10.第四王子
式はつつがなく終了し、来賓や在校生は先に会場を後にし、建物の玄関へと回る。そこで階段から降りてくる卒業生を迎えるのだ。
「マレ、こっちだ」
「はい…」
ラーゴに呼ばれ、そちらに向かう。
先ほどのリーマとのやり取りが胸に引っかかりつつも、ラーゴと共に階段下で出迎える輪に入った。
サイアンら、優秀な成績を収めたものは最後に出てくるとのことだった。
卒業生が次々とスロープを降りてくる。家族がそれを嬉しそうに出迎えていた。それを心ここにあらずで眺めていれば、傍らのラーゴが。
「マレ、サイアンが王子の専属になることはない」
「ラーゴ叔父さん…」
「大丈夫だ。そうなれば、騎士団全員で阻止する。前例にないことだ。誰も許可はしない。第一、サイアン自身が応じないだろう。だから今は安心して、サイアンを迎えてやってくれ」
ぽすりと大きな手が背中を叩いた。マレは笑顔になって頷く。
「──はい!」
と、ひと際大きな歓声があがった。最後の卒業生が姿を現したのだ。ラーゴが周囲の人をかき分けるようにした後、マレの背を前へ押し出して。
「ほら、行ってこい。派手に出迎えてやれ」
「えっ、あ──」
半ば操り人形のように足を運んだ先、丁度、サイアンが階段を降りてくるところだった。
それだけなのに、ふわりと光を纏って見える。マントが風になびき、肩のモールが揺れた。マレを認め、その表情が一気に和らぐ。腕がこちらに差し向けられ。
「マレ!」
僕の──名を呼んでいる。
「サイアン…! おめでとう」
思わず自身も腕を伸ばし、その中に飛び込んでいた。
途端にぎゅっと抱きすくめられ、そのまま腰を持ち上げるようにして抱えられる。
「マレ、ありがとう。君に祝ってもらえるのが一番嬉しいよ。君がいたからここまで来ることができた。──愛している。僕のマレ」
「!? サイアン……っ」
周囲には卒業生や来賓が輪になって囲み、祝福の拍手をあげていた。その輪にはラーゴの姿もみえる。
「今日の主役は僕だ。少し我儘に付き合って欲しい。──許してくれるかい?」
正直、恥ずかしかった。こんなに沢山の人々を前に抱き上げられ、愛の告白をされ。今日でなかったら、辞退したところだが。
「…いいよ。我慢する」
「ふふ。ありがとう。マレ──」
そう言うと、サイアンはもう一度、マレを抱きしめた。
✢
「…あれは?」
リーマは乗り込んだ馬車を出発させず、そこに待たせていた。そして、サイアンとマレとのやり取りを見つめる。
「──青の騎士団、ラーゴの養子かと」
馬車に横付けし、騎乗で答えたのは従者だった。これは父親の親衛隊員だったものを、特別に傍につけさせたものだ。他にも数名いる。
皆、腕も立つが見目も麗しい。そして、リーマに対して従順だった。──そうせざるを得ない状況に置かれてもいる。
家族や大切なものを、まるで人質でもとる様に、リーマ自身の屋敷で雇っているのだ。もし、リーマにたてつけば、そのものたちが悲惨な目にあう。命を落としたものもいた。そのため、皆従順だったのだ。
そうでもしなければ、誰も言うことを聞かないと、リーマは心得ている。意に従わないものを従わせるには、これが一番、効果的だと。
「ふん…。何が騎士団の一員だ。とっくに相手がいるんじゃないか。あんな、どこの馬の骨とも分からない奴に夢中とは…。──けど、あれは欲しいな…」
視線の先には、いまだマレを抱きかかえるサイアンの姿があった。
そのしなやかな肢体や美貌は、いままで出会ったどんな者たちより秀でていた。なにより、周囲のものを惹きつけてやまない微笑みが、リーマには特別のものに思え。
──あれが欲しい。
あの笑みが、自身に向けられる日々を思った。けれど、まだリーマ自身にそこまでの力はない。
青の騎士団の跡取りを欲しいなどと、王にいったところで、流石にまだ早いと拒否されることは明白だ。
リーマはとがった白い顎に手をあてると思案顔になり、意地の悪い笑みを口に浮かべる。
「…いいさ。いくらでも時間はある。今は自由にするといい。──必ず手に入れてやる」
リーマのひとりごとに、従者は黙したまま。誰も答える者はいなかった。
✢
帰宅すると、その夜は祝いの晩餐となった。
とは言っても家族のみで。ラーゴとサイアン、マレだけのささやかな祝いだ。
「そう言えば…。今日の式典で、リーマ様はなんておっしゃったの?」
デザートも食べ終わり、別室でお茶を飲んでいた時、それを尋ねた。
ラーゴは離れたソファに座り一杯ひっかけている。サイアンはマレとともに向かい合ってお茶を口にしていた。
「ああ。あれか…」
珍しくサイアンの表情が曇る。あの時と一緒だ。
「『必ず私のものにする』──だったな」
横からラーゴが会話に入ってきた。
「聞こえていたのですか?」
サイアンがラーゴを振り返るが、ラーゴは首をふると。
「口元を読んだのさ。まったく、王子にも困ったものだ…。まさか我が家に災難が降りかかってくるとは」
「……」
マレは押し黙る。
「だが、気に病むな。さっきも言ったが、王子の好きなようにはさせない」
「──父上。やはりあの噂は本当なのですか? 王子が無暗に人をいためつけていると言う…」
サイアンの問いかけに、ラーゴは黙って手元を見つめていたが、重い口をようやく開く。
「…ああ。本当だ。ただ、一応理由はつけている。やれ、紅茶を床にこぼしただの、花瓶を割っただの、衣装に穴をあけただの…。些細な難癖をつけ、下男下女をいたぶる。間接的に命を落としたものも数多だ…」
「そんな……」
マレは絶句した。
「あのお年にして、残忍な行為になんのためらいもない。ついたあだ名が『狂王子』。王の溺愛した、亡き第一王妃の唯一のお子でな。王も最後に生まれた第四王子には甘い。──みな、関わらないようにしているが、目をつけられると厄介だ…」
その言葉に、マレはうつむき、手を握り締める。
「……そんな人に、サイアンは…」
すると、サイアンはその背をさするように撫で下ろしながら。
「大丈夫。何も大事はない。マレの傍にいる」
「でも…」
相手は王子だ。王でさえ、口を出せないのなら、どんなに抵抗しても難しいのでは。しかも、まともな性質のものではないらしい。
サイアンは、不安に表情を曇らせるマレの身体を横から抱くように腕を回すと、その頭に頬を寄せ。
「──大丈夫だよ。僕を信じて。マレ。好きにはさせないから」
「…うん」
マレはサイアンの胸元に額をこすり付けた。
そんな二人をラーゴは思案するように、ただ黙って見つめていた。




