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月の光に  作者: マン太


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20.日記

 その後、リーマは脅してくることはなくなったが、代わりに完全に存在を無視するようになった。

 支度の際も、声をかけられることもない。何事か尋ねても返事は返って来なかった。

 ただ、朝夕の食事は共にする。これは拒否されなかった。いつも、カチャカチャとフォークやナイフが食器に触れる音のみが響く。

 ある時、リーマの衣類を片付けながら、サイアンが歌ってくれた子守唄を口ずさんでいた。

 これを歌うと気分が晴れる。サイアンがすぐ傍にてくれる様で。

 シャツをクローゼットに仕舞い、タイを引き出しに並べ終えた所で──。


「──その歌は?」


 ふいに背後から声がかかって、驚いて振り返った。半分開いたドアの向こうに、リーマが立っている。


「えっと…。これはサイアンが昔歌ってくれた子守唄で。旋律だけなのですけど…。気に入りましたか?」


「……べつに」


 そう言うと、その場をふいと立ち去った。

 書斎に向かう途中、声がしたので様子をみにきたのだろう。追いかければ、リーマは確かに書斎へと入って行く所だった。


 ──気に入ったのなら、歌ってもいいけれど。


 ただ、普通に過ごしていればその機会はない。まさか、リーマの寝入りばなに部屋へ入り込んで、枕元で歌うなどできるはずもなく。それこそ、叩き出されるだろう。


 ──でも、せっかくなら。


 唄がリーマの何かに触れたのなら、歌ってみる価値はあった。


 その夜、マレはテラスに出た。

 小さなベランダが各部屋に設置されているのだ。その上階にリーマの部屋がある。聞こえるとは思わないが、もしかしたらもあり得る。

 いつもはベッドの中で歌うのを、そのテラスで歌ってみた。小さな声だ。家のものを起こしてはまずい。かろうじて、窓が開いていれば聞こえる程度だ。


 ──サイアンは、どうしているかな?


 あれからも、手紙は欠かさない。

 きっと指折り帰る日を待っていることだろう。それはマレも同じだった。


 ──サイアン、僕も会いたいよ。


 でも、今はまだ。

 見上げた空に浮かぶ、白く冴えた月を見上げながら、マレはただサイアンとの日々を思い、口ずさんだ。



某月某日(ぼうげつぼうじつ) 

 ここ数日、リーマ様の機嫌がよくない。

 何をしても、行動が遅く嫌がる。機嫌を取ろうとしても、取りつく島がなく。

 それに夜も眠れていないようだ。何か落ち着かないらしい。

 仕方なく、子どもをもつメイドの一人にたずねてみた。すると、寝る前に唄を歌ってみてはどうかと言われた。

 それは思いつかなかった。

 早速、リーマ様がベッドに入った所で、昔、祖母に歌ってもらった唄を思い出し、歌ってみた。よくある童謡だ。

 すると、はじめは嫌がるそぶりを見せていたリーマ様が、段々と大人しくなり。気が付くと眠りについていた。

 その寝顔をみて、ホッとする。これは毎日続けようと思った。

 それには、もう少しレパートリーを増やした方が良さそうだ。なんせ、リーマ様は飽きっぽい。

 これも飽きなければと願いつつ。

 これからも、成果を日記につけて行こう。

 リーマ様がよく眠れますように──』



 仕事の合間。ふと、庭に目を向けたマレは、綺麗な花が咲き誇っているのに気がついた。

 裏庭の庭のそこは、表の庭より雑多な花が植えられている。

 いつも、部屋に飾るのは、バラかユリか。とにかく豪華な花ばかりだ。


 ──たまにはいいかもしれない。


 マレは休憩時間に、庭師の許可を得て、好みの色合いの花を切り採って束にした。これをリーマの部屋に飾るのだ。


 ──きっと気付きはしないだろうけれど。


 いつもの豪華な花瓶では似合わない。ガラスでできた、なるべく質素な花瓶にそれを差し、ベッドのそばのテーブルに置いてみた。

 まるでそこに庭の花畑が現れた様だが。


 ──気に入らないって、捨てられるかな?

 

 サイアンならきっと喜ぶけれど。

 花を活けながらふと思った。そう言えば、ここの所、夜に護衛官の出入りはない。もちろん昼間もだ。件の麻薬の香りも、ここ最近は嗅いではいなかった。


 ──この花の香りの方がずっと、増しだ。


 あんな不健康なものは使わないのに限るし、例の行為も健全ではない。好意のかけらもないやり取りは、むなしいだけだ。


 ──それがわかったのならいいのだけど…。


 結局、ここに残ったからと言って、リーマに対して何かできているわけではない。

 彼がもう少し健全な道へ戻る事が出来ればいいけれど、そう簡単にはいかないだろう。


 ──せめて、健やかな香りを嗅いで、心が穏やかになるといいな。


 マレは期待を込めて、花を飾った。


 それから、マレはちょくちょく、花を入れ替えてはいたが、リーマから何か嫌味を言われたり、苦情を言われることはなく。花が捨てられることもなかった。

 ちなみに、あの子守唄の一件から、リーマは簡単な返事は返してくれるようになった。

 花についても、何かあれば言ってくるだろうが、それがないと言う事は、このままでいいと言う事なのだろう。


「今日もよろしく!」


 マレは花瓶にいけたばかりの花に向かってそう声をかけた。



『某月某日

 リーマ様に花の名前を聞かれた。裏庭に生えている色とりどりの草花だ。

 さて、生まれてこの方、花の名前など気にしたことがない。その場は、知らないが後で必ず調べてお知らせすると答えて、休日、無理を言って庭師に聞いて回った。

 花の特徴を書き記し、簡単にスケッチして覚えていく。しかし、なんと種類の多いことか。とにかく、リーマ様が関心を示した草花を中心に覚えていく。

 終わる頃には、すっかり日が暮れていた。


 次の日、同じように裏庭を散歩した際、指さす花をすべて答える事が出来た。

 我ながらよくやったと思う。リーマ様も満足したようで。

 帰りに少しだけ摘んだ花を、ベッドの脇のテーブルの上に活けてみた。ことのほか、リーマ様は喜ばれ。

 これもまた、続けることの一つだと思った。

 すべてはリーマ様が笑顔でいられるように。

 それを願ってやまない──』



「おまえ、帰りたくはないのか?」


「っ?!」


 その日の夕食。久しぶりに声をかけられ、マレは思わず口にしていた肉を、一塊一気に飲み込んだ。

 グラスの水をひと口飲んだあと。


「──っと、それは、いつかは帰りますが、約束はまだですから。次の従者も決まっていませんし」


 終えるまでに、あと一週間ほどある。


「そんなもの、私が適当につけた理由だ。またずに帰ればいい…」


 リーマはそう言って、そっぽを向くが。


「そうすると、なんだか、負けたきがして──」


「負ける?」


「…リーマ様に、です。いいように振り回された挙句、逃げ帰るのは納得がいかなくて。僕一人で、あなたをどうにかできるわけがありません。無理です。──でも、僕が出来ることもきっとある。とりあえず、僕が僕らしくしてここにいようと」


 そうすれば見え方も変わる。相手の出方も違ってくるかもしれない。

 いつの間にか、前の様にリーマが怖くなくなってきたのも事実。自分よりひとつ年上の、孤独を抱える人なのだ。

 それに、アランの残した日記からは、寂しがりで、勝ち気で、甘えん坊の姿が描かれていて。子どもの頃は、皆そうだともいえるが──。

 天邪鬼な所もあるのだと思う。だから、帰れと言われて帰れば、きっとリーマは荒れるのだ。

 だから、今は何と言われても帰れない。

 日記を読んだお陰で、見方がすっかり影響されている。本当にアランが乗り移ったような気がしてならなかった。



『某月某日

 仕事仲間のメイドから、好きだと告白を受けた。

 前から親しくはしていたが──しかし、考えた末、申し出を断った。彼女はとてもいい娘だ。きっと、彼女とならいい家庭が築けるだろう。

 だが、よく考えてみれば、私にはすでに子どもがいるようなもので。とても手はかかるが、その分愛おしいお方だ。

 リーマ様はとても寂しい思いをしてきた。大人を信用していない。だから、誰かが傍について、信じる心を持たせてあげねば。

 そうすればきっと、まっすぐ進むことができるはず。今がとても大事な時期だ。

 彼女には、まだ出会いが沢山あるだろう。だが、リーマ様には私しかいない。

 何があろうとも、私はずっとお側にいようと思う。

 どんな時も、リーマ様とともに──』



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