悪夢は消えた
他の患者の順番など考えている余裕もなくなった。
座り込んだ私に声をかけてきた看護師に向き合う。
「看護師さん……看護師さん!私です。私が殺しちゃったんです。伊達沼拓男って人も、奈須詩織って人も、看護師の初田美奈代って人も私が殺しちゃったんです。毎日毎日毎日毎日退屈で仕方なかった。クレーム対応も嫌気がさした。あの三人は理不尽なクレームをつけてきた人たちだったんです。あの人たちのことを全部調べて後をつけたりして徹底的に調べたんです。調べて調べて殺したんです。殺し方なんて考えてなかったけどそのときの思いつきで殺しました。予知夢なんかじゃなかったんです。私が殺したときのことを夢に見ていただけだったんです。ね、ね、看護師さん。私なんです。私です私が殺しました私が殺しちゃったんです」
彼女の両腕を掴んでほとんど叫ぶように言う。体内の空気を全て使い切り、燃料切れのロボットのように目の焦点が合わなくなっていく。
「島木さん」
低い声が頭に届く。
「あ…あ、はい」
以前、オフィスで課長に呼ばれた(と思っていた)ときに、すぐに反応できず、慌てて返事したときのように一呼吸置いてしまった。
「島木さん。大丈夫ですか?」
「え?あぁ、はい。大丈夫です」
なんとも頼りない「大丈夫」だ。
「そろそろお部屋に戻りましょうか」
「あぁ、はい。そうします。明日の仕事の準備しないと。また明日もクレーム対応しなきゃならないだろうし」
「成功、ということでよろしいでしょうね。我々の欲しかった結果はちゃんと得られたんですから」
「いやしかし、ここまで催眠療法が効果的とは予想以上でしたね」
六名ほどの白衣を着た者たちは、「看護師」役の研究員に連れられ、隔離病棟の病室に向かって歩いていく島木の後ろ姿をカメラを通して見送る。
「会社に勤めていることや、仕事内容、友達とのランチやディナー……全部あなたの過去の体験を、催眠で島木に自分の体験だと……いやぁ素晴らしい発想ですな、井之上先生」
「それはどうも。実際、一緒にカレーを食べに行ったりしてましたが、やはり不安でしたね。研修医がボディーガードとして傍にいてくれたとはいえ……」
「まぁ島木の生来の性格は至極大人しいようでしたから、今回のような検証に踏み切ったわけですが」
「まぁ、どんな方法にせよ、これで証言は取れましたし、なにより、私たちの研究の最大の目標が達成されましたね。犯罪者をのさばらせてはいけない――。犯罪者を裁くためなら……。
どうやら記憶障害が起こって、記憶の再生が出来なかったようですし。夢で追体験に近いことをすることで、自分の犯した犯罪を思い出したんでしょう」
島木香歩。二十七歳。今から四年前に、伊達沼拓男、奈須詩織、初田美奈代を殺害。なかなか警察は犯人を検挙することができなかったのだが、防犯カメラの徹底的な解析を行い、島木にたどり着いたのだが、確証が得られなかった。
島木は警察に身柄を拘束されたが、事件当時の記憶がなくなっていることが判明。
証拠の究明に窮した警察関係者は、この研究室に島木を連れてきたのだ。
――どんな方法を使ってもいいから、この被疑者の記憶を戻してほしい。犯人だという確証がほしい、というのが警察の要望だった。
ここ「犯罪証明特別研究所」の研究員は、やや非合法とも取れる手段であろうと、犯罪の証拠を必ず掴む組織の一員だ。
裁判において、催眠や強要による証言は認められていない。しかし、ここではそんなこと関係ない。
島木の場合では、無くしていた記憶が戻った。それを証言した。それで全てなのだ。
あとは、治療するなり裁くなり、警察に任せておけばいいのだから。
了




