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月の光に  作者: マン太


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21.運命

 薄暗い場末の酒場の片隅で、男が二人、額を突き合わせるようにして、声を潜め話し合っていた。

 二人とも酒の入ったグラスを手にしてはいるが、飲んだ素振りはない。置かれた酒瓶も形ばかりとなっていた。


「──それで、準備の方は?」


「ああ。抜かりない…」


「予定に変更は?」


「今の所ないようだ…。奴の屋敷の下僕に聞いた。そいつも仲間だ。話しではよほどの事がない限り、その日の午前に屋敷を出るそうだ」


「…わかった。なら、手はず通りに。これきりだ。失敗すれば次はない…」


「分かってる…。失敗などするものか。これで積年の恨みを晴らせるって時に」


「お互い、辛い思いを味わったからな…」


「娘は…家に送られてきたあいつは──ボロボロだった…。あんな惨い仕打ち、人のすることじゃない…。たった一つ、飾り皿を割ったくらいで。今じゃすっかり精神を病んじまって…」


 男は涙に声を震わせた。手にしたグラスが揺れる。一方の男は、その男の背に手を置くと。


「俺だって…。あの屋敷で仕えたばっかりに、息子は死んじまった…。些細なことを咎められ、酷い仕打ちを受け…。家に戻ってきた時は息も絶え絶えで、医者に診せた時は、もう手遅れだった…。──せめて、この恨みを晴らさねぇと気がすまねぇ。あいつだけ、のうのうと生きてるなんて…許さねぇ」


「…王族は優遇される。このままだと罪をとがめられることなんてねぇ…」


 男は拳を握りしめる。


「思い知らせてやろうぜ。他の仲間もみな、似たり寄ったりだ」


「ああ、そうだ…。思い知らせてやる…」


 心の底から絞り出したような、怨嗟の籠った声だった。



 その日は月に一度ある、王との謁見の日だった。父のご機嫌うかがいとして、必ず催されているもので。

 不詳の息子であっても、王にとっては目に入れても痛くないほど、愛しい存在らしく。首を長くして待っていたし、リーマもこれを反故にすることはなかった。

 すれば、心象を悪くする。父である王の好意を失うことは、リーマにとっていいことではない。この贅沢な生活も、父の力あってこそなのだから。

 しかし、その日は朝から気分がすぐれなかった。最近、気温がぐっと下がり、肌寒さを感じていたのもある。

 すると、部屋にはいってきたマレがすぐに気が付き、小首をかしげ。


「リーマ様。お気分がすぐれないのでは? お顔が少し青いようです…」


「…たいしたことはない。しばらく休めば治る。それより、朝食はいらない。時間が来たら着替える…」


「でも…」


「父の機嫌を損ねるわけにはいかない。主の言う通りにしろ」


 リーマはマレを睨みつけるが。


「…わかりました。では、出発を少し遅らせていただいてもよろしいですか? 今日中に王へ謁見を済ませればよろしいのでしょう?」


「そうだが…。何を企んでいる?」


「たくらむなんて…。ただ、僕の実家に、良く効く薬があるんです。滋養がついて、体の抵抗力も上がる、薬草を僕が調合したもので。それを取りに行ってまいりますので、それまでお待ちいただけますか? 馬なら往復、半時もかからないかと」


「…そんな得体の知れないものを飲むとでも?」


「大丈夫ですよ。僕の腕は、城で雇われている薬師直伝なのですから。もちろん、妙な薬を飲ませるわけありません。なんなら、先に僕が同じものを飲んで見せますよ? とにかく、今しばらくお時間をいただければ。それを飲めば、午後になら体調も戻るはずです」


 そう、胸を張る。

 それを信じていいものか迷ったが、確かに時間を追うごとに、だるさは増していて。このままいけば、道中で体調を更に崩すだろうことは目に見えていた。


「──わかった…。父には午後に伺うと伝令を送る。お前の作った薬が効くと言うなら、取ってこい。特別にうちの馬車を使わせる」


「いいのですか? それなら、もっと早く行ってこられます! 有難うございます!」


 いう間に、呼び鈴が鳴らされ執事が姿を現す。


「マレに馬車を。父へ謁見は午後にする。伝令を」


「は」


 執事は軽く目礼すると、退出していった。マレはぱっと表情を明るくし、


「では、行ってまいります!」


 そう言って、踵を返すと、急いで部屋を退出していった。


「慌ただしい奴だ…」


 あと、二日でラクテウス家に帰る予定だ。

 自分の体調など、気にするものはごくわずか。マレは貴重な存在になっていた。

 と、入れ替わりに下僕の一人が通りかかった。手にはアイロンのかかったシャツを持って、立ちすくんでいる。


「どうした?」


「あ、はい! その、マレに頼まれ、シャツを持ってきたのですが──」


「そこへ置いておけ。出発は午後だ」


「午後──」


 そう呟いた下僕の顔色が、サッと青くなった。すぐにそれを見咎めたリーマは、


「どうした? なにかあるのか?」


「…! い、いえ。失礼いたします──」


 下僕の様子はどうみても可笑しい。


「──おい。控えているか?」


「はい」


 隣の部屋から護衛官が姿を現す。


「今の奴、何か隠している…。捕らえて吐かせろ」


「は」


 命令するが早いか、護衛官が数名、下僕の後を追った。

 これまで、さまざまな危機に直面してきたリーマにとって、不穏な空気には敏感だった。勘が働くのだ。そのすべてが、自身の所業によるものだったが──。

 命を奪おうとするもののなんと多かったことか。毒を盛られたことも、剣で刺されかけたことも、馬から落馬させられそうになったこともある。

 今では屋敷の中で怪しい行いをするものはいなくなったが、外に出ればそうはいかない。警戒は怠らなかった。

 そんな中、今回の下僕の様子も、すぐに怪しいと知れ。


 ──何を企んでいる?


 下僕は最近入ったばかり。どこからか推薦状をもらい、かなり推されて入ってきた者だ。どうせ、ろくでもないことを企んでいるに違いない。


「すぐにばれると言うのにな…」


 リーマはせせら笑ったが。

 しばらくして、護衛官が連行してきた下僕から話を聞き出したリーマは、自身の体調も顧みず、マレの後を追う事となった。



 マレはふだんなら滅多に乗ることのない、グラシアール王家の紋章入りの豪奢な馬車に、緊張した面持ちで乗車していた。

 御者はすでに顔見知りとなっており、乗り込む際に、時間内に帰って来られるよう約束してくれた。

 内装も豪華なもので、至る所に金の装飾がなされている。椅子はビロード張りでクッションはかなりきいていた。深いワインレッドのそれの手触りは滑らかで。


 ──こんなの、お尻の下に敷くなんて勿体ないな。


 多少の揺れもすっかり吸収してしまう。思わずポンポン跳ねて、その感触を楽しんでしまった。

 そうこうしていれば、御者がやや速度を緩めた。丁度、橋に差し掛かった辺り。馬車が互い行き違える広さはあったが、人も渡る。万が一も考え、速度は緩めて当然だった。

 窓の外の過ぎる景色が緩やかになり、橋を渡りかけたところで、急に馬車が停車した。木で作られた橋は軋んだ音を立てる。

 外で誰かが声を上げているのが聞こえた。なんの騒ぎだろうか。

 と、誰かが窓を割れんばかりに激しく叩く。見ればリーマだった。髪を乱し険しい表情をしている。


 ──なんでここに?


 首を傾げつつ、直ぐに扉を開ける。

 中から鍵をかける仕組みになっていたため、外から開くことはできない。けれど、もし、マレが開けなければ、鍵を壊してでも開けそうな勢いだった。


「マレ! すぐ降りろ!」


 開けた途端、リーマが腕を掴み、半ば引きずり下ろすようにして外へ連れ出した。


「どうかされたんですか?」


 マレは足をもつれさせ、半ば転びかけながら、馬車から降りる。リーマは尚も手を掴んだまま、渡りかけた橋を引き返した。


「いいから、早くここから離れ──」


 言い終わらないうち、背後でカタリと何か木箱をずらした様な音がした。なんだろうと振り返った瞬間、橋が爆発したのだ。

 煙が舞い上がり、飛び散った石と木片が身体に当たる。火薬の匂い、焦げた木の匂い。爆風と熱風。巻き上がった煙が視界を奪う。


「マレ──!」


 リーマが叫んで手を伸ばしたのと同時、足元が崩れた。


 ──落ちる!


 リーマと共に宙に放り出される。


「っ!」


 声を上げる間もなく、馬車ごと瓦礫と共に、急な川の流れの中へと落ちた。冷たい水に一気にのまれる。


 ──息が──できない…!


 身体は流され、水中に沈み揉まれた。目を開くが、水中はにごり視界はきかない。

 どこか遠くで馬のいななく声が聞こえた。ゴボゴボと耳に響く水音。


 水面は──。


 リーマがマレの腕を掴み、離すまいとしながら、なんとか水面へ出ようとしている。

 と、突然、急な流れにもまれ、右足に強い衝撃を感じた。顔を向ければ、岩と岩の間に挟まれている。


「っ!」


 痛みと共にぐんと身体が引かれ、その衝撃でリーマの手が離れた。

 それでも、リーマは咄嗟に近くの岩に手をかけ、流れに逆らいながら必死にこちらに手を伸ばしてくる。

 指先が届きそうで届かない。指先が軽くかすめ、ふたたび遠のいた所で、その姿を見失った。


 ああ、もう…。息が──続かない。


 ほの明るい、水面を見上げる。


 サイアン! 僕は、サイアンに会うんだ……!


 あと二日で会える。

 それで、また前と同じように、一緒に過ごすんだ。笑いあって、抱き締めて、抱き締められて。そんな日々を過ごすのだから──。


 会うんだ……!


 それまで、なんとか我慢して閉じていた口を開く。もう、無理だった。どっと水が入り込み、あとは意識を手放した。


 サイアン─…。


 美しく澄んだ湖面のような瞳の色を思った。



「──様! 起きてください!」


 薄っすら目を開けると、ずぶぬれになった御者がこちらを必死な形相で見下ろしていた。

 身体をゆすぶられ、頬を叩かれる。背中に当たる小石がいたかった。それに顔をゆがめれば。


「良かった…」


 マレが意識を取り戻したのを見ると、ほっと表情をゆるませた。

 御者の背後で馬の荒い息使いが聞こえた。どうやら馬も無事だったらしい。


 あとは──。


「こっちは大丈夫だ! そっちは──」


 そっち? リーマ様?


 マレはずしりと水を含み重くなった身体を上手く動かすことができず、意識だけそちらに向ける。


「…だめだ…」


 ──だめ? そんな、リーマ様は僕を助けようとして…?


 なんとか上体を起こそうとすれば、それまで飲み込んでいた水が一気にせりあがり、咳き込む。

 咳き込みながら顔を上げた。視線の先には、膝をついたずぶぬれの男数人の向こうに、投げ出された足だけが見えていた。

 ズボンが破れ、岩に挟まれただろう右足から出血が見られる。寝かされた足元に血だまりができていた。


 岩に挟まれたのは──僕だ。リーマ様もはさまれて…?


 記憶を辿ろうとしたが、息が続かなくなった、そのあとの記憶がない。思いだせたことと言えば、ただ、サイアンを思った、それだけだった。


「足を岩に挟まれたのがいけなかった…。誰か身内を呼んでやらないと…」


 と、マレを助けた御者が男たちに向けて。


「…ラクテウス家に連絡を」


 悲し気な声音でそう告げた。


「あと、数日後には…帰るはずだったのに…。マレ…」


 ──え? なんて? マレ? マレは──。


 マレは僕だ。



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