チャプター19
〜職人通り フォルクローレのアトリエ 夜〜
「いよいよ、最後の工程だよ!!」
「おお! ついに!」
同居を始めてひと月弱、長かった調合はいよいよここまで来た。エルリッヒの健康管理と生活管理により、なんとか病気になったり過労で倒れたりするようなことなくこの日を迎えることができた。
一番大事な最後の調合で失敗するわけにはいかないから、二人の間にも緊張が走る。
「じゃあ、始めるからね」
「うん」
必要な素材と機材をずらりと揃える。見てもさっぱり効能のわからない美しい宝玉やら、キラキラと輝く砂のようなもの、それに美しい赤い花、そして色とりどりの中和剤。これらを一体どうやって調合し、何を作るのか。それはまだエルリッヒには秘密なのだった。
「この調合は、三日まるまるついてないといけないんだ。だから、心配かけちゃうね」
「しょうがないでしょ、それは。止められるもんなら止めたいけど、こればっかりはそういうレシピだっていうんだったら、しょうがないもん。料理でも、三日間煮込んだシチューとか、一週間に詰めたスープとか、あるしね」
その間まるまる鍋の前にいるわけではないが、まあ、似たようなものだろう。錬金術の調合の場合はそうも言っていられないらしいが、そこはこちらでサポートしてあげればいいことだ。何がどこまでできるかはわからないが、とにかくできることをするだけだ。
「とにかく、体力勝負だと思うから、お腹が減ったらすぐに言うこと。それから、お手洗いや仮眠するときくらいは見ててあげるから、これも遠慮しないで言うこと。いいね」
「ありがと。でもエルちゃん、三日間の調合なんて、初めてじゃないどころか楽な方だよ? 大丈夫大丈夫。調合難度はともかく、体力的な不安はないって」
にへらと実体なく笑うその表情には、経験に裏打ちされた自信が見える。しかし、それは同時に油断にもつながる。ここで油断して失敗しては、元も子もないのだ。
全く、普段からこんなに気楽に挑んでいるのだろうか。もしかしたら、職人通り名物の失敗による爆発は、この気楽さが原因なのではないか。そうだとしたら、あまりにも迂闊だ。それで、時間も素材も体力も無駄にしているのだから。
いくら推測しても真実が見えてくるわけではないが、一抹の不安がよぎる。
「それと、調合してる間、私は何をしたらいい? さっき言ったみたいなサポートはもちろんするけど、それ以外に」
「ここまできたら、あとはあたしが呼ぶまで普通に過ごしててよ。二階にいれば呼びかけは聞こえるでしょ? でも、振動とかホコリなんかも避けたいから、掃除はしないでね」
つまり、ただただ応援していればいい、ということなのだろう。それは、申し訳なるほど安楽な話だった。だが、邪魔はしたくない。言われた通りに安穏としているのが一番なのだろう。
「じゃ、二階にいるから、何かあったらすぐ呼んでね」
「うん。成功を祈ってて」
額から流れる一筋の汗が、フォルクローレの真剣さを物語っていた。
〜フォルクローレのアトリエ 二階〜
「……」
早速邪魔をしないようにと二階に避難したエルリッヒ。軽く窓を開け、ベッドに腰掛けた。階下からは、ガチャガチャとガラスのぶつかるような音が聞こえてくる。早速作業を始めているのだろう。こうなってはできることは本当に少ないんだと、そう実感させられる。
「一旦、寝てみようかな」
こんな時間に始めるのだからと、今は朝まで眠ることも重要だった。もちろん、それはフォルクローレも了解するところであり、いつサポートを頼むかわからない以上、エルリッヒのコンディションも整えていてほしいという思いもあった。だから、今は大手を振って眠ろう。そう、決めた。
早速寝間着に着替えると、ベッドを独占するべく中央に陣取った。そして、ランタンの火を消し、それをそばのテーブルに置く。月明かりがありがたい。
「ん〜〜〜っ!! こんな広々とした寝床に寝るのなんて、久しぶりだ〜」
大きく伸びをし、誰にもぶつからないのを確認すると、布団をかぶる。その瞬間、ふわりと漂うフォルクローレの香り。あの時と同じだった。
「あ……」
改めて、人様の寝床に居座っているんだと実感する。しかも、その主は今大事な作業の真っ最中なのだから、申し訳ないという気持ちも湧いてくる。
(フォルちゃん、頑張って!)
胸いっぱいにフォルクローレの香りを吸い込むと、祈りにも似た応援をしながら静かに目を閉じた。
〜翌朝〜
相変わらず、鳥のさえずりで目が覚める。それは、朝日が登るより少し前だ。これでも普段よりはゆっくり眠っている方なので、随分とスッキリしている。
「ふぁ……」
起き抜けにあくびをする。当然、ベッドに本来の主人がいるはずもなく、テーブルやその他の場所で眠っているはずもなく、フォルクローレの姿はここにはなかった。
(フォルちゃん、やっぱり徹夜なんだ……)
それはそうだろう。なにしろ片時も離れられないというのだから、しかし、その実態を目の当たりにすると、やはり心配が先に立ってしまう。
とりあえず、起きて様子を確認しよう。さすがに初めてでないというのも事実なので倒れているようなことはないだろうが、気になるのは確かだ。
寝間着のまま階段を降りる。
「おはよー」
「エルちゃん、起きてきた? こっちは今の所順調だよ。でも、お少しお腹減ってきたから、朝ご飯の支度をしてくれると嬉しいな」
そんなことはおやすい御用だった。早速キッチンに向かうと、二人分の朝食を作り始める。すぐに、ナイフが食材を刻む小気味の良い音が響き渡る。
「フォルちゃん、食事の間は離れられそう?」
「んー、できればここから動きたくない感じ」
できれば食事くらい一緒に摂りたかったが、それならば仕方がない。作った朝食はすぐそばまで運ぼう。ささやかなことだったが、こうして少しでも調合が快適に行えるようにするのは、きっと成功率の上昇にも寄与するに違いない。
「もう少しで出来るから、待っててね」
「んー。おお、いい匂いがしてきた!」
朝食は凝ったものを作るわけではない。パンに添えて、刻んだ野菜や玉子焼きをつけるだけだ。昨日、玉子が買えた幸運を、ここで使用するのだ。そして、夕食で作ったソースの残りを、パンにつけるためにフライパンから小鉢に移す。
それだけでも、立派な朝食の完成だった。
「さ〜、できたよー。お皿ごと持っていくから、そこで一緒に食べよ?」
「うん。あ、でも、こっち側は気をつけてね。色々置いてあるから」
大釜の前に陣取るフォルクローレと寄り添うようにして、エルリッヒは朝食の皿を並べた。こうして一緒に食事をすることが重要なのだ。
「おー、美味しそう!」
「徹夜で疲れてるでしょ? 食べて食べて」
釜から手が離せないとは言っても、その場で火加減や中の素材の混ざり具合を確認し続けていられるのなら、食事くらいはできる。こうして食べる食事は、何より美味しく感じた。
「はぁ〜、疲れた体に染み渡るよ〜。このソースの塩加減も、パンに合ってて!」
グツグツと煮えたぎる大釜の前に一晩いるのだ。自然と汗も流れる。塩分が減っているのだろう。そういう時の、塩気は、より一層美味しく感じるものだ。
美味しそうに食べるフォルローレの姿を見て、エルリッヒも満足げな表情になる。
「うんうん、作り甲斐があるなあ」
「こっちこそ、お世辞じゃなくて美味しいよ。ありがとう。あと二日半、頑張れそうだよ!」
手短かに食事を終えたフォルクローレは、再び大釜の前に立ち、中身の攪拌を再開させるのだった。
〜つづく〜




