1399年奇妙寺前史005(医療と看護の閃き:試験管)
ガラスが産業革命を起こしたという説がある。
日本や中国で充分その要素がありながら、産業革命が起きなかったのはなぜか?
一説によると「ガラス容器がなく、瀬戸物容器だったから」と言われている。
瀬戸物容器は透明ではない。蓋を開けて、化学反応の結果しか分からない。
実験は結果ではなく、化学反応の過程を観察する事が大切だった。
経過がわからなければ、直感とインスピレーションには響かない。
透明容器こそが必須であったのだ。
松戸彩円は手を尽くして、甲斐国内の陶芸工房を当たった。
ガラスの溶融には1200-1400-1700度の高温が必要だからだ。
だが当時は中国から持ち込まれた磁器の解明に躍起になっていた。
どうやって白い陶磁器が出来るのかは1610年(有田焼)まで待たねばならない。
ガラスを溶かすルツボや窯の温度管理は未知の世界である。
これには若い作陶家が興味を示し、援助が得られた。
ガラス溶融で重要なのは熱履歴だ。
1400℃で溶融し1200℃で作業する。
あまり液相温度を長く保つと、ガラス(非結晶)にならずに結晶になってしまう。
そうすると濁った感じになって、透明なガラスにならないのだ。
試行錯誤が続けられ、透明ガラスの製作にメドが立ってきた。
一方、原材料の調達には手間が掛かった。
長崎や堺には、4~5人で奇妙寺青年部が何度も行くようになった。
ガラス屑の下取りとかガラス容器の買い付けだった。
その内、南蛮人とも馴染みの者が出来た。
何もかも順風満帆だった。
だが、それがいけなかった。
ある時、だれも帰って来なくなった。
奴隷狩りの誘拐だ。
日本人は海外で高く売れるのだ。
だれが犯人か?などとは、もちろん分からない。
いつどこで誘拐されたかも不明だった。
これ以上あぶない橋を渡るような事は出来ない。
それからは直接買い付けはご法度になった。
外商から買うようになったが、仲買人料がこれまたべらぼうであった。
「ガラスを材料から日本で作る事ができたらなあ」と彩円。
言ってからハッと気付いて、後ろを見た。
よかった、誰もいない。
ガラスの歴史は紀元前にさかのぼる。
ガラスの作り方はエジプトの古代から知られていた。
日本でも弥生時代のガラス工房が福岡などで見つかっている。
古代エジプトの乾燥した湖(乾湖)では炭酸ソーダの塊が採れた。
これを珪砂(石英の砂)と石灰石と混ぜて強熱(1400℃)して作る。
炭酸ソーダを入れないと、ガラスの融点は1700℃近い。
融点を低下させるこの方法(融点降下剤)は紀元前から知られていた。
だが日本には湿潤な気候が災いして炭酸ソーダは産出しない。
だが、これを採る方法はあった。
昆布を灰にして上澄みを取り、乾燥させて炭酸ナトリウムを得る方法だ。
含有量は1kg当たり0.0g~2.5gとまあごく少量である。
日本ではガラス屑に頼るしかない。
当面のガラス屑は200kgを超えて、実験道具の割り当てには困らなかった。
炭酸ナトリウムについては化学の発展を待つしかなかった(1420年より)。
こうしていよいよガラス実験道具の生産に着手する事となった。
吹き竿の先に溶けたガラスを吹いて、飴のように膨らます。
その古来からの伝統的手法でやってもよかった。
だが奇妙寺の松戸彩円はちょっと振り切れていた。
なにやら木工細工に熱中している。
出来たのは2つの金型の木の模型だ。
彩円「こういうのを、いっちょう頼む」
鍛冶「またですか、変な小道具を……」
鍛冶屋は変顔だったが、内心興味津々である。
鍛冶屋の見立てではこれは何かの割り型であった。
最初が粗仕上げ用、最後が仕上げ型とみた!
それはおおよそ当たっていた。
①真っ赤に焼けたガラスを粗型に流し込む
②ふいごで圧搾空気を送り込み、大体の形にする
③粗型から取り出す
④上下をひっくり返す
⑤仕上げ型に入れる
⑥ふいごで圧搾空気を送り込み、型に密着させる
⑦試験管完成。
こうしてビーカー、フラスコ、試験管を製作した。
こういう回りくどい方法を取るのは理由があった。
将来の量産を見据えての選択である。
片や、香油の製法の分野では材料の入手が困難なものがあった。
スイギュウのギーは?
スイギュウはいったいどこに?
松戸彩円はすっかり忘れていた。
甲斐国にスイギュウはいなかったのだ。
スイギュウのギーはなかったので、ベニバナ油で代用した。
ベニバナは6世紀に顔料の材料として輸入され、平安時代には日本でも栽培されている。
花を発酵乾燥させたものは赤色染料として価値があり、種子は絞って食用油とした。
ベニバナ油には、偶然にも酢酸トコフェロール(ビタミンE)が豊富に含まれていた。
早速、ベニバナからアーユルヴェーダ製法で成分を浸透する。
コールドプレス(冷搾)でベニバナ油をしぼり取った。
インド人講師「イェシティマドゥはアーユルヴェーダではヴァルニヤの質ね」
堺港のインド人講師もそう言っていた。
あの時、松戸彩円は単語の意味が分からなかったが、黒板の甘草の絵は分かった。
漢方薬の甘草の効能には、天然保湿作用と冷やす作用がある。
グリチルリチン酸だ。
その作用について解説しているのだろうと理解していた。
こうして血行改善に効く酢酸トコフェロールと消炎効果のあるグリチルリチン酸とが合体した。
これがまた戦場で抜群の効果があった。
「奇妙寺の僧形はバケモノか」
そういう軍師がいたとしても不思議はなかった。