時間稼ぎができたかしら?
「なんだよ、昼は食っただろう! おい、みんな、地下へ移動だ!」
いつもであれば、この声掛けに皆、従うのだろう。でも今は違う。食べ物があるのだ。そちらに夢中になっている。
「くそ。おい、もう食うな」
目つきの悪い男が止めようとしても、その手を払いのけ、皆、食べることに集中している。私も水甕を見つけ、これなら薬はまだ入っていないだろうと思い、木製のお椀で喉を潤すことにした。
自分一人では、どうにでもできないと思ったのだろう。
目つきの悪い男が、厨房を出て行った。
応援を呼びに行ったのだと思う。
ただ、厨房には二十人近い女性がいる。しかも皆、薬により食べ物に執着していた。ちょっとやそっとでは動かない。きっと食べるものが目の前から消えたら、動き出すだろう。
これで時間稼ぎができたかしら?
稼げたことを祈りながら、棚を開け、見つけた食べ物を調理台に並べる。するとすぐ、女性達が群がった。
「なんなんだ、これは!」
数名の男達が来て、呆気にとられている。
「早くしろ、もうこの通りの入口まで警備隊が来ているんだ! 抱え上げろ! 何としてもこの厨房から引きはがせ!」
こうなると厨房は、阿鼻叫喚状態だ。
絶対に離れたくない女性達と、地下へ連れて行きたい男達。
叫び声が飛び交い、パンやフルーツが宙を舞う。
女性の中にはフライパンや鍋を手に暴れ出す者もいた。
「くそ。ナイフを持たれると厄介だ。気をつけろ!」
確かにナイフまで飛び出すと、同じ女性同士でもぶつかったりで、怪我をしかねないわね。
さりげなくナイフスタンドを、キャビネットの中へ隠した。
闇組織のくせに、ろくに武器を持っていないのは、完全に薬に頼っていたからだろう。薬さえ飲ませておけば、従順であるということは、前々から分かっていること。そしてトラブルもずっと、なかったのだろう。ゆえに言葉で従わせることができると、思っていたわけだ。
当てが外れたわね。
それにしても闇組織の活動は、ここ最近などではないようだ。かなり昔から、女性を商売道具として、さらっているのだと思えた。
今日、ここで一網打尽にできたらいいのに。
その時だった。
厨房の窓ガラスが割れ、何かが投げ入れられたと思ったら……。
煙幕が広がった。
それは急速に厨房の中を満たし、全員の動きが止まる。
でもそれは一瞬のことで、皆、それぞれ動き出す。
女性達は煙を気にせず、手に持っている食料を食べ、男達は――。
「くそっ。警備隊が来たんだ。逃げろっ!」
男達が逃げ出したと思ったら、今度は警備隊が次々と建物に侵入してきたようだ。指示を出す声、指示を受け動く人々の声が、遠くから聞こえてきた。
怒号も飛び交い、窓ガラスが割れる音や、何かが破壊されるような大きな音も、響いている。
これはきっと警備隊が踏み込んできたからしている音だ。
そして男達は捕まることを恐れ、商品である女性を置いて逃げた。
これで助かるわ!
この煙幕の中にいる必要はないと判断。
厨房を手探りで進み、何人もの女性とぶつかりそうになりながら、廊下に出た時だ。
ところが思いがけず足が何かにぶつかり、倒れ込むことになった。
倒れ込んだ先に人の顔があり、悲鳴をあげそうになる。
この顔は……怖い目つきの男だ!
逃げたと思ったが、ここに倒れているということは。
近くに王都警備隊がいて、倒してくれた……ということ?
気絶、しているのかしら……?
「あっ」
いきなり首に何か絡みつき、後ろに引き倒された。
同時にものすごい勢いで首を絞められる状態になった。
手で首に絡む何かを必死に外そうとして、これは鞭ではないかと思い至った時。
仰向けの視界に、あの大男の姿が見えた。
「……お前か。よくもやってくれたな」
廊下にも煙幕が広がり、霧の中にいるような状態だが、大男の鋭い眼光を感じ、恐怖で全身が粟立った。呼吸の苦しさ以上に怖さを感じている。
「まさか赤い煙が煙突から上るなんて。あり得ないことだ。しかも地下に女達が揃わない。薬で従順なはずなのに。おかしいと思い、ここまで来たら……。野郎どもは職務を放棄し、逃げようとしている。裏切り者には死の制裁だ」
今の大男の言葉に、今度は血の気が引く。
てっきり警備隊に倒されたと思ったのに。
違う。
この大男は逃走しようとした部下を……自ら手を下した。
つまり簡単に人の命を奪える。
ということは私のことも……。
心臓が爆発しそうだった。
さっき見たあの男が、気絶ではなく死んでいるという事実にも、震撼している。
「お前は頭が回るようだな。薬が入った昼飯も食っていないのか? いや、だがちゃんと皿は空になっていた。……つまりはあれか。パンだけ食ったか。スープは周囲にいた女にでもやったのか。賢い奴だ」
大男はそう言うと、スーツの胸元から何かを取り出した。
「赤い煙をどうやってあげたのか。女達をどうやってこの厨房へ誘導したのか。お前には聞きたいことがある。この薬を飲んで、俺達の仲間になれ」
大男は手に小瓶を持っている。その中には錠剤が入っていた。これがスープに溶かされていた薬だ。
「仲間になるか、ここで死ぬか。生きたければ、選択肢は一つだけだ」
その瞬間、喉に絡まる鞭の力が緩んだ。
慌てて呼吸を繰り返し、そしてなんとか言葉を絞り出す。
「……攫った女性を……商品にして、競売にかけるような人の仲間に……なるつもりはありません!」
なんとか言い切れた。
でも同時に、自分に未来がないのだと悟り、両目から涙があふれ出す。
「そうか。賢い女だと思ったが、最後は愚かな選択しかできなかったようだな。死ね」
一気に鞭で首を締め上げられ、上半身が浮きあがる。
声も出ず、思考は飛び、ただ両手で鞭を外そうともがいている。
意識が――。





















































