18.
東京競馬場のコース上では、墜落した小型飛行機の残骸が炎と黒煙を噴き上げていた。レースが開催されていないにも関わらず、来場者の多くが観覧席に押し掛ける。
「一体どうなってるんだ?」
そう大声で喚き散らすのは、四人の黒服とともに早足でスタンド内を引き返す大男――花山だ。客の流れに堂々と逆らい、他人に肩をぶつけながら傍若無人に突き進む。
「機体にトラブルでもあったのでは?」
取り巻きの一人が、おそるおそる発言する。しかし、
「点検は済んでるって話じゃなかったのか?」
案の定、怒声が返ってきた。黒服は口ごもり、申し訳なさそうに俯いた。
花山は大きな溜息を吐くと、頭を掻き毟りながら、一段と歩くペースを速めた。途中、行き違う子供が足にぶつかる。謝罪なしに去っていく背中を、舌打ちしながら睨みつけた。
屋外に出ると、迷いなく敷地内の公園に続く路地へと進んだ。広場から聞こえてくる子供たちの楽しそうな声に、花山はいっそう苛立ちを見せた。黒服たちは、困惑した様子で互いに顔を見合わせる。そのうちの一人が、花山を宥めようと口を開いた。
「点検のときに問題が見つからなくても、事故が起きる可能性はゼロじゃないので……」
「そんなのわかってる、ただな! よりにもよって、このタイミングだぞ? それに、こっちは打ち合わせが済んで即かっ飛ばして来たんだ。頑張りを無下にしやがって」
花山の怒りは鎮まるどころか、ますます募るばかりだった。溢れんばかりの鬱憤を、近くのベンチにぶつける。一度、二度、三度と、何度も繰り返し蹴りつけた。周囲の子連れの大人たちが、気味悪そうにその様子を眺める。
そのとき、黒服の一人が頭から血を噴いて倒れた。続いて、もう一人。事態を把握する間もなく、残る二人の取り巻きも頭を撃ち抜かれる。
花山の表情は、たちまち怒りから驚愕へと変わった。恐る恐る攻撃のあったほうを振り向く。
そこには、息を切らしながら肩を上下させる女性が立っていた。特徴的な紺色の縁メガネと、冷酷そうな顔立ち。小柄ながらも、どこか恐ろしさを覚える佇まいと目つき。つい数時間前に、吉祥寺で見えた人物だった。
「なるほど。番犬がここにいるってことは、そういうことですよね。野崎さん、とんでもないことしてくれたなぁ」
花山はわざとらしい笑みを浮かべ、心底迷惑そうに肩をすくめた。
「移動手段もなくなったわけだし、おとなしく観念したらどう?」
碓氷は、わずかに眉を顰めるだけだった。冷たく放たれた言葉に、花山は鼻で笑う。
「移動手段がなくなったって、たかが飛行機一台ですよ? ツテならいくらでもありますか」
包帯の巻かれた右手が、碓氷のほうに向けられる。
次の瞬間、強大な火炎が現れた。赤の閃光が龍のようにうねり、碓氷を飲み込もうとする。しかし、直前で銀灰色の壁が妨げた。花山は顔を歪ませ、さらに炎の威力を強める。碓氷も、それに応じて金属壁を拡張した。今度は、花山が炎の勢いを強め――二人の力比べはみるみる激化していった。とうとう花山の炎は、二人の立つ路地幅では収まらなくなり、近くの草木に引火した。
火はあっという間に燃え広がった。熱気と煙が、広場のほうにまで押し寄せる。異常に気づいた親たちが、我が子を連れて逃げ出した。保護者が離れていた幼い姉妹らしき子供二人だけが、訳もわからずその場に留まった。
碓氷と花山は、閑散とした広場へと戦場を移した。
花山が攻撃し、碓氷が防ぐ。攻守の関係に変化は見られない。若干、碓氷の顔に疲れが見られるが、決して押し負けているわけではない。大きな変化と言えるのは、草木や遊具をじわじわと侵食していく炎の勢いぐらいだった。
碓氷のこめかみに、大粒の汗が点々と浮かぶ。断じて気温だけが理由ではない。強力な攻撃を連続で放っているにも関わらず、相手はいっさい衰える様子が見えない。香川同様、彼もまた消耗戦で容易に崩せる敵ではなさそうだ。
炎に蝕まれた遊具が、炭となって崩れ落ちる。瑞々しかった遊び場は、瞬く間に荒廃していった。
花山の攻撃がいったん止んだ。碓氷は不審に思い、警戒だけは続けたまま防御を取り止める。それを待っていたかのように、花山の攻撃は技の形態を変えてすぐに再開された。火炎弾が、雨の如く――否、雹の如く降り注ぐ。
またもや、金属壁が阻害した。すべての攻撃から碓氷の身を守る。
地面に落ちた火炎弾は、可燃物がないはずの地面にオレンジ色の光を根づかせた。近くの炎や、降ってきた他の火炎弾と合体・吸収を繰り返し、徐々に大きな炎へと成長していく。気づいたときには、碓氷は火柱に囲まれていた。左右を見回す間にも、巨大な火の手が捕らえようと迫ってくる。
いよいよ、炎の波が碓氷を飲み込もうとした。そのとき、金属壁が球体へと変形し、碓氷の全身を内包した。そして次の瞬間、自ら炎の中に突入した。業火を掻い潜り、無傷で延焼地帯を抜け出すと、球体は一メートル大のパイプに変わった。やがて、碓氷の右手に収まった。
広場内は、ほとんどが炎と煙で覆われていた。
安全な場所に退避したところで、さっそく花山の姿を探し出そうとした。その矢先、前方から銀白色の矢が飛んできた。碓氷の腕が、反射的にパイプを振るう。甲高い音が鳴り響き、矢は地面に落下した。碓氷の足元に、六十センチメートルほどの金属楊枝が横たわる。
同じ方角から同様のものが、今度は多数飛来した。縦横無尽に動き回る金属パイプが、一本足らずと打ち落としていく。
不意に、横から鈍色の円盤が飛んできた。碓氷は鈍器で容易く叩き落とす。
足元に散らばる凶器には目もくれず、花山の居場所探しに集中した。仮に姿を消しているとしても、碓氷の位置を把握できる場所にいることには間違いない。すなわち、火柱などの障害物に遮られない地点だ。碓氷はメガネの位置を正すと、視線だけ這わせて辺りを見回した。
前方、焼けた船のオブジェと、燃え盛る木の間の隙間が目に入った。ちょうどあの場所なら、邪魔になるものが何もない。碓氷はパイプを握り締め、狙いの場所へまっすぐ走った。
そんな彼女を妨害するかのように、四方から無数の矢が襲い掛かる。碓氷は足の勢いを保ちながら、パイプで打ち返した。打ち損じた何本かが肘や太腿を掠め、衣服の裂け目から傷が顔を覗かせた。それでも、足を止めるまでには至らなかった。
ついに猛攻の嵐を突破し、何もない空間に鈍器が振るわれた。棒は水平方向に空を切り、見えない何かを捉える。さらに追撃を加えようとした途端、全身にビリビリとした鋭い痛みが走った。手の力が抜け、パイプが落ちる。
刹那、花山が姿を現し、両手の鎌を振りかざした。丸腰の相手を前にして、その顔には勝利を確信する笑みが浮かんでいた。
しかし、刃先が碓氷の身体を捉えることはなかった。突如、三六〇度折れ曲がる。碓氷に当たったのは、屈曲部だった。
「能力干渉――」
花山は小声で呟き、右手の包帯を睨んだ。
碓氷は、花山の腹を蹴り、右腕を後方に伸ばした。掌の中から金属ワイヤーが射出され、先端の楔が、火のない地点に突き刺さった。直後、碓氷の身体が楔のほうへ引っ張られた。一瞬にして、二人の間に距離が生まれた。
火の薄い広場の隅を一瞥すると、逃げ遅れた姉妹二人が唖然としながら碓氷たちのほうを眺めていた。ひとまず、火の手に捕まらずに済んだようだ。碓氷は安堵し、花山に向き直る。
「炎、金属、光、電気……」
険しい面持ちで呟く。その声が聞こえたのか、
「まだまだありますよ」
花山が誇らしげに答えた。碓氷が顔一面に嫌悪感を露わにするもいざ知らず、花山はさらに続ける。
「知ってる奴らの中では、トップクラスの多さですね。手の内を明かすことになるので、全部紹介することはできませんが……そうだ、番犬さん、空間アビリティ持ってる人って会ったことあります? なかなかいないんですよね、確か。でも、僕持ってるんですよ。空間アビ。めちゃくちゃ高かったですよ、他の奇臓全部合わせた額より高いんじゃないかな? まあ、そこまで注ぎ込んでおきながら、まったく使ったことないんですがね。アンノウン消費がバカにならないので――」
突然、彼の足元にナイフが突き刺さった。花山は真顔でナイフを見つめ、それから碓氷のほうを向く。
彼女の目には、明確な殺意が表れていた。
「そこまで怒らせるつもりはなかったんですけど、なんかすいません」
花山が頭を掻きながら、困ったように笑う。すると、追加でさらにもう一本、地面に刺さった。花山の顔から笑みが引く。
「ああ、なるほど。話はいいから戦わせろってことですね」
双方向から、同時に攻撃が放たれた。碓氷方向に、数多の針葉が空気を裂いて降り掛かり、それらを相殺するように、同等数の弾丸がミサイルのように射出される。
敵の攻撃が希薄になったところで、碓氷が走り出した。金属パイプを振り回しながら、針葉を払っていく。すると、今度は足元から妨害が始まった。地面に木の根が生え、碓氷の足に絡みつこうとする。
碓氷が地面を突くと同時に、金属パイプがより細長い棒へと変形する。碓氷は、棒の先端を地面にしっかりと突き挿し、跳躍した。彼女の足を狙っていた根は、急遽ポールへと標的を変える。二本の根がポールを崩そうとした瞬間、頂点に達した碓氷は棒を手放した。
碓氷の構えた人差し指が、地面でうねりながら待ち構える茶色い怪異を捉えると、次の瞬間、指先から半月形の刃が飛び出した。縦横無尽に飛び回り、木の根を切り刻んでいく。
木の根の残片は、靄となって消えるわけではなく、発火した。無論、碓氷には、自身の身体を地面へと引き寄せる力をコントロールすることができない。手招きしているような火の手へと、少しずつ吸い込まれていく。爪先が炎に触れそうになったそのとき、先ほど放った刃が足元に駆けつけ、円形の足場に変形した。碓氷は足場に着地すると、再び跳び上がり、次は花山に狙いを定めた。
指先から鎖が一直線に放たれた。同じタイミングで、花山が姿を消した。鎖は何も得ず、虚しい音を立てて地面に落下した。碓氷も、後を追うように鎖の前に着地する。
消えた花山は、碓氷の背後から生えるように出現した。隙を見せず、強大な火炎を発生させる。しかし、それでも碓氷を仕留めることはできなかった。すんでのところで金属壁が現れ、碓氷の身を覆う。
火炎は数十秒で止んだ。金属壁が解かれ、無傷の碓氷が露わになる。
二人は息を切らし、肩を上下させながら互いを睨み合った。相手の顔に、ようやく疲労の色が現れ始め、碓氷はわずかに目を細める。この様子なら、花山が先に力尽きるだろう。あるいは、ペース配分を変えてくるか。そうだとしたら、逆に消耗の激しい大技は控えてくるはずだ。いずれにせよ、碓氷にとっては好都合だった。
案の定、花山は出方を窺うばかりで、これまでのように積極的に攻めてはこなかった。主導権を握る絶好のチャンスである。
碓氷はここぞと先に動き出した。花山の足元に向けて、弾丸を撃ち込む。地面に当たった衝撃で弾丸が割れ、中から鎖が顔を覗かせた。鎖は植物のように伸び始め、花山を捕えようとする。無論、花山もおとなしくやられるだけではなかった。彼の立っている場所から、大きな炎が上がる。鎖は熱にやられると、動きが鈍くなった。
碓氷は、目を凝らしながら揺れる炎を睨んだ。炎の能力者とはいえ、あの中に残っていたら一溜まりもないだろう。広場中を見回し、花山の姿を探す。しかし、炎や煙が邪魔になり、目で見つけるのは困難そうだ。
――それなら、こちらから仕掛ければいい。
碓氷は広場全体に向けて、無数の金属弾を放った。
彼女の目論見は、功を成した。後方、ちょうど背中を向けていた方角で、何もないはずの空間から、金属弾が次々と弾き飛ばされているのが確認できた。地面に転がる弾丸の先端は、煙を噴きながらひしゃげていた。
弾丸を跳ね返す『見えない壁』は、着実に碓氷との距離を縮めていた。まさに接触すると見えた瞬間、碓氷の前に銀白色の盾が生成された。
金属同士の鈍い衝突音が聞こえる。伴い、碓氷の盾の中心部がオレンジ色に光り始めた。炎の温度に耐え切れなくなり、融解が始まったのだ。盾は次第に形を崩していった。黄褐色の雫が、地面に垂れ落ちる。
「残念でしたね、番犬さん」
花山が姿を現し、指を向ける。だが、何者かに足を取られてバランスを崩し、その場に倒れた。花山の指先から出た円錐状の弾丸は、碓氷のふくらはぎを掠めて明後日の方向へ飛んで行った。
花山は、自らの両足に目をやった。それぞれの足に鎖が一本ずつ、がっちりと巻きついていた。加えて、前方から新たな鎖が地面を這って近づいてくる。花山が右手を挙げようとすると、のたうつ一本がすかさず食らいつき、地面に固定した。
動けなくなった花山に、碓氷が人差し指を向けながら慎重に近づいた。そして、指がこめかみに突きつけられると、花山は悔しそうに唾を飲んだ。
碓氷は、所持品を没収すべく、花山のジャケットをまさぐった。内ポケットから、さっそく能力抑止剤が取り出される。全部で五本だった。右手の人差し指で脅したまま、四本を地面に置き、左手と口で残るひとつの袋を開封する。
そのときだった。
「いやぁ!」
後方から、子供の悲鳴が聞こえた。碓氷は瞬時に振り向いた。
姉妹の一人が、倒れたまま泣き叫んでいた。近くには杖が投げ出され、右足はギプスで固定されている。その隣で、もう一人が何をすればいいかわからず狼狽えていた。
二人の上には、藤棚――炎に包まれ、今にも崩落しそうな瓦礫が待ち構えていた。
碓氷は、迷わず抑止剤を放り投げた。目の前の男を忘れて、姉妹のほうに身体ごと向き直る。
銀色の球体が二人を掻っ攫い、競馬場のほうへ移動する。ほぼ同時に、炎に侵された藤棚が崩落した。
碓氷の口から、安堵の息が零れる。
直後、左胸に熱を帯びた激痛を感じた。碓氷はその場に蹲った。胸に手を当てると、生温い湿った感触を覚えた。
「いやぁ、危ない危ない」
拘束を解かれた花山が立ち上がり、碓氷を見下ろす。
「一時はどうなるかと思いましたよ」
そう言うと、碓氷の右腕を強引に掴み上げて袖を捲り、皮膚を露出させた。包帯の巻かれた右手が、不器用に抑止剤を注入する。打ち終えると、空の注射器を炎の中に投げ込んだ。
「しかし、番犬ってこんなもんなんですね。全然大したことなかった。むしろ、香川さんたちのほうが厄介なぐらいでしたよ」
勢いよく燃えていた一帯の炎が、少しずつ弱まってくる。
碓氷の胸からは、断続的に血が零れ落ちていた。血溜まりの上に、一滴、また一滴と赤い滴が垂れる。
じわじわと熱を失い、身体が震える。息が上手く吸えない。眩暈がする。死の階段を歩かされているのが、嫌でもわかった。それでも、今の碓氷には、その足を止めることができない。
――力が足りない。
兄が死んだとき、誰に頼らずとも生きていける「強い」人間になると決めた。そのために努力を重ね、最近、ようやく目指していた形になれたと自負していた。しかし、それはただの勘違いだった。
何も、今のこの状況に限った話ではない。聴取先の不動産屋での襲撃。冤罪を着せられたときの留置場からの脱出。漸義会との交戦。花山の足止め。宇都宮の失踪事件の捜査を振り返るだけでも、碓氷ひとりではどうにもならなかったことが山ほどある。他人の助けがあったからこそ、こうして黒幕と対峙することができたのだ。
「ご存知かとは思いますが、弱肉強食の世界なので、弱者はおとなしく散ってください」
目の前の憎き相手にもそう言われ、改めて自身の無力さを痛感した。
聞き慣れない着信音が鳴った。花山がスマホを取り出し、碓氷に背中を向けて通話に応じる。
「もしもし、コンさん? 今番犬潰してるところです。つっても、ほとんど終わってるんで、約束の件、お願いしますよ」
嬉々として報告する男の背中が、碓氷の視界にぼんやりと映る。聞こえてくる音もすべて靄掛かっていた。
十年前の誓いを果たせないまま、死んでいくことになりそうだ。それなのに、意外と失望はなかった。弱い自分が何よりも許せなかったのに、だ。
「爆破されちゃったんです。最悪ですよ、ヘマした挙句に寝返りやがって――もしもし? もしもしコンさん?」
通話中だった花山が、突如耳元からスマホを離し、困惑しながら画面を見た。通話は切れていた。首を傾げ、花山のほうから電話を掛け直す。「発信中」の文字が表示され、耳元にスマホを運ぼうとしたが、途中で通話切れの音が鳴った。
花山は訝しげにスマホを覗き込んだ。「通話中または通信中」の文字が目に入った。
花山の顔に、焦りの色が浮かんだ。同じ挙動を繰り返すが、何度やっても結果は変わらない。それでも諦めずに繰り返す。焦燥と指の震えが、ミスタップを誘発する。
その間に、碓氷がパイプを杖代わりにして、ゆっくりと立ち上がった。気づいた花山が、視線を手元から碓氷に移した。
「おかげさまで、目が覚めた。ありがとう」
花山は露骨に顔を顰めて舌打ちし、スマホを放り投げた。
「つらい状態で放置しちゃっててすいませんね。今すぐ寝かしつけて――」
「トドメの催促じゃないんだけど」
「なるほど。最後の最後まで諦めない。さすが正義の味方、異保官さんだ」
花山が馬鹿にしたような口調でそう言い、拍手した。
「しかし、どうするんですか? 抑止剤を打たれた満身創痍の身体で、僕を止められるんでしょうか?」
碓氷は唾を飲むと、鉄パイプの上に重ねていた右手を開いた。そこにあったのは、赤い御守袋だった。
花山が噴き出した。
「笑わせないでくださいよ。まさかの神頼みとは――」
しかし、碓氷が御守袋の中身を取り出した途端、表情が固まった。
「能力増強剤? 何故番犬が?」
まるで奇妙な光景でも見ているかのような目だった。
碓氷は、暖かい眼差しで手の中のものを見つめた。
貰った日の出来事が脳裏に蘇る。色褪せる前の鮮やかな赤色の御守袋と、兄の笑顔。声。手の温もり。鮮明に残っているのは、彼のような他人に頼らない強い人間を目標としていたからだろう。ただし、それは十年そこらで達成するには、あまりに大きすぎる理想だった。
今の碓氷は、日向の足元にすら及ばないだろう。だったら、これから強くなればいい。そう前向きになれたのは、今の不完全な自分を受け入れることができたからだ。
――助けを借りることは、何も非力の証明にはならない。周りがそう教えてくれた。
碓氷は、増強剤を腕に打ち込んだ。
花山は潰しに掛かろうと、巨大な炎の竜巻を発現させた。碓氷の身体は、一瞬にして渦の中に飲み込まれた。
花山自らも思わず後退りするほど、凄まじい熱気が放たれていた。周囲の砂はたちまち溶けていき、炭になっていた木々や物体は灰になる。
骨と化した碓氷の姿を期待し、花山は渦を消した。
現れたのは、何層にも重ねられた三メートル級の金属球だった。外側の空洞球からひとつずつ消えていき、最後に汗だくの碓氷が現れた。
渾身の一撃は徒労に終わった。
今度は、碓氷が攻める番だった。彼女の背後に、無数の弾丸が浮かぶ。
花山は絶句した。先ほどの攻撃でエネルギーをほぼ使い果たしたため、この数に対応するのは不可能だった。それに、今ある弾丸をすべて消滅させたところで、第二弾が来るのは目に見えている。辛うじて残っていた戦意が、急速に萎んでいった。
碓氷が、杖代わりの鉄パイプを突きながら、一歩ずつ踏み締める。花山に抵抗の意思がないのは明白だった。
花山は自嘲の笑みを浮かべると、腰のポーチをまさぐった。碓氷は途端に表情を硬くし、足を止める。
出てきたのは拳銃だった。
「お先に。全部滅茶苦茶にしていった男を懲らしめます」
銃口が、花山のこめかみへ宛がわれる。
乾いた銃声が鳴った。
拳銃が地面に落下し、煙を吹きながら横たわる。
ぽつり、ぽつりと赤い滴が地面に落ちてくる。元を辿ると、包帯の巻かれた花山の右手だった。花山は、しんどそうに歯を食いしばりながら、右手の傷を押さえつける。
碓氷は、花山に向けていた腕を下ろし、静かにこう告げた。
「それなら、うちの同僚たちがやってくれるので、ご心配なく」
程なくして、池袋局を筆頭に異捜の増援が駆けつけた。無抵抗な花山が連行されるのを見届けると、碓氷は安堵したように目を閉じ、倒れ込んだ。