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番犬と狐  作者: 汐越陽
16/19

16.

 香川の強い希望により、弾丸の摘出手術より先に取調べが行われることになった。漸義会内外からの奇襲を警戒し、病院には個室に限定せず厳重な警戒態勢が敷かれた。

「宇都宮の奇臓を持ってるのは俺たちだが、殺ったのは花山だ」

最低限の処置を終えた香川が、ベッドの中で異保官たちに囲まれながら、そう語り始めた――。


 宇都宮陸雅とは、彼がまだブレイクする前からの付き合いだった。始まりは安地組が宇都宮の所属する芸能事務所を後援していた由縁からだ。

 香川の役割は、専ら宇都宮の背中を見守ること――否、周囲に睨みを利かせることだった。宇都宮の前ではいい顔を装い、裏で金や暴力の臭いをちらつかせる。すべては優秀な商売道具に嫌われないためだった。

 香川の努力は、望んだ通りの結果を生み出した。宇都宮から徐々に信頼を獲得し、仕事上の相談だけでなくプライベートの悩みまで受けるようになった。

 一方、安地組組員としての立ち場には暗雲が垂れ込めていた。反社会的勢力への法規制の充実と、池袋に新たに赴任した『番犬』という脅威。水面下で行われていた犯罪が暴かれていき、ついには幹部まで検挙される事態も発生した。

 安地組は、新たな組織体制の再編を余儀なくされたが、香川たち一部の組員と、その他大勢で意見が二分した。両者の折り合いは一向につかず、最終的に香川たちが数の力で押されて脱退することで収まった。

 同じ頃、宇都宮から誘いを受けて都内の飲食店に向かった。かねがね恋愛相談を受けていたので、めでたい報告だろうと香川は予想した。

「実は、近いうちに結婚を考えています」

どうやら的中したようだ。

「そうか。そりゃめでたい」

素直に祝福の言葉を掛ける。しかし、宇都宮の表情は曇っていた。

「何か不安でもあるのか?」

「はい」宇都宮は小さく頷いた。「香川さんたちには本当にお世話になりました。感謝していますし、できることなら今後も仲良くさせていただきたいと思ってます」

そこまで言ったところで、宇都宮は申し訳なさそうに俯いた。

「ただ……新しく家庭を持つってなったとき、その……妻や将来できるかもしれない子供のことを考えると……」

途端に、宇都宮が嗚咽を漏らして泣き崩れた。片手で顔を覆い隠し、もう一方の手でカバンからハンカチを取り出す。

「今もこうして香川さんの優しさに甘えてる、最低だ。今までだって散々迷惑を掛けてきたっていうのに――」

「待て、勝手に思い詰めないでくれ」

香川が両手を軽く上げ、ひらひらと振った。

 宇都宮は、顔を隠していた手をどけた。赤く腫れた目が覗くと、鼻を啜る音が聞こえてきた。

 香川はほっと息を吐くと、掲げていた両手をテーブルの上に下ろした。

「お前が言いたいのはつまり、今の事務所から抜け出したいってことだろ? だったら謝る必要はない。何せ、俺もつい先日、安地組から抜けたばかりだ」

 一瞬、間があった。

「何かあったんですか?」

「内輪揉めだ。声がでかいだけの連中に従うのに嫌気が差した。あの様子じゃ、壊滅するのも時間の問題だろうと思って、見限ってやった」

 宇都宮の目から涙が引いた。

 香川は、テーブル上の何もないスペースに右腕を投げ出し、身を前に乗り出した。上目で、相手の顔を見据える。

「なぁ、宇都宮。一緒に独り立ちしようじゃないか」

顔に出そうになるにやけ笑いを必死に堪え、宇都宮の反応を窺った。頭の中には、すでに目の前に座るイケメンアイドル歌手の姿はなく、自らを追いやった憎き集団の失脚する光景が浮かんでいた。

 宇都宮は。いっさい迷うことなく誘いに応じた。

 それから数日としないうちに、宇都宮の結婚が世間に公表された。

 結婚発表の文書を眺めながら、香川はほくそ笑んだ。これで安地組の衰退は決定的になった。


 時が飛んで、三月中旬。再び宇都宮から連絡があった。馴染みの店で、実に数か月ぶりの再会を果たすことになった。

 テレビでは何かと見掛ける機会が多かったが、口からは自ずと「元気にしてるか?」という質問が飛び出しそうになった。それが出ていかなかったのは、相手の顔色が冴えないことに気づいたからだ。

 宇都宮は、愛想笑いすら浮かべることなく、向かいの席に座った。

「お忙しいところ、ありがとうございます」

表情に即した覇気のない声が告げる。

「何があった?」

香川の顔からも、すでに笑みは消えていた。

 宇都宮は一度だけ目を合わせると、すぐにテーブルへ顔ごと伏せた。そして、ぼそぼそとした声で話し始めた。

「先月末から、うちに安地組の人が来るようになりました」

 香川の渋面がより険しくなった。そんなことは知る由もなく、宇都宮は続けた。

「クスリの押し売りでした。初めは出先で絡まれるだけだったんですが、断ってるうちに家にまで押しかけてくるようになって。ついに、妻の前でやられてしまい、以前の事務所のことを伝えざるを得なくなりました」

宇都宮の右腕が無意識にテーブルへ置かれ、声同様に小刻みに震え出す。香川が心配そうに見守るものの、まだこの間のように言葉を詰まらせる様子はなかった。

「幸い、妻は理解を示してくれました。相談の結果、別のマンションに引っ越すことになり、今月頭に移動しました。彼ら、すぐにでも嗅ぎつけてくるんじゃないかって、しばらく気が気でなかったんですが、一週間しても来なかったので、もう大丈夫だろうと思うようになりました」

 垂れた前髪の間から覗く目が、怯えるように窄められる。香川は頬杖を突き、鼻から溜息を零した。

「昨夜、私用で出ていたところに奴らは来ました。いつもの説教に加えて、買わなきゃ奇臓に替えると脅迫されました。顔が本気でした。たまたま近くにいた異保官が駆けつけると、逃げていきました」

 ようやく宇都宮が頭を上げた。死人のように血の気のない顔が露わになる。

 香川は頬杖から直ると、両手を膝の上に乗せて姿勢を正した。

「次に会ったときには殺されると思います。香川さん、お願いです。助けてください」

上がったばかりの頭が、早くもテーブルに押しつけられる。

「お金なら出します、いくらでも。ただ、もうあいつらの養分にはなりたくないんです」

「俺も奴らも同類だ」

「それでも構いません、香川さんになら」

涙声が返ってきた。

 香川はハンカチを取り出し、無言で宇都宮の右手の上に乗せた。相手はすぐに気づき、俯きながらそれを受け取った。

 宇都宮が涙を拭き始めると、香川は口を開いた。

「任せてくれ。指一本――息の一ミリも触れさせやしない」

 かくして、漸義会が宇都宮の用心棒を務めることになった。

 香川たちの存在は、外部への牽制として十分すぎるほど機能した。しかし、内部からの裏切りを防ぐまでには至らなかった。


 四月十七日、夜、都内某所。花山ら三名が、音楽イベントの打ち上げに参加した宇都宮の迎えに行った。

 同じ頃、香川は同市内の河川沿いへ密輸品の受け取りに来ていた。車のエンジンを掛けたまま、相手が現れるまで待機する。

 ラジオから流行りの音楽が流れており、それとは別の曲を隣の風嵐が鼻歌で奏でていた。

 香川は厳しい表情で、車内時計を凝視していた。時刻は二三時二八分。約束の時間までもうわずかだった。時刻が一分進んだ瞬間、花山から、宇都宮を車に乗せたと連絡が入った。すぐに了解の旨を伝え、再び時計に目をやった。

 時刻が二三時半を回ったとき、前に一台の軽トラックが停止した。中から頭にタオルを巻いた筋肉質の男たちがぞろぞろと現れる。

 風嵐を筆頭とした若手が車を降り、男たちに声を掛けた。軽いやり取りの後、風嵐が振り向き両腕で大きな丸を作ると、香川は安堵してドアを開けた。ひんやりとした心地よい風が頬を撫でる。他の組員も香川に続いて車を降りた。

 若手がトラックの荷台の紙袋を運ぶ間、香川たち年長組は相手の代表者に対価を渡していた。キャッシュケースと鍵を受け取ると、男たちは数人掛かりで念入りに中身を確認した。しばらくして、彼らは顔を見合わせ頷いた。

 代表者らしき男が、領収書を差し出した。香川は笑顔で受け取り、ぺらぺらと掲げて見せる。

 運搬が終了すると、商品の数と中身をチェックして問題ないとわかったところで解散した。車に戻り、時刻を見ると二三時五六分だった。

 エンジンが掛かると同時に、ラジオからバラード調の曲が流れ出した。風嵐の鼻歌も始まる。香川は座席に背中を預けた。あまりの心地よさに自然と瞼が重くなる。

 突然、けたたましい着信音が鳴り響いた。香川が飛び起き、助手席の組員が急いでラジオを消す。風嵐も、鼻歌の音量を落とした。

 宇都宮の送迎担当からだった。香川は即座に電話に応じた。

「どうした?」

『宇都宮と花山さんが消えました』

車内の空気が、一瞬にして凍りついた。

 香川は、半ば無意識に携帯を耳元に押しつけた。

「場所は? どこだ?」

 市内の大きな公園とわかると、車はすぐさま発進した。

「詳しく聞かせてくれ」

『宇都宮を自宅まで送る途中、花山さんが安地組の奴に尾行されてるかもしれないって言い出しまして。気のせいだとは思うけど念のためってことで撒くことにしたんです。それでしばらく迂回してたんですが、宇都宮がトイレに行きたいって言い出して』

「それで公園に? 二人きりで行かせたのか?」

『はい。花山さんの指示で、俺たちは駐車場で見張ってました。でもあまりに遅いもんですから連絡を入れてみたんですが、全然出なくて……』

「探しには?」

『行きました。トイレには誰もいなかったです』

「声を聞いたりは? 何か変な音が聞こえたりはしなかったか?」

『いいえ、まったく』

「花山に何かおかしな動きは見られなかったか?」

困惑しているのか、しばしの間返事がなかった。

『水なら飲ませてましたけど、小便出そうになるほどではなかったですね。あれ、大のほうだっけ?』

「容器は? 未開封のペットボトル以外じゃないよな?」

通話越しに、もう一人の組員と確認している声が微かに聞こえてくる。それから少しして、返答があった。

『ラベルが剥がされてるんですけど、明らかに炭酸の奴なんですよね』

「何故二人きりにした?」

嘆きに近い怒声が放たれる。

『すいません、こんなことになるなんて思わなくて……』

委縮した声が返ってきた。香川は大きく溜息を吐いた。

 胸の中を渦巻く苛立ちは、何も通話先の二人だけに向けられたものではない。もとより花山は、日和見主義的な人物だった。得意の人心掌握であらゆる方面に居場所を作り、自在に立場を改められるようにする。まさしく、イソップ童話の『卑怯なコウモリ』のように。それを知りながら警戒していなかったのは、香川の意識が完全に漸義会外に向いていたこと、そして、いつ消えてもおかしくない状態の安地組に、わざわざ寝返るわけがないと驕っていたせいでもあった。香川自身もまた、花山が裏切るとはまったく予想していなかったのである。

 目的地に到着し、送迎係の二人と合流すると、二手に分かれて宇都宮たちを捜索した。

 程なくして、別のグループにいた風嵐の怒鳴り声が聞こえてきた。香川たちは急いで声のほうに向かった。

 風嵐たちの背中と、血塗れの地面が視界に飛び込んできた。

「見つかったか?」

香川が声を掛けると、彼らはいっせいに振り向いた。

「逃げられました」

風嵐が息絶え絶えに報告する。

「何人いた?」

「花山だけでした。それより香川さん、どうします?」

「どうするって、何を?」

香川は怪訝な顔を浮かべながら前に出た。

 一際派手な血溜まりの中に、華奢な人影が横たわっていた。

 大きく見開かれた目。真っ青な顔。マネキンのように微動だにしない変わり果てた姿は、紛れもなく宇都宮だった。

 香川は言葉を失い、膝から崩れ落ちた。慌てて風嵐が肩を抱く。

「香川さん? 大丈夫ですか?」

耳元で話しているはずの風嵐の声が、遠く聞こえた。目の前の死体も、薄くモザイクが掛かって見える。一方で、手に食い込む砂利の感覚と鼻腔を突く血の臭いは鮮明だった。

「香川さん!」

一段と大きな呼び声に、香川は我に返った。愕然とした目のまま、風嵐のほうを向く。

「どうします? 待ち伏せしますか?」

「そうだな……」

香川はそう呟き、宇都宮の死体を見つめた。国民的人気アイドル。珍アビリティの奇臓持ち。金目のものを狙うには格好の餌食だ。敵は確実に引き返してくるだろう。それも早いうちに。だが、何人でやってくるかはわからない。少なくとも、今ここにいるメンツだけで撃退できる数とは考えないほうがいいだろう。

「撤退だ」

 風嵐がやや不満そうに他の組員たちへ伝達する。香川も宇都宮の死に顔を名残惜しそうに見つめながら、その場に立ち上がろうとした。

 ――もうあいつらの養分にはなりたくないんです。

 ふと宇都宮の声が脳裏を過り、身体がピタリと静止する。

 香川は唾を飲み込んだ。本当にこのまま安地組の連中に貪らせてもいいのか? その疑問は、決して安地組への敵対心だけで生じたものではなかった。

「車に空きスペースはどれぐらい残ってる?」

突然の質問に、風嵐は一瞬面食らうも、即座に意図を悟った。

「えっと。人ひとり詰めるのは厳しいです」

「箱は」

「奇臓ケースが三つぐらいあったと思います」

「バラせば少しいけるな」香川の顔がほんのり晴れる。「お前、地アビは持ってたか?」

「ありますけど……まさか燃やさないで埋めるんすか?」

風嵐が驚きのあまり大声で訊ねる。香川はすかさず口元に人差し指を立てた。

「こんな時間に火が上がってたら即警察が来るぞ? 最悪、異保が呼ばれて面倒なことになる。今やるべきは応急措置だ。残りは明日にでも移動させる」

 その晩は、財布や腕時計など金目のものと奇臓だけを回収し、遺体は深くに埋めて退散した。

 翌日の同時刻、組員数名を遺体の回収に向かわせ、香川自身は風嵐たちと一緒に都内のキャバクラへ花山の情報収集に来ていた。

 来店早々、風嵐が同業者らしき客の男と激しい口論になった。普段なら宥めに入る香川でさえも、(恐怖というより面倒だという理由のほうが正しかったが)このときは介入しなかった。傍から煩わしそうに見ながら、他に話が聞けそうな人物がいないかを探す。

 その矢先に、回収班から連絡があった。

『埋めたはずのところに何もありませんでした』

「は?」

思わずドスの効いた声が放たれた。周囲の人物の会話が止む。風嵐たちも口論を止めた。

「貴重品は残ってないはずだろ?」

『はい……』

か細い返事だけが聞こえてきた。

 突然、「黒い腕」が壁を撃ち抜いた。店内が一気に静まり返る。

「クソコウモリめ!」

もう一発、「黒い腕」が壁を殴りつける。

「絶対にぶっ殺してやる」

これが、初め容疑者として追われていた男が語ったアイドル歌手失踪事件の真相だ。

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