。どうやっても、リーマが例の薬を作り出したとは思えなかったからだ。
しかし、実際薬は出まわった。どこからか調達したわけでもない。あの屋敷で作られたのだ。それは事実だった。
──だからと言って、マレだなどと信じられるわけがない。
狡猾なリーマがどんな手を使ったか知らないが、周囲をたばかるために謀ったことに過ぎない。
──全ては自由になるために。
そして、それは叶った。前王レマンゾの崩御により。リーマにとっては、実の親の死も、幸運に他ならないだろう。
ただ、今後は身分もはく奪し、財産もろくに与えない。当分の旅費を与えるだけだ。あとは自力で生きていくことになる。元王族が耐えられる状況ではない。
それに、国外に親せきや知人もいない。いたとしても、受け入れてもらえるはずもないだろう。罪人を喜んで迎え入れるものなどいないだから。路頭に迷い、流民として生きていくしかあるまい。
自由とは言え過酷な未来だ。耐えられるはずがない。野垂れ死ぬのが関の山だと、もっぱらの噂だった。
サイアンもそう思った。命を取られないだけましなのだと。
──あれは『マレ』です。
ブルーナの真摯な眼差しが蘇る。
簡単に人に騙される人間ではない。騎士団にいた頃も、冷静な態度と理性を持ち合わせた人物だと知られていた。ラーゴもその能力を買っていた人物だ。
──だからと言って、信じられるはずもない。
窓の外へと視線を向けた。
あと少しで、春を告げる渡り鳥が飛び交う季節だ。
──また、あの巣箱を変えないとな。
新しい巣箱は既に作ってある。それは、マレとの大切な約束だった。




