12.
『いくら大きなイベントだからってさ、よりにもよって大型連休にね、凱旋パレードやりましょうなんておかしいですよ。しかも、毎年出てる宇都宮くんだって今すごいことなってるじゃない。フェス自体やめろとは言わないけど、パレードなんてなくてもいいと思いますけどね、今までのでも十分盛り上がってるわけだし』
ややうるさめのラジオ音声だったが、タクシーの後部座席に座る二人の耳には届いていなかった。
大量の汗を噴きながら、じっと俯く野崎。その隣で、窓やミラーから追手が来ないかを頻りに確認していた碓氷が、安堵の息を吐いた。
「課長、お怪我は?」
「あぁ」
ようやく破られた沈黙が、数秒足らずで戻ってくる。ただし、今度は短かった。
「何故俺を助けた?」
ラジオに埋れる低く呟くような声だったにも関わらず、碓氷の耳にしっかり届いた。
返事の内容より先に、数分前までの出来事が頭の中に浮かんだ。
裏庭を抜けて間もなく、碓氷の足は再び止まった。花山から惨殺される野崎の姿が、どうしても脳裏に居座りついて離れないのだ。
寒河の言っていた通り、野崎自身が決めたことだ。暗に生かしてくれるわけがないと指摘されても、説得できると突っ撥ねたのだから、自業自得以外の何物でもない。そのように頭では理解していた。しかし、無心で見放すのは、難しかった。もし死なせてしまえば、また鳥音荘のときのように、無力感に苛まれるだろう。
罪悪感に後ろ髪を引かれ、足を踏み出すことができなかった。
その様子に気づいた寒河が、その場で立ち止まり、振り向いた。
「まだ奴のことが気懸かりか?」
碓氷は反応できずに、俯いた。
寒河は一度息を吐き、背中を向けた。
「あくまで私は協力者の身だ。助言はするし力も貸そう、ただしそれらをどう使うか決定権は君にある。最終的には君が決めてくれ」
考えるより先に、足が動いた。もと来たほうへ踵を返す。
「ごめん、寒河。先に行っててくれる?」
「承知した。物置きで待ってる」
回想から戻り、碓氷は開口一番にこう答えた。
「後悔すると思ったからです。課長のことは苦手ですし、正直やったことも許していません。ですが、誰かが反社の奴らに一方的に殺されるのが、それ以上に嫌でした」
「――そうか」
野崎は腕を組み、難しい表情のまま黙り込んだ。
会話が途絶えた。ラジオから、場違いな激しいヘヴィメタルが流れる。
しばらくして、池袋駅東口が見えてきた。碓氷がもうすぐ到着する旨を寒河に伝えようと、スマホを取り出したまさにそのとき、
「降ります」
野崎が突然手を挙げ、運転手にそう告げた。
「課長?」
碓氷が振り向き、大きく開いた目で見る。野崎は無表情で財布から一万円札を取り出し、停車する前に助手席に置いた。
池袋異保局に戻るのだろうか、と碓氷は思った。自白か、あるいは――微かに胸騒ぎを覚えたのと同時にタクシーが止まり、野崎はひとりで降りた。
不思議なことに、彼は駅の中へと消えた。
目的地に到着した。タクシーを降り、店内に駆け込んだ。朝と同様、早足で関係者トイレに直行する。今度は何も言われなかった。
薄暗い通路をものともせずに歩き、突き当たりに達すると迷わず左のドアを叩いた。
「遅くなってごめんなさい」
碓氷が謝罪しながらドアを開く。
「いや、私も今しがた来たばかりだ」
モニタを凝視していた寒河が、顔を上げた。
「野崎は?」
「間に合ったんだけど、ここに来る途中駅で降りてった」
寒河はきょとんとした。表情が戻ると、深掘りしようとはせずに別の話題に移った。
「あれから香川の居場所は変わらない。異保の目が花山に向いているとはいえ、呑気な奴らだ」
としま第一ビルは、池一の手の届く範囲に存在している。花山と碓氷・野崎の件があるから異保の手が及んでいないだけで、少なくとも参考人として追われている人物が長居できる場所ではない。
「あとは捕まえるだけね。一ついい?」
「何かね?」
「寒河の憑依能力って、複数人同時にできたりするの?」
「無論、可能だ」
「何人まで?」
「乗り移るだけなら十人でも余裕がある。ただし、完全な制御となると五人まで減る」
「他人の身体を操るのって、相当エネルギーが要るのね」
「異能的な問題というよりは、人間の脳のスペックの問題だ。車を運転しながらカーレースゲームをするのを想像してもらうといい」
腕の数さえ足りれば、物理的には複数端末を操作しながらの運転は可能だ。しかし、実際の運転やゲームの操作には知覚能力と判断能力が求められる。映像や音から現状を把握し、次の挙動を考える。これらをすべての端末に落とし込むには、限度がある。
「同時操作は、せいぜい五台が限界だろう。それ以上になると脳の処理が追いつかない」
「なるほど。その理論だと、憑依先にさせる動作次第では、数が増やせたりする?」
「もちろんだ。単純作業なら増やすことができる。あるいは、入ってくる知覚情報を減らすことでも可能だ。例えば、味覚や嗅覚、触覚から得られる情報はそこまで重要でないことが多い。必要な場面を除き、完全に遮断する・もしくは感度を下げることで情報量を落とすという手段もある。ビルに何人構えているかは不明だが、身体ハックした敵を将棋みたいにわざわざ使わなくても、チェスみたく奪うだけでも戦力は減らせる……どうした?」
寒河が話を中断する。表情に乏しいながらも、碓氷の顔には、どこか不安そうな色が浮かんでいた。
「いや、大丈夫かなって。顔色はよくないし、声も震えてるから。厳しいなら他のアプローチも考えるけど」
碓氷の指摘で、寒河は自身の動揺を自覚することになり、さらに動揺した。必死に押し隠していた恐怖が顔全体に表れる。
寒河は目を伏せながら、わなわなと震える口を開いた。
「大丈夫だ。頼れる人間が他にいない以上、手段を変えるのは難しい。それに、逃げられる可能性も踏まえると、考え直している時間はない。心配掛けて申し訳なかった」
口ではそう言いながらも、無理をしているのは明らかだった。しかし、不思議と心許なさはない。そこまで強力な不安材料を抱きながら、それでも押し通そうとするには、相応の覚悟が必要だ。碓氷は逆に安心感を覚えた。顔が自然と綻ぶ。
「ありがとう」
碓氷は、すぐに元の不愛想な顔に戻り、部屋の出口を向いた。
「それじゃあ、早いところ片づけに行きましょうか」
寒河は我に返り、普段通りの胡散臭い笑みを浮かべて頷いた。キーボードの隣に置かれた鍵を取り、席を立つ。
部屋を出るとき、寒河がぽつりとこう零した。
「君も笑うんだな」
碓氷の眉がわずかに動く。
「……何のこと?」
寒河は鼻で笑い、ハンガーラックから中折れ帽を取った。
「いい表情だと思ったよ」
「何のこと?」
先程よりきつい口調だった。
寒河は満足そうに笑い、部屋の照明を消すと、碓氷が出たのを確認した後ドアを閉めた。




