33.告白
まんじりともせず、居間でその帰りを待っていれば。
すっかり日も落ち、暗くなった頃、裏口の門が開き、ブルーナが帰ってきた。手にはランプが揺れている。
裏口から入ってきたブルーナを、マレは戸口に立って出迎えた。
「ブルーナ…」
「ただいまもどりました。あの少年の母親ですが、大事には至りませんでしたよ」
ブルーナは分厚いコートを脱ぐと、壁にかける。ブーツについた雪を払うと、それもそこで脱ぎ、部屋履きへと履き替えた。マレはそれを傍らで待ちながら、
「…よかった」
ほっと息をつく。
「早めに医者に見せられたのが良かったようです。──それに、薬もよく効いたようで。どこの薬かと聞かれました。知人が作っているのだと答えましたが…。ぜひ紹介して欲しいと言われましたが、やんわりと断っておきました」
「そう…。ありがとう…」
「アロには、あなたは病気のため、外にでられないのだと伝えて置きました。当分ここへも来るなと…」
マレはくっと手の平を握り締めると。
「──その…。ブルーナは…知っていたの?」
ブルーナは少し考える様にしながら。
「…知っていたというか。話しは中でしましょう。お茶を淹れます」
「いいよ。僕がやる。雪の中、冷えたでしょう?」
「ですが…」
「ブルーナには無茶をさせたんだ。──それくらい、させて欲しい」
「…わかりました。では、お願いいたします」
折れたブルーナに、マレは笑顔になると、紅茶を淹れる準備を始めた。
✢
居間に置かれた薪ストーブには、常にケトルに湯が沸かされている。それをポットにそそぐと、茶葉のいい香りが部屋を満たした。
この茶葉は、ブルーナが自分用にと持ち込んでいるのだが、それをマレにも提供してくれているのだ。
本当の所は、マレの為に気を利かせ、持ってきてくれたのだと理解している。本来、マレには茶葉さえ支給されていない。ブルーナのおかげでこうして、紅茶を楽しむことができているのだ。
マレは大ぶりのカップに紅茶を注ぐと、ソファに座るブルーナの前のローテーブルに置き、自分は紅茶を手にその正面に座った。
ここには専用の紅茶カップなどない。スープにも使う大ぶりなカップが数個あるだけ。それも形もまちまちで、所々かけていたり、ひびの入る安価なものだった。それでも、味は変わらない。
ローテーブルに置かれた紅茶は湯気を立てながら、微かに揺れていた。ブルーナは暫くそれを見つめていたが、おもむろに手に取ると、軽く礼を述べてから口にした。
「──なにかあるとは、気付いておりました」
そう言って一口飲んだあと、紅茶をまた見つめると。
「自室の窓辺にハンカチを干すのも…。白の時は、衛兵の巡察が来る日。青の時は──リーマ様が庭を散歩される日…」
「気付いていたんだ…」
「──はい。たぶん、普通の者なら気付かないでしょう。ただ、私はこれでも騎士団員でしたから。それなりに、目ざとくもあります。ただそれがどういう意味をもつのか、見えるように示すと言う事は──誰かに知らせたかったと思うのですが、その相手が誰なのかと…。外からここへは入り込めませんから」
「…僕もそう思っていたんだ。──けど、ある日、あの子、アロが庭にいて、それで……」
「あの少年、アロですか…。前に見かけたことがありました。ですが、まだその頃は、あなたが再び戻って来る前。裏口から入り込んだのだとばかり。──違ったようですね」
「…裏庭の壁に、抜け穴が…。子供なら入れる程度の…。そこを使って、ここを遊び場にしていたみたいなんだ。──それで、見つからないよう、ハンカチを出して合図を送って…。お菓子と、薬を渡していたんだ」
「道理で…。作ったお菓子をあなたが食べている様子が見られなかったので、それも不審に思ってはいたのです。お茶うけにとお部屋に置いた菓子も減るのが早い。なのに体重もさほど増えたご様子もなく。逆に痩せてきているくらいですから…」
ブルーナはしっかり見ている。
「あの穴も塞ぐのでしょう? それは、仕方ないとは思っている…。せめて、僕が作ったお菓子や薬をアロに渡してもらえないかな? 時々でいいから…。薬も頼りにされていて…。急にはなくせないんだ。だめなのは、わかっているんだ。けど……」
会えなくなるのは仕方ないにしても、これではあまりに中途半端で。
もちろん、人と会うなど言語道断で。自分の行いが法を犯しているのは分かっている。ただ、関わってしまった以上、急に放り出すことはできなかった。
──これは僕の我儘だ。けど。
マレは必死にブルーナを見つめた。ブルーナは腕を組み、ため息をつくと。
「…これは、しばらく私の預かり、と言う事で」
「──いいの?」
「ただ、やはり会うのは止めた方がいいでしょう。今日は私に見られたくらいで済みましたが、もし、衛兵に見つかったら、あなたどころか、あの少年も罰せられる可能性があります。幾ら子どもと言えども容赦ありませんから」
「…うん。そうするよ。分かってはいたんだ…。あの子を危険な目にあわせてしまうって…。ただ、あの子に頼りにされるのが嬉しくて…つい。わがままだった」
もうあれきり、アロと会うことはないだろう。マレは紅茶を飲み、ひとつ息をついたあと、
「アロにはブルーナから伝えてくれるかな? 手紙も書くからそれも渡して欲しい。まだ、字は読めないから、母親に渡してもらえれば。お菓子も、お薬も今まで通り、作るからって…。ああ、あと。あの時渡したショールはアロに使って欲しいと伝えてくれないか。せめて、ここに来てくれたお礼に…。こんなこと、頼める筋合いじゃないのは分かっているのだけど…」
「──いえ。分かりました。アロの家に行って話しましょう。お菓子も薬も、街へ買出しに行くついでに渡せます。たいしたことではないので、お気になさらずに…」
「──ありがとう。ブルーナ。きみが監視員で本当に良かった…」
でなければ、今頃、上に報告され、相応の処罰を受けていたことだろう。ブルーナには感謝しかなかった。
それを聞いたブルーナは、困ったように眉をひそめたが、それも一瞬のことで。
「──いえ」
そう答えた。
✢
──分からない。
ブルーナはマレの元を辞したあと、自室に戻った。そうして、深々とため息をつく。
今回の件で、余計に分からなくなった。
前から感じていたが、アロの家に行ったことで、より強く混乱が生じたのだ。
──あれは、リーマなのか?
リーマに頼まれ、アロと呼ばれた少年と共に、その家へと訪れた。貧民層の者たちが多く住む地域だ。そのアパートの一角に、アロの家族は住んでいた。
アパートの一室。カビの臭いが漂い、空気も悪い。日当たりはないに等しかった。
アロは急いで湿ったベッドに横になる、母親の元へ寄って、貰ってきた薬を飲ませる。母親の体調はひどく悪そうだった。
それを見守ったあと。
「私は医者を呼んでこよう」
「うん…」
母親の様子を看ているアロを置いて、部屋を出た。
この辺りで開業している医者には覚えがある。足早にそのもとへと向かった。
「ああ、もうだいぶ落ち着いたね。熱も下がっているし。──この薬がよくきいたんだね? …見たことのない薬だなぁ。売っているものかい?」
ひととおりの診察を終え、白髪の医師はアロを振り返る。
「それは…」
アロは困ったように俯くと、すっかりくたびれ、擦り切れた靴の先で床を蹴った。
ブルーナはすぐに悟って、助け船を出す。
「──その薬は、私の知人が個人的に作っているものです。それを、知り合いのこの少年に分けていたのです」
「そうか…。いい薬だ。かなりの腕前と見た。ぜひ、私にも紹介してもらいたいな。どちらの方か教えてもらえるかな?」
「ええ…。そうできたらいいのですが、なんせ趣味の範囲で作っているようなもので…。人嫌いもあって、知人以外には頑として分けないのです。お金を取ることも嫌うので、診療に使うのは難しいかも知れません…」
「そうか…。残念だな。だが、もし気が変わったら、いつでもいい。紹介してくれ」
「わかりました」
それで医者は帰って行った。医者を見送った後、アロは傍らに立つブルーナを振り返り。
「ねぇ…。どうして、マレはあそこから出られないの?」
──マレ。
アロの言葉に、ブルーナは驚きを隠せなかった。
──マレと呼ばせているのか。
それでも、気をとりなおし。
「…彼は、病で外へ出られないんだよ。本当は人と接してはいけないんだ。アロはまだ若く健康だから大丈夫だったが、これからはどうなるかわからない。当分、あの抜け穴を使って会うことはやめるべきだろう」
本当のことなど言えなかった。もし、あのリーマだと知れば、この少年でさえ、態度を急変させるかもしれない。
それほど、悪行は知れ渡っていたのだ。むしろ、この少年を遠ざけるためなら、本当の事を話した方が賢明かも知れない。けれど、なぜかそうできなかった。
マレの悲しむ顔が浮かんだからだ。
「もう…会えないんだ」
「すまないな。きみの為でもあるんだ」
「……わかった」
アロはすっかり意気消沈して頷く。そんなアロの肩に手を置くと、片膝をつき視線を合わす。
「彼は──マレは優しかったかい?」
「うん…。いつも優しかった。お菓子もくれたし、唄も歌ってくれた。色々な花や草の名前も教えてもらったよ? …切り傷や虫刺されに効く草も教えてもらった…。字もなんだ。名前だけなら、書けるようになったんだ…。ねぇ。もし、病気が治ったら教えて? 一番に会いに行くから」
「──わかった。知らせよう」
ブルーナはアロの肩から手を離すと、立ち上がって、部屋を後にした。
マレと呼ばせていたことに、衝撃を受けた。確かにリーマと名乗れば、身元がばれる。咄嗟についた嘘なのかもしれないが。
──なにも、マレと名乗らずとも、ほかに幾らでも名があっただろうに。
それに、これまでの行いを思い出すにつけ、見返りを求めての行動とは思えなかった。
自身が助かりたいから、周囲の目を欺くため偽っている、サイアンはそう口にしていた。
だが、今回の件は、黙っていれば誰も気づかなかった。もちろん、いつかはバレただろうが──。
ただアロを助けたいために、薬を、お菓子を作り、それを渡していた。あの少年を欺いてなんになるというのだ。
──何もならない。
ここから抜け出すきっかけになどならない。貧しい村人を助けたからと言って、それが認められ、減刑されることなどないだろう。高貴な身分のものを助ければ、それなりに話題にはなるだろうが。
──わからない。
ブルーナは机の上に置かれた櫛に目を落とす。
──クラルス。おまえの目にはどう映るんだ?
憎い仇のはず。婚約目前だったのに。幸せを得るはずだったのに。それらをすべて奪ったリーマ。非道の行いだ。許されるはずなどない。
なのに、今、目の前にいるリーマは、まるで別人で。そんな行いなど、するような人物には見えなかった。
──それすらも、手の内なのか?
ブルーナは、ふと、視線を櫛からその隣にある茶葉の入った缶に向けた。その中身は既に空で、別のものが入れられている。
──私の行いは、正しいのか…?
ブルーナの問いに答えるものはいなかった。




