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番犬と狐  作者: 汐越陽
13/19

13.

 としま第一ビルの一階は、入口からすぐの場所に、稼働していないエレベーターと階段が並んであった。下のほうからは人の声が聞こえてくる。

 二人は素通りし、奥にある破損の激しい自動ドアの割れ目を潜り抜けた。

 かつて居酒屋だった場所が、形だけを保ち残っていた。電気の類は全滅しているものの、窓から入る日光のお陰で視界は確保されている。

 碓氷は傷だらけのテーブルの列を掻い潜り、部屋の奥へ進んだ。歩くたびに床がミシミシと音を立てた。徐々に日光が届きにくくなり、周りの様子が見えなくなる。突き当たりのドアを開けると、トイレだった。碓氷はスマホのライトで内部を照らす。

 一瞬、アンモニア臭が鼻を突いたが、最低限の整備はされていた。見るからに新しいトイレットペーパーが補填用に準備されている。

 碓氷はトイレを出てライトを切った。

「どうやって憑依する?」

テーブル席のほうに戻り、寒河の向かいに腰を下ろす。

「一人ずつ誘き出したいところだが、そんな都合のいい方法があるものかねぇ」

寒河が足をトントンと鳴らした。フロア全体の床が微かに揺れた。今度は足を床から離し、椅子に重心を移動させる。床が軋む音が聞こえた。

 程なく、階段のほうから声が聞こえてきた。碓氷が驚いたように振り向き、寒河は待っていたと言わんばかりに微笑した。

「どうせまたゴキブリでしょ」

「ゴキブリであんな物音しねぇから」

若者二人の声だった。

 碓氷と寒河は顔を見合わせ、ゆっくりとドア近くの壁際に身を潜めた。

「ネズミだったらどうしよ。俺、あの尻尾無理なんだよ」

 すぐ近くまで足音が迫ってくる。寒河はにんまりと笑い、碓氷は唾を飲み込み息を殺した。

「ガラス気をつけろよ。この間、栗原が手切ったからな」

壊れたドアの隙間から足が覗いた。

 現れたのは、薄っすらと緑掛かった短髪と銀髪のウルフカット、二人の青年だった。

 すかさず碓氷が緑髪の背後に回り、口元を押さえた。右手人差し指をこめかみに突きつける。その間に、寒河が銀髪の後頭部を椅子で殴り、気絶させた。

 凶器にした椅子を床に置き、寒河が座った。その正面に座るよう、碓氷が緑髪に耳打ちした。緑髪は目を見開きながら何度も頷いた。

 緑髪が直接床に腰を下ろすと、寒河が覗き込むように前のめりになった。床が小さく軋む音と、静かな呼吸音が聞こえる。

 青年の怯えた瞳を捉えていた目が、碓氷のほうに向けられた。

「もう大丈夫だ」

 碓氷は曖昧に頷き、緑髪から離れた。先程まで恐怖で縮こまっていた背中が、今は姿勢よく伸びている。

「敵の数は二十前後といったところか……おっと、能力弱体化持ち(アビキャン)じゃないか。こいつはありがたい」

寒河が青年の頭から覗き出した情報を告げる。「アビキャン」と呼ばれる能力属性・アビリティキャンセルは、相手の能力や攻撃を弱体化または無力化することができる。つまり、柔軟性のある能力抑止剤みたいなものだ。

 寒河がさらに覗き込もうとすると、銀髪の身体がピクリと動き出した。碓氷は勢いよく振り向く。

 小さく唸ると同時に、徐々に目が開き始めた。碓氷は腕を捲りながら近寄ろうとする。

「碓氷、大丈夫だ」

寒河の声で、足を止めた。

 寝起きでまだぼんやりしている銀髪の前に、寒河がしゃがみ込む。憑依は一瞬で終わった。

「植物と氷か、どちらかというと戦闘向きだな。光が欲しい」

「待ち伏せを続ける?」

「いや、駒を使う」

 突然、緑髪がぬっと立ち上がった。ロボットのようにまっすぐ歩き出し、割れたドアを抜けて階段を降りていった。


 地下一階のパチンコ跡地はありとあらゆるものが撤去され、コンクリートの露出した壁と床だけの大広間になっていた。その隅で、壁際に沿うようにして、香川たちが食事を兼ねた作戦会議を行っていた。

「何だった?」

緑髪の青年こと田島(たじま)に気づいた香川が、さっそく訊ねた。

「ネズミでした。ゴキブリもいましたけど。代々(よよぎ)が戦ってます」

「ネズミか。あれって、夜行性じゃなかったか?」

すると、話を聞いていた風嵐が急に噴き出した。

「何言ってるんすか、香川さん。ハムスター昼間起きてますよ」

以後もひとりで笑い続ける。周りは奇異の眼差しを向けながら、困ったように香川を見た。

 香川は溜息を吐くと、風嵐を無視して田島に振った。

「虫ケラ含めて片づきそうか?」

「時間が掛かりそうです。数が多いのと、何より暗いんで」

「だったら僕も手伝いましょうか? 光アビ持ちですし」

そう提案したのは、栗原だった。しめたとばかりに、田島は心の中でほくそ笑む。

「栗原、お前ゴキブリ大丈夫なのか?」

横から、風嵐が腹を抱えたまま口出しした。

「まぁ、最悪燃やせば」

栗原がそう言うと、

「燃やすのはやめとけ。火事になる」

急に香川が深刻そうな表情を浮かべた。

「それじゃあ、消臭スプレーとか? 効くって聞いたことあります」

「せいぜい幼虫ぐらいだ」

「ゴキブリって幼虫いるんですか?」風嵐が驚いたように訊く。

「そりゃあ、初めからあのデカさだと不気味だろ?」

「初めからあのデカさじゃなくても不気味ですよ。てか、香川さんゴキブリ詳しいですね。飼ってるんですか?」

香川は目を伏せ、頭を抱えた。それを肯定の意と捉えた風嵐は、さらに質問を重ねようとする。香川は逃げるように風嵐から離れ、わざわざ田島たちのほうに近づいた。

「それじゃあ、引き続き頼んだ」

「わかりました」

田島と栗原が、階段のほうへ向かおうとする。その矢先、

「田島」

思い出したように香川が呼び止めた。田島は、栗原だけ先に行かせ、その場に留まった。

「何でしょう?」

「本当にネズミだったか?」

 訝しむ目が、青年の顔を凝視する。

「はい」

挙動不審にならず、かといって堂々とはし過ぎないように努めた。香川は腕を組みながら、低く唸った。

「ネズミなら、この間巣ごと始末したはずだが?」

 田島の右足が半歩下がる。

 突如、上の階から栗原の悲鳴と、床を踏み鳴らす音が聞こえてきた。全員の視線が天井に向けられる。

「やっぱりダメだったか、ゴキブリ」

風嵐がぽつりと呟いた。

 物音が落ち着いたところで、田島が顔を下ろし、こう言った。

「ドブネズミです。餌を求めて侵入したんじゃないですかね?」

香川も顔を下ろし、首を傾げる。

「餌? 廃墟のどこに餌がある?」

「ゴキブリとか」

わずかな沈黙があった。

「詳しいな」

「前に食ってるところ見掛けたんで。もういいですか? 代々木の奴、ネズミの尻尾苦手らしいんで早く行ってやらないと」

「そいつは悪かった。代々木にも申し訳ないと伝えておいてくれ」

ようやく解放され、田島は踵を返した。しかし、階段に向かう途中で足を止めた。

「香川さん。離してください」

「何のことだ?」

あからさまにとぼけた声が返ってくる。田島は半身だけ翻し、口を開いた。

「触手ですよ、触手。ほら――」

指し示すように、自らの右腕に目をやる。途端に彼の顔は凍りついた。

 確かに、腕には黒い触手が絡みついていた。しかし、その様は絡みついているというより、締めつけていると表現するほうが相応しかった。中の血肉や骨が飛び出しそうなほど深く皮膚に食い込み、掌はうっ血していた。

「この状態でよく平然としてられるな。情報屋」

香川が一歩ずつ前進し、じわじわと詰めていく。田島も合わせて後退りした。額から、一筋の汗が流れ落ちる。

 状況を知った組員たちが、逃がすまいと囲い込んだ。行く手を塞がれ、田島はその場であたふたする。さらに畳み掛けるように、風嵐が前に出た。田島の胸倉を掴み上げ、間近で目を覗き込む。

「おーい。情報屋、聞こえるか?」

上の階から、返事代わりにガタンという物音が聞こえてきた。風嵐の目がいっそう細められる。

「今からてめぇを殴りに行く。逃げるなら今のうちだ。そうだ、番犬も一緒だろ? だったら教育がてら、てめぇの前で散々ブチ犯した後、ミンチにしてネズミに食わせてやるよ。そんでもって、てめぇも二度と抗えないようにしてやる、たっぷり時間を掛けてな! 嫌ならとっとと逃げることだ、いいな?」

直後、田島の身体に強力な電気が流れた。寒河に届いていた知覚情報のいっさいが遮断された。


 深く項垂れながら、寒河は荒い呼吸を繰り返していた。

「寒河? 大丈夫?」

様子に気づいた碓氷が声を掛ける。寒河は正気に戻り、顔を上げた。

「申し訳ない、香川に気づかれた。申し訳ない、本当に申し訳ない――」

焦りに満ち溢れた目が、虚空を捉える。

 碓氷の表情に変化はなかった。

「了解。どうやって戦う?」

「あ……ああ、そうだな――」

相方の冷静ぶりに押されて、次第に落ち着きを取り戻していく。

「光アビは確保した、姿は消せる」

「帰ってこないのはアビキャン?」

「そうだな、気絶させられている。ただ、離脱しない限りは意識の有無に関わらず制御下にいる」

「足止め自体はできてるわけね。ということは、一番の問題は能力の封じ方になるけど――」

「香川たちが抑止剤を持っている。地下一階、右奥の部屋だ」

「なるほど、了解」

碓氷はメガネを正し、こう続けた。

「私が抑止剤を取りに行く。寒河は支援お願い」

「逆のほうがいいんじゃないか?」

寒河が即答する。さっそく地下に向かおうとしていた碓氷が、足を止めた。

「君に抑止剤を任せるなら、姿を消すのに光アビ持ちをフォローにつけることになる。だが、青年の能力的に二人を消せるのはせいぜい十数分が限界だ。それに、姿を消している間は攻撃は控えてもらうことになる。居場所を知らせる羽目になるからな。それなら、自慢の戦闘力で注意を引いたり、消耗を誘ったほうがいいと思うが、どうだろう?」

「確かに」

碓氷は納得したように首を縦に振った。

「抑止剤は寒河に一任する」

「承知した」

返答と同時に、寒河の顔が強張った。

「大丈夫? 不安があるなら聞くけど」

「大丈夫だ、何があっても逃げたりはしない、絶対に」

ひ弱な声が返ってくる。それでも、自信なさげな瞳の中に混ざる覚悟の色を見つけると、碓氷はほっと息を吐いた。

「寒河。頼りにしてる」

そのまま歩き出し、階段に向かう。

 寒河は軽く口を開きながら背中を見つめたが、ふと目を細めて立ち上がった。

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