32.糧
それから度々、庭にでてアロと会うようになった。
あまり頻繁に会えば、見られる危険性が高い。さりげなく、定期的にならないよう、間隔に気をつけた。
それに合わせルールも作った。衛兵の見回りの時は白、マレが会いに行ける日は青のハンカチを手摺に干すようにしたのだ。
結ぶと気を引くが、干すなら洗濯ものだ。誰の気にも止まることはない。万が一見咎められても、干しているのだと言えば納得するだろう。
雨の日や天候の悪い日は、ここへ来たり、会いにも行かないと決めている。
だから週に一度か、二度程度、僅かな間、会話を楽しむ程度だった。その度に自ら焼いたお菓子を渡す。
本当は野菜や果物、肉や玉子を渡したかったが、勝手に食材を使うことはできない。必要な分だけ、国から支給されているのだ。減りが早ければ疑われる。
ブルーナに無理を言って、小麦粉やバター、玉子だけは融通して貰い、買うより安価だからと、お菓子だけ焼いているのだ。
お菓子作りは父ルボル直伝だった。もちろん、あの頃は幼く、見よう見まね、言われるままに手伝って作っていたが、記憶にはしっかり残っていて。
ラクテウス家に来てからも、実家に戻った時はマレがお菓子を焼いていた。もちろん、サイアンの為に。
サイアンは、ナッツの入った焼き菓子が好きで。あまりに食べるから、太ってしまうと注意したほどだ。
──あとは、レモンやオレンジの入ったケーキも好きだったな。
流石にここでは焼けない。作れてクッキーがせいぜいで。多少なら見逃してもらえるが、あまり派手なものを作っては、贅沢をしていると目に映り、お菓子作り自体、禁止となってしまうだろう。
アロの為にそれは避けたかった。このところ、すっかりそれを楽しみにしている様で。作る側も作り甲斐があるし、楽しみにもなっている。
それに薬草の栽培も始めていた。
高価な苗や種を要求はできない。そのため、自生している草花から薬草になるものを探し出し、それを育てているのだ。
強い効能のあるものは少ないが、それでも、腹痛や頭痛、小さな切り傷や虫刺されに効く薬はできそうだった。煎じて飲めば、身体を温める効果の薬草もある。
──これが育てば、薬を作れる。
どうやら、アロの家はかなり貧しいらしく、日々の生活も苦しいらしい。
父親は出稼ぎに遠くに出ており、家には殆ど帰って来ない。今は母親一人で、アロ含め、五人の子どもを養っているらしいが、一日何も食べない日もあるのだとか。
アロは三番目の子だった。上に兄二人、下に弟と妹。下の子はまだまだ幼い。そう言うアロもやっと六歳になったばかりだったが、すでに下の子の世話を任されている。
上の二人は近所の農家へ手伝いに行っていたが、年端の行かない子どもの稼ぎなどたかが知れている。
母親は下の子がまだ乳飲み子のため、それを背負いながら、頼まれた繕い物や、洋裁、洗濯などを請け負っていた。
上二人は住み込みのため、食事はなんとかなっていたが、家に残る三人の分がかなり難しいらしく。
なんせ、乳の出が悪く、粉ミルクを買っては来るが、それで収入のほとんどが飛んでしまうらしい。
そのため、食事は一日一度、上二人が働く農家で捨てる野菜の葉や根を引き取って食べ繋いでいるらしい。それでさえ、満足ではないのだ。
その状況を知って、マレはため息の出る思いだった。
ルボルと生活していたころも、そこまで貧しくはなかった。何と言っても、ルボルは騎士団員だったのだ。日々の生活に困ることはなかった。
そんな生活だから、薬など高価で手に入らない。風邪などひけば、ひと月は病んでしまうらしい。
幸いマレは薬草の知識がある。それなら、ここで薬草を育て薬にして、少しでも役立ててもらおうと思い、作り始めたのだ。
マレは徐々に生きる糧を見出していた。
──アロのために──。
その思いが今のマレを動かしていた。
✢
秋が過ぎ、冬が訪れようとしている。
流石に自生の野草も育たなくなってきた。そのため、すでに刈り取って干してあったそれを、砕いて粉にしたり、練り合わせて丸薬を作る作業を繰り返している。単純な作業ばかりだが、その間は全てを忘れられた。
そうして、動けるようにはなったのはいいが、いまだ食欲は戻らず、毎日二回に減らした食事は、パンとスープ、少量の野菜のみとなっている。
それさえ、満足に口に入らない時もある。胃がもたれるような感覚があり、匂いを嗅いだだけで、吐き気を催してしまうのだ。
ブルーナ自身には、きちんと三食取って欲しいと伝えてあった。なにも仕える相手にあわせる必要はない。
ゴリゴリと乳鉢で薬草をすっていると落ちついた。ツンとした、でも心地よいさわやかな香りが部屋に充たされる。
ちなみに、作業をしているのは自室だ。そこでできる範囲の量にしている。
やはりこちらも派手にしては、作業を止められる可能性があるからだ。いつ抜き打ちの検査が入ってもいいよう、あまり広げてはいなかった。
薬の量は部屋に置いてもらったガラスの戸棚に収まる程度。その戸棚には、細かく別れた小さな引き出しがたくさんあって、できた薬を種類ごとに分けて入れていた。
それをアロに手渡している。咳止めや、身体を温める効能のある薬草。腹下しに効くものと、虫刺されに効くもの、その程度だ。
「ね、マレ」
ある晴れた日の午後。いつもの様に庭を手入れするふりをして奥へと向かへば、どこか弾むようにして、アロが声をかけてきた。
「なに?」
「お薬、隣の家のおじいちゃんに、少しだけ分けたんだ。咳がずっと止まらなくて…。そしたら、もう少し分けてもらえないかって。凄く効いたんだって。ただじゃなくって、採れた野菜を少し分けるからって…」
マレは微笑むと。
「いいよ。貰った野菜も、アロのお家で食べていいよ」
「いいの?」
アロは驚いた様に顔をのぞき込んでくる。
「ここには十分あるからね。お薬の方は、冬に薬草は取れないから、秋までに収穫した分をちょっとずつ、お薬にしてるんだ。だから大量には渡せないけど、一人分くらいなら大丈夫だよ」
「やった! よかったぁ…。いつも、おじいちゃんには、果物を分けてもらってたんだ! 庭で採れるからって。早く元気になって欲しくって…」
「けど、アロ。ここの事は話しちゃだめだよ? 大人が知ったら、もう二度と、ここへはこられなくなるからね?」
「分かってる…。ここは秘密の場所だもの。お薬は親切なおじさんにもらっているって言ってる」
「ごめんね。嘘をつかせて…」
「大丈夫だよ。ここのことは誰にもいわない! 僕たちだけの秘密だもの」
「ありがとう。アロ」
笑んでくしゃりとその頭を撫でた。アロの笑顔が、ともすると暗くなる心を、明るく照らしてくれる様だった。
雪が降り始めると、アロと会える日も少なくなった。
あまり雪が深いとアロも外には出られないし、仮にもぐりこんでも、すっかり葉がおちた木立の中は見通しも効きやすい。
常緑樹もあるため、なんとか姿は隠せたが、真っ白な雪の中では、人の姿も見つけやすかった。
会えるのは月に一度か二度。その貴重な時間に、できるだけ日持ちのしそうなお菓子と、いつもより多目に薬を渡した。
そんなある日、小雪の舞う朝、ふと寒さに目が覚め、暖炉に薪をくべようかと起きた所で、窓にコツンと何かが当たった。
例えるなら鳥がつついているような音だ。
なんだろうと、窓の外に目を向ければ、黒い影が庭の先に見えた。
小さな影は、手に何かを持って、こちらを見上げている。どうやら窓に向かって、小石を投げていたらしい。
──アロ?!
マレは慌てて下履きをつっかけると、ショールを掴んで、なるべく静かに階段を降り、裏庭へと飛び出した。
✢
「アロ! どうしたんだ?」
声を潜め、雪の中に立つアロに駆け寄り、身体にショールを巻いた。そうして、窓から見えずらい壁際へと引き寄せる。
ショールに包まれたアロは、ホッとしたのか、緊張していた表情を緩め。
「…母さんが、熱を出して…。ずっとゼイゼイ言っているんだ…。お薬も、もう終わってて…。お兄ちゃん達もいないし。どうしよう…」
「…わかった。今、熱を下げるお薬を渡すよ。それに温めるのも。後はお医者さんを呼ぶんだ。街にいるよね?」
「うん。いつも診てくれるお医者さんがいるよ…」
「よし。じゃあ、今薬をもってくるから。それを持ってお帰り。帰ったら直ぐ飲ませて、お医者さんを呼びに行くんだ。いいね?」
「うん…」
頼りなげにうなづく。
「よし。じゃあちょっと待って」
マレは踵を返し、来た時と同じように、音に気をつけながら階段を上がり、自室へと駆けこむ。
心細そうなアロの顔を思いだし唇を噛む。本当はついて行ってあげたかった。まだ幼いアロは、不安でいっぱいだろう。
だが、それはできない。衛兵に事情を話した所で、アロの助けにはならないだろう。逆に追及され、アロまで罰せられるのがオチだ。
──確かまだ、解熱の丸薬と、滋養の薬は余分にあったはず。
引き出しを開け、それを掴みとると、丈夫な革でできた袋にいれ、部屋を飛び出した。と、そこで誰かとぶつかる。
ここで誰かとは、ブルーナしかあり得なかった。
「どうかされたのですか? そんなに急いで…」
ブルーナが驚いた顔でこちらを見つめている。
「ごめん! 今、ちょっと急いでいて。話はあとで…!」
ブルーナの横をすりぬけ、階段を降りた。
──これで、終わりだ。
そう思った。心臓が早鐘を打ち出す。
アロのことを話せば、抜け穴も知られる。きっと上に報告が行って、今後二度と、アロに会うことは叶わないだろう。薬もお菓子もなしになる。
──こんな自分でも、人の役に立てる事が見つけられたのに。
なにもかも終わりだ。
それが悲しかったが、今はそれどころではない。
裏口から出ると、脇にアロが所在なげに立っていた。直ぐにその傍らに片膝をつき、薬を持たせると。
「アロ、これをもってお家へお帰り。あるだけ持ってきたから。さあ、急いで──」
「うん…」
ショールを巻きなおすと、アロの小さな背を支えるようにして、抜け穴まで雪の中、歩き出そうとすれば、その肩にふわりと温もりがふってきた。
よくブルーナが使っているローブだった。驚いて振り返れば。
「この子には私がついて行きましょう」
すっかり外出の支度を整えたブルーナがそこにいた。
「──きみ、出た所で待っていなさい。直ぐに行くから」
アロは困惑した様子を見せながらも、頷くとすぐに抜け穴へと走って行った。
「……ブルーナ…」
「お話しはあとで。中に入っていてください」
「あ……、アロをよろしく!」
その声にブルーナは頷いて見せた。
そうして、ブルーナはそのまま裏口の門をたたき、衛兵と言葉をかわすと、平素と変わらぬ様子で出ていく。村に買い物に出ると言ったのだろう。
それを裏口で見送ったマレは、不安と安堵に包まれながら、その場に立ち尽くしていた。




