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月の光に  作者: マン太


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37.療養

 その後、町医者のもとで治療を受けたマレは、その場での療養を許された。

 もとより動けるような状態ではない。逃げだすこともできないと判断されたためだ。

 また、屋敷の外に出た事に対しての処罰についても、幽閉先からは逃げたのではなく、治療のためだとブルーナが強く進言した為、下される事はなかった。

 マレの火傷は背中を半ば覆い、熱も下がらず、朦朧とした意識のまま数日を過ごした。

 手の施しようもなく、あとはマレの体力に任せるだけとなっている。

 もとより身体が弱っていたため、医者の見立てでは、この一週間を乗り切らねば、無理かもしれないと言われていた。

 人目を避けるため、医者の自宅の一室に移されたマレは、うなされながらも時折、意識を取り戻した。

 その度、ブルーナの姿が目に映る。

 今も灯されたろうそくの光の中、ブルーナが巻かれた包帯を取り換えていた。

 しがない下町の町医者だ。看護師の手は足りない。その穴を埋めるため、ブルーナは一手にマレの世話を引き受けていた。


 ──どうして、僕を世話するんだろう。


 放っておかれても、文句を言うつもりはない。このまま回復しない方が、お互いにとって幸せなはず。


「……ブルーナ…」


 包帯を取り換え終えたブルーナが、汚れた包帯を手に席を立とうとした所へ、声をかけた。

 屋敷で会話をして以来の気がする。意識を取り戻して初めてだった。


「お目覚めですか? 今、水を──」


 どこか声が弾んだようにも聞こえたのは、気のせいか。マレは静かな眼差しでブルーナを見つめると。


「…ブルーナ。あなたが、僕を許していないのは、知っている…。──もう、いいんだ…。あなたはもう、苦しまなくていい…」


 声を振り絞る。


「リーマ様…」


「調理場で、見たんだ…。棚にあった、紅茶の缶に入っていた…。──あの薬を、飲ませてくれないか? たのむ……」


 ──それで、通じるはずだ。


 そのまま、目を閉じた。

 久しぶりに声を出したせいで疲れたらしい。相変わらず、熱は下がらず身体中も痛む。


 ──これで終わる。


 きっと、ブルーナは意図を理解して、水に薬を入れて持ってきてくれるはずだ。

 あの薬なら薬屋で簡単に手に入る。いや、すでに用意してあるのかもしれない。


 ──これで、楽になれるんだ。僕も、ブルーナも。そして、サイアンも──。



 しかし、それから一週間過ぎても、マレが命を落とすことはなかった。

 ブルーナが運んできた水を飲んでも、少量のおかゆを口にしても。逆に顔色がよくなっていく。


「どうやら、持ち直したようですな」


 ひと月過ぎる頃、白いひげで覆われた顎を撫でながら、医者は破顔してそう口にした。マレは小首をかしげ。


「……どうして?」


「まあ、そういう運命だったのでしょうな。それに、ブルーナもよく面倒を見ていました。看護師も脱帽だ。このままここに勤めて欲しいくらいだ」


 そう言ってまた笑うと、診察を終えた医者は真顔になって。


「まだ暫くはここで安静にしていただきますよ。──誰にも知られておりませんから、ご安心を」


 人のいい医者はそう言って、部屋を退出した。代わりにブルーナが入ってくる。手には水差しを持っていた。


「ほんとうに。顔色がだいぶ良くなりました。身体の痛みはどうですか?」


「落ち付いてきたよ…。でも、どうして? ブルーナ。僕の望みは──聞いたよね?」


 それは、ブルーナの思いとも合致するものだったはず。しかし、ブルーナは軽く首を振ると。


「──お口にするものに、あの薬はいれておりません」


「なぜ…?」


 ブルーナは視線を落とし、表情を曇らせると。


「お気づきのように、私は以前の屋敷であなたの口にするものにだけ、薬を入れておりました。少量づつ、徐々に身体が弱る様にと…」


「ならどうして? ……僕は──生きる価値がないのに…」


 すると、ブルーナは持っていた水差しを脇のテーブルに置き、自身はマレの傍、先ほどまで医師が座っていた椅子に腰かけた。上体を起こしたマレと視線が合う。そうして、おもむろに。


「あなたは、『マレ』なのでしょう?」


「……え…」


「私も信じがたかったのですが…。全てのことがそれで、納得がいくのです。他者に優しかったのも、薬に詳しかったのも…。まるで別人と感じたのは、確かにその通りだったからです。あなたは──マレだ。そうなのでしょう?」


「……」


 マレは驚きのあまり、何も言葉にできず、ただ黙ってブルーナを見返す。


 ──ここでそうだと答えて、どうするつもりだ? ブルーナはどこに怒りの矛先を向ければいい? サイアンは? 


 ほかにもリーマを恨むものは山のようにいる。彼らの思いをどうすればいいのか。


「…僕は─…」


 拳を握り締め、言葉を探せば。


「──今更、リーマだなどと言っても、もう信じられません。外見はリーマ様ですが、中身はマレだ。それに気づいた以上、私はもう、あなたを恨もうとも、命を奪おうとも思わない。薬もアロの一件以降、お食事に入れてはおりません」


 ブルーナはきっぱりと言い切った。


「…入れて、ない……」


「どうしてそんな事が起こったのか、あなたはご存じなのですか?」


「どうしてって…」


「あの川での事故が原因なのでしょう? あれを境に変わられた…」


「それは──多分、そうだと思う…」


 それから、ぽつりぽつりと、その後見た夢の話をした。

 誰も信じないただの夢だ。けれど、あれが現実ではなかったとは思っていない。リーマの魂は、永遠の眠りについているのだ。


「──信じられないでしょ? けど、確かに本当にあった事なんだ…」


「しかし、現実に起こっていることを認めれば、それも信じないわけには行きません。あなたの中にリーマ様は眠っている…。その代わりにあなたの魂がその身体に乗り移った、そう考えるのが妥当なのでしょう…」


「信じるの…?」


 恐る恐る問いかければ、ブルーナは苦い笑みを浮かべ。


「あなたがリーマ様でないと、どこかで気付いてはいたのです。──ただ、認めたくなかった…。でなければ、怒りの矛先をどこに向けていいのか分からない。──けれど、あの時、アロを助けたあなたは本物だった。もしかしたら、改心したリーマ様だったのかもしれない。けれど、そうさせたのは、リーマ様の中にある、マレの力だ」


「ブルーナ……」


「私は正直、マレもリーマ様も知らない。ただ、こうして今まで私がお側にいて見てきたあなたは、確かに悪人ではなかった。マレでもリーマでもなく、あなたを私は信じます。……これからもずっとお側にいましょう」


「…そんな──」


「表向きには、あくまで妹の命を奪った男を監視するため、そうさせていただきますが──」


「だって、ブルーナには、ブルーナの人生がある! こんな僕に付き合うことなんて、ないんだ…!」


 この身体でいる以上、リーマが犯した罪はずっとついて回る。しかし、ブルーナは真摯な眼差しでマレを見つめ。


「私の人生です。私が決めたのです。生涯、あなたの傍にいたいと」


「……」


 言葉も継げず、ブルーナを見返す。


「……でも、僕はリーマだ。あなたの妹の命を奪った…」


「中身はマレです。それに──外見も随分変わられました」


 そう言うと、手を伸ばし髪に触れてきた。それで、自分の髪が、前より更に短く切られていたのだと気が付く。


「怪我の所為もありますが、この方がお世話に楽でしたので、切らせていただきました。──髪の根元が白くなっている…」


「白く…?」


「多分、苦痛と心労のせいでしょう。精神的なダメージが大きかった…。じきに全て白くなるでしょう」


 マレは銀髪だった。リーマの瞳は冴えた青色で、マレの鳶色とは異なるが、髪だけは似た色合いになった、と言う事か。


「そう、なんだ…」


「ただ、私はあなたをマレと認めましたが、サイアン様にそれは難しいかと…」


「……それは──わかってる…」


 あのサイアンが、許すはずも、認めるはずもないのだ。


「そのうち、あなたの新たな行き先が決まるでしょう。それまでは、ここで養生することになります。安心してお休み下さい」


 そう言って、席を立ったブルーナは、出がけにふと立ち止まって。


「……あなたが、リーマ様で良かった。でなければ、私はあなたに出会うことはなかったですから」


「ブルーナ?」


「…あとでお食事をお持ちします」


 それでブルーナは退室していった。



 リーマの休む部屋を辞したブルーナは、扉を閉めたあと、ホッと息をついた。


 ──もう、リーマは大丈夫だ。


 そこではたと気づく。


「──マレ、だな」


 ブルーナは苦笑した。

 ブルーナはリーマに薬を請われたあと、迷うことなく、それを流し台に捨てた。

 白い粉末は、あっという間に水に溶け消えていく。

 見られてはまずいと、いつも持ち歩いていたのだ。それが、持ってきたバッグの底にずっとあって。

 リーマにも言ったが、アロの一件以降、薬を食事に混ぜる事は止めていた。悩みながらも、やはり、リーマを悪と捉える事が出来なかったのだ。

 あの日だけだった。残り僅かとなったそれを、つい、調理場の棚の奥へと置いて行ってしまったのは。

 身体の弱ったリーマが、調理場まで来るはずがないと油断していたのだ。その時に知ってしまったのだろう。

 空になった袋は暖炉にくべた。もう、ブルーナに、リーマを手にかける──と言う選択肢はない。


 ──いや、あれはリーマ様ではない。マレだ。


 サイアンが愛し、いつも片時も離さなかった相手──。

 遠目から見ることはあった。銀の髪が目に眩しく映る、月の光を集めたような青年で。それはサイアンと対となって、人々の目を惹きつけた。

 仲睦まじい姿を見るにつけ、あのように思える相手をみつけられたなら──。そう思った。

 その後、妹を亡くし、不幸のどん底へと突き落とされ。リーマが元凶と知り、彼を恨み、いつか復讐を遂げようと隙を伺い。

 その時がようやく訪れ、サイアンから指名を受けたブルーナは、進んでリーマの監視役となった。

 その後、裁判を受け審判が下り、生きながらえることとなったリーマを、始めは許すことができなかった。

 しかし、長く接するにつけ、


 ──善か悪か。


 判断に迷った。

 現状はどう見ても、善良な人間だったからだ。しかし、妹の命を奪った相手を許すことができず。

 当然と言えば当然だ。最愛のものを奪われ、許すなど簡単には言えない。

 恨みを晴らす為、手近な薬を使い、少しずつ命を削った。もともとリーマは身体が丈夫な方ではなく。体調を崩した所で、誰も不審には思わなかった。咎める良心を、妹の顔を思い浮かべることでやり過ごし。

 そんな中、アロとのやり取りを知るところとなり。ブルーナは大いに悩んだ。その結果は先の通り。


 ──リーマに手を下す事はできない。


 決定的だったのは、火災だ。

 民が屋敷を襲い火事が起こった。火矢を放ち、屋敷をリーマごと燃やそうとしたのだ。

 憎らしい王子がこんな所にいたのかと、自分らに怪しい薬を売りつけていたのだと、口々にそう罵りながら。

 暴徒と化した民を収めることに奔走して、リーマのもとに駆けつけるのが遅れた。すでに屋根は炎に包まれている。

 あの時、燃え盛る二階を目にしたとき、躊躇なく駆けつけた。助けることに必死で、妹の顔など思い浮かばなかった。

 そして、助けにきたアロを、梁の下敷きになりながら、必死に胸に抱えるリーマを目にして。

 自分の選択が、過ちだったと悟った。


 ──もう、恨むことはやめだ。


 素直に事実を認める。

 今、自分が仕えるリーマは、ただの善良な人間で、憎むべき要素はひとつも無いのだと。

 それに、いつの間にかリーマに好意さえ抱き始めていた。妹への仕打ちの恨みなど忘れて──。


 認めるしかない。自分の中で、リーマは憎むべき存在ではないのだと。

 ブルーナは全てを許した。


「──さて、食事の用意だな」


 作ったのは、マレの好きなミルク仕立てのスープだ。ブルーナは足取りも軽く、調理場へと向かった。



 正直、信じられなかった。

 

 ──だって、僕は誰が見たってリーマだ。


 幾ら髪の色が変わっても、外見は変わらない。


 ──なのに。


『生涯あなたの傍にいたいと──』


 思い返して、ぼっと頬が赤くなる。


 ──ブルーナは、ちゃんと僕を見てくれた。


 こんなに残酷な仕打ちをしてきた『リーマ』なのに。ブルーナの妹の命を奪ったも同然なのに──。

 それは、もう人から向けられるとは思っていなかった感情だ。

 トクリ、トクリと、心臓が鳴り出す。

 リーマになって始めて、生きていて良かったと思えた。

 


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