050「壮麗の君」
〈二〇二五年 七月二十九日 御加実市 ???〉
見上げると、そこには小さな燭台が並んでいた。
ゴーストたちの宴を乗り切り、次は鬼が出るか蛇が出るかと戦々恐々としていたナギトたち三人を襲ったのは気味の悪いほどの静寂であった。
「────なんだか、釈然としないわねぇ。さっきの騒ぎが夢だったみたいだわ」
そういうシガレットさんは辺りを呆然と見ていた。
辺りを埋め尽くすのは、本、本棚、背表紙……要するに、ここは書斎であった。
蠟燭の小さな明かりにはそぐわない程の光量が、無地の蔵書たちを照らしている。
「────ん、とにかく危険はなさそうだが……どうだ?」
ただ、もちろん罠の可能性は大いにある。
ゴーストたちの部屋もダンスホールに入るまでは、何の変哲もなかったのだから。
「ああ、特にトラップの類はない。敵もここにはいないようだね」
「そうみたいね、けれど油断はしないようにね?ナギトちゃん?」
そう、空想現界人の二人が太鼓判を押してくれると安心できる。
こちとらただの高校生だ、気配とか罠とかさっぱり分からん。
「とりあえず、固まって動こうか」
「了解」
「わかったわ」
そして、そう神妙な顔で目を合わせた俺たちは、書斎を探索し始めるのであった。
──────ただ、この景色……どこかで見たことがある。
辺りを見回しても、本ばかり、波のような木目調の本棚を見て既視感に襲われる
「────どうしたのかしら?ナギトちゃん」
「い、いや、どうもこんな空間がダンジョンにあるのが変な気がして……」
そう、誤魔化すように頭をふる。
だが、それは恐らく俺以外も感じているだろう違和感。
この敵だらけのダンジョンにあるはずのないセーフエリアなのかもしれないが。
「そうねぇ、アユムちゃんみたくボスを狩ってセーフエリアを作る、ってわけじゃないとすると……そうねぇ、何らかの補給所、もしくはダンジョンのイレギュラーのようなものかもしれないわね」
そう、シガレットさんは考察を語ってくれる。
「──────ふむ、こっちはギリシャ語の解剖学書で、こっちはフランス語の恋愛小説だ。ラインナップに統一性はなさそうだね」
「おおう、勇気あんな……?てか、読めるんだ?」
「日常会話レベルならね」
そう、いつの間にかアユムが適当に本を取って読んでいた。
そも、俺なら呪いとかありそうで触れることすら怖い。
一体何リンガルなんだ、というか俺なんて英語でもギリだぞ。
「ふふ、帰国子女ってやつ?」
「まあ、各国そこそこ回っていたよ。組織の命令でね」
「……思ったより重い話だったわ」
ううん、その組織とやらの話は何だかヤバそうだ。
割と冗談めかした口調だが……彼にも彼の事情があるのだろう。
ともかく、やはり見れば見るほど違和感、いや既視感が体の奥で募っていく。
これは、幼少の頃の記憶か?
少しずつ、思い出してきた──確か、あの漫画は──────
「──────あ」
「──え?その本がどうしたの……ナギトちゃんっ!?」
──────ガコリ、と音が鳴り重力が消失した。
否、重力ではなく俺の足元の床が消失したのだ。
迂闊にも本を手に取った俺は、まんまと罠にはまり、地の底の暗闇へと落ちていった。
そして、落下の直前に見たのは、俺へと手を伸ばしているアユムの姿であった。
◆◇◆◇◆
──────紙と紙が擦れる音。
断続的に耳に流れるのはその音であり、暗闇の中に落ちた意識にも明確に響いていた。
心地よいリズムであり、疲れ切っていたナギトはこのままさらに深い眠りへと──
「──────おにぃちゃん、起きてー」
「ったた、痛いイタイッ!!?」
微睡を貪っていた俺は、頬の痛みで現実に引き戻された。
どうやら、頬を引っ張られていたらしく、見ると幼い子供がいた。
「…………起きた、これでいいキミヒコ?」
コテン、と頭を傾げたその子は、痛みの発生源かつ命令源であろう目の前の男へと確認した。
確かに、ナギトは座らされている、そして対面にも同じく簡素な椅子に座る男が一人いた。
「──────ああ、問題ない……ご苦労だった褒美だ。遊びに行っていいぞ」
「わぁい」
言われお菓子であろう小包を受け取ると、名も知らぬ子どもは手を振り上げテテテと走り少し広めの書斎から出ていく。
「────さて、ご機嫌いかがかな?侵入者」
男は、確かにナギトの事を侵入者と宣った。
そして、ナギトの頭は即座に冷や水を浴びせられたように、切り替わる。
──────ああ、クソ……俺って昔からこういう悪運だけは強いんだよなぁ。
そう、目の前で笑う壮麗の男は、こちらを挑発的に見ていた。
◆◇◆◇◆
「──────つまり、お前がこのダンジョンの主ってことでいいんだよな?」
俺は、静寂が支配する書斎の椅子の背もたれから離れた姿勢で口を開く。
冷静に努めて状況を確認するべきだが、如何せんそれをする時間はない。
「……そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「なんだ、小説家みたいな曖昧な物言いだな」
「カカ、言い得て妙な例えだな」
男はその整った口元を動かし、カラカラと笑った。
否、ナギトと同じ黒髪黒目だが、その顔は嘘のように整っている。
陽介といい勝負、どころか勝る勢いだ。
「……俺を攫った目的は?」
「ふ、語るとでも?──と、言いたいところだがむしろお前がこっちに来たんだろ」
────?、つまりあの本の罠は実際は、罠ではないということになるんだが。
「つまり、偶然俺があの書斎の仕掛けを解いたってことか」
「偶然……と言や、そうなんだが。お前、あの仕掛けのこと知ってたろ?」
そう、さらに笑みを湛えて語り掛ける男。
その表情には確信が浮かんでいた。
「『どっきり怪盗サラミ』の秘密基地に入る方法だろ?」
「……ふ、よく知ってやがるな。どマイナー小学生向け漫画だぞ」
「だから偶然だ。妹が昔好きで、一緒にハマったんだよ」
男は、まるでそのことを称えるように笑みを深める。
だが、それでも俺は冷や汗を流す。
──────この状況、どう考えても詰みの状況だ。
相手の本拠地、相手の掌の上、一般高校生に出来ることはない。
逆に、交渉を仕掛けるとしても、話している感じで伝わるのは、口八丁手八丁で誤魔化せる相手ではないこと。
この男の雰囲気から、どう考えても一般人でない……要するに中学時代にも会ったヤクザのような鋭いものを感じる。
「…………ま、雑談はこのくらいにして、だ」
「ああ、煮るなり焼くなり好きどうぞ」
「──ハ、お前俺のことなんだと思ってんだ。こちとら平和な現代に生きる人間、殺人鬼じゃない」
その表情は、全てを許すような、慈しむような慈愛に満ちていた。
だが、滲み出る血生臭さがナギトの嗅覚を刺激していた。
「…………嘘つけ」
「ま、確かにこのまま無傷で返すのは面白くない。お前のオナカマが、俺の相棒と今必死に戦ってるしな?」
「──────っ、なるほど拒否権はないわけだ」
その口調は淡々としていて、それでもこちらを挑発するような視線は崩さない。
そう、か…………レイたちも戦ってるのか、なら俺がここで止まってる理由はない。
「……さ、特別出血大サービスだ。質問に答えてもらおう」
「──────」
答えを間違えれば即死、でなくともレイたちにたどり着くことはできないだろう。
頬から冷や汗を流し、それでも男へと不敵な笑みを返し体裁を取り繕う。
「この世界にある不条理に直面し、お前の大事な人が死んだ場合────お前はどうする?」
疑問に対する答えは決まっていた。
だから、その後の沈黙は、彼が質問に込めた意図がどういうものかという──────
◆◇◆◇◆
確かに、この世界はどうしようもなく残酷だ。
全ての平等は、そうあろうとする理想であり、夢物語でしかない。
そして、その夢物語は決して面白くない駄作である。
この世界には理不尽に抗うことを許すが、決して当事者たちも傍観者すらも不幸にする。
そう、俺は散々中学時代に体験してきたではないか。
理不尽に抗えば抗うほど、割を食う人間がいる。
悪人だろうと善人だろうと、無理が通れば道理が引っ込む。
全ての人間を救うことはできないし、誰かを助けることは誰かを助けないことだ。
──────だから、それが例え親友であっても。
確かに、笑顔で前を向き、進もうとしていた彼女であっても……俺は助けなかった。
否、見ないフリをしてしまった。
────だから、俺は。
「──────なら、俺は次こそはと立ち上がる」
そう、それは既に決まっていた答え。
そう、親友を失い、罪を抱え、それでも前を向くとそう誓った。
「────理想論だな。お前はお前が思っているほど強くない。きっと、立ち上がれない時が来る」
「ああ、そうだ。その時は、仲間にひっぱたいてでも立ち上がらせられると思うよ」
男は目を見開く。
その答えが、意図に沿うものだったのか、それとも愚にもつかない暴論であったからだろうか。
それでも、彼はそのまま先ほどの笑みを浮かべる。
「──────最初から、お前も大切な人を失っていると思っていた」
「…………」
沈黙、それは短く、ただひたすらに思い沈黙。
「────分かった、今回だけだ。懐かしいものを思い出させてもらったしな。見逃そう」
そういうと、男はどこからともなく枝のような杖を取り出した。
棒切れのようなそれは、存在感を高め自身の如く辺りが流動する。
「────最後に一つだけ、俺の名前は間下部凪斗。お前の名前は?」
そして、全てが崩れていく中、男は意外そうに目を見開いて、口の端を歪めた。
「──────キミヒコ、財津君彦だ。精々足掻けよ俺と同じ現代人、次会う時は情けはないぞ」
そして、世界は杖の一振りにて、崩壊した。
◆◇◆◇◆
「──────ナギトちゃん!大丈夫かしら?急に落ちて、少ししたら急に天井からナギトちゃん落ちてきたのよ」
「すまない。まさか、罠を見逃すとはね」
そして、再構築された世界で、ナギトが目を覚ますとシガレットさんとアユムが居た。
ナギトは、どうやら帰ってこれたようだと胸を撫でおろす。
得られた情報は値千金、されどナギトの胸中に渦巻く静かな痛み。
「────大丈夫だ。さ、行こう」
じくじくと、その痛みは静かに彼の心臓に茨を絡ませる。
ナギトはキミヒコの言っていた言葉を反芻する。
キミヒコは、大切な何かを失って、既にブレーキを失っている。
子供を攫っているのも、【ゲーム】で何かを起こそうとしているのも、彼だ。
それでも、ナギトは感じる…………きっと、もしこんな出会い方でなければ仲良くなれたであろうことを。
すでに、ナギトは彼のことを嫌いになれなくなっているのだから。
──────それでも、最後には彼のことを…………
そこまで考え、ナギトは考えることを止め、先に進むことにした。
〈Tips!〉
・書斎について
ダンジョンマスター、キミヒコの自室兼ハーメルンズのホーム。
子供が大量に匿われており、意外と自由に過ごしている。
攫われてきた子供も存在するが、何故か何の不満もなく無邪気に過ごしている。
子供たちは、彼らハーメルンズにとっての財産である。
偶にいなくなる子供もいるが、しばらくするといつの間にか帰っている。




