1話
日本中が歓喜したオリンピックでの卓球男子シングルスの金メダル獲得。
日本人として史上初の偉業を達成した高比良 紫苑は金メダルを受け取った後、会場内で行方不明となっていた。
マスコミが騒ぎ立て、警察が出動するほどの騒ぎとなったが、若き金メダリストと金メダルはいつまでたっても見つかることは無かった。
それもそのはず、紫苑は異世界にいた。
「おー!偉大なる魔王様、貴方様を召喚したのは我々「時のマハデヴィー教」です。どうかこの汚れ切った世界に蔓延る腫瘍を殲滅し貴方様を頂点とした世界へと再構築するため、我々にどうかその強大なるお力をお示しください」
マグマ渦巻く洞窟の中では、白装束を着た脂ぎった四角い顔の男が大音声で演説している。その後ろでは同じく白装束を着た大勢の老若男女が紫苑へ向けて合掌している。
「おー!偉大なる魔王様、我々はあなた様のために生きの良い生贄を用意いたしました。どうぞご賞味ください。そしてあなた様の新しき世界にどうぞ我々を加えて頂きますようお願いいたします」
白装束の屈強そうな男たちに引っ張ってこられた檻の中には、薄汚れた格好の子供が二人、怯え切った表情でいる。
どうやら俺は魔王らしい。
自分自身のことを観察してみれば、足元には青白い光を放つ魔方陣。しかもなぜだか全裸であり、皮膚にはトライバル柄の模様と読めない文字が全身に浮かび上がっている。
前髪が目に入らないくらいの長さでいつも切りそろえている髪の毛は、腰位まで伸びていて前が見えにくいことこの上ない。
安心した。
指には指輪が嵌まっていたから。
大切な大切な指輪。この指輪さえあれば他は何が変わってしまっていてもいい。俺がこの世界に来たのは彼女を探す為。それさえできるのであれば魔王であってもいい。
「おー!偉大なる魔王様ーーー」
悪趣味なほど豪奢な装飾品を身に付けた四角い顔の男は、宝石の付いた杖を掲げながらなおも喋りつづけている。
今の世界がどれだけ不公平なものなのかだとか、自分達が魔王を召喚するためにどれだけ苦労をしたのか、などなど。
吐き気がする。
神の存在は認めているが宗教は認めていない。そんなものは人間が勝手に作り上げたものに過ぎない。しかもこれは子供を生贄にするようなカルト宗教。
下種の極み。
嫌悪が湧き上がり自然と右腕をあげていた。自分が何をするつもりなのかは分かっていたが止める気にはならなかった。
そして人を指さすようなポーズを取る。白装束の人間達から唸り声のようなものが聞こえる。今まで直立だった俺が動いたことに対しての声らしい。
人々の視線が集中していることを感じる。
消えろ。
思いを込めた途端、人差し指の先からオレンジ色をした球体が現れた。その途端にこれが何かが理解できた。
それを軽く指ではじいて白装束の人間たちの群れへと放った。フワフワと上空を舞うその球体が人間たちのちょうど真ん中位へ来たところで発動させる。
炎を伴った大爆発が起きた。
予想通りの光景が広がってスッキリした気分になった。大掃除をした部屋の中にいるような気分だ。
「さて………」
檻の中にいる子供たちには怪我ひとつなく驚いた顔で俺の方を見ている。
この二人には無事であって欲しかったから攻撃が当たらない様にと意識したら炎も爆破もふたりがいる檻を避けていたので満足だ。
鍵を探さないといけない。そう思ったがなんとなくいけそうな気がしたので檻に手をかけて力を入れてみたら、鉄格子が簡単にひしゃげて子供が通れるくらいの幅になった。
子供達の悲鳴が聞こえた。
助けてあげたつもりなのにそんな反応をされると少し悲しくなる。けど目の前であんなことをした奴が近づいてきたら怖がられて当然か。
「どこへでも好きな所に行きなさい」
出来るだけ優しく聞こえるように声を掛ける。生贄と言われても子供を見て食欲がわかないことに安心する。あいつらは俺を魔王と言ったがこの状態はそうではないという証拠では無いだろうか。
さて、これからどうするか。目的はすでに決まっているのだが、それを為すための手段が分からない。とりあえずはこの世界のことを知らなければならない。
「あ、あの………」
青い髪の少年が不安そうに声をあげた。
「なんだい?」
「僕たちは逃げてもいいんでしょうか?」
「もちろんいいよ、私に子供を食べる趣味は無いからね」
「ありがとうございます」
少年は笑った。
その鮮やかな髪色と少し丸顔なせいなのかガーベラの花が咲いたような気がした。お礼を言われるというのは世界が違っても嬉しいものだ。
「サクヤ行くよ」
少年の背中に張り付くようにしている少女に声を掛けた。どうやら少女の名前はサクヤというらしい。
「君の名前は?」
「失礼しました、僕の名前はカナタです。僕の後ろにいるのは妹のサクヤです」
「カナタとサクヤね」
ふたりとも覚えやすい名前だ。これでこの世界の人々がどんな感じの名前を持っているのかがある程度わかった。
「おおそうだ」
良いことを思いついた。
「なんでしょう」
不安そうな顔の少年に床に落ちている悪趣味なほど豪奢な腕輪を拾い上げて投げて渡す。
「え、」
驚いた表情。
「ずいぶんと怖い思いをしただろう?この腕輪に腕を通す者はもういないのだから、売り払っておいしい物でも食べるといい」
「あ、ありがとうございます」
少年は目をパチクリさせながら礼を言った。
ますますいい気分だ。
日本にいた時は子供がそれほど好きではなかったのだけど、この子が素直で賢いからだろうか、なんだか助けてあげたくなってしまう。
「助けてくれて本当にありがとうございました。それでは僕たちはこれで失礼したいと思うんですけど大丈夫ですか?」
「もちろん。暗いから気を付けていくんだよ」
洞窟の中には松明がいくつも設置してあるのだけど、それでも暗いし足元も悪いので転んでけがをしやすそうな場所だ。
「ありがとうございます」
少年と少女は頭を下げて去っていく。その背中を見ていると少しの寂しさを感じるが清々しくもある。
今まで生きてきて人に頭を下げられたことは何度もあるがこれほど心のこもったものは無かった気がする。
さて、俺も出発しよう。
こんな所に籠っていても目的を果たすことは出来ない。情報を得るためにはやはり人間の力が必要だろう。
もうすでに人間と言葉を交わすことが出来るのは分かっているわけだから利用しない手は無い。
「あの………すいません」
去ったはずの少年と少女が少し離れたところにいた。
「ん?」
何か言い残した事でもあるのだろうか。