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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第1章
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1399年奇妙寺前史004(医療と看護の閃き:インド香油)

堺港は、はっきり言って外国だった。


喫水が浅い港は南蛮船の接岸には向かない。

港の水深を深めるには浚渫(しゅんせつ)が必要だった。

だが、そんな技術も無く、あっても商人はそれに割く資金に興味がない。

そこで底浅の明(現中国)のジャンク船が物資・貨客の輸送業務を担っていた。


1372年、当時の中国である明の洪武帝は海禁令を出した。


事実上の鎖国だ。

1403年、永楽帝も海禁令を出したが形骸化している。

鄭和艦隊を南海(マラッカ)、インド洋、アフリカにまで出しているからだ。

海禁令にもかかわらず、なぜ日本の堺港は、このように賑わっているのだろうか?


堺港にきているのは、明の言わば黙認の密貿易・商人であった。


堺港にはあらゆる人種が歩いていた。

ベネツィアの商人、インド人、マラッカ人……。

「コチラデス、イラッシャイイラッシャイ」


なーんか妖しい外国人がゆっくりとした動作で手招きしている。


明(現中国)の漢方に対して倭の漢方は遅れていた。

そしてその最先端の明の漢方もインドの医療技術には勝てなかった。


彩円は外国人居留地に入った。

彩円「日本で採れない漢方薬について是非聞きたいものだ……」

いつのまにか回りは、漢人、インド人、マラッカ人らで溢れかえっていた。


宋の時代の蕃坊(ばんぼう)に似た、活気と熱気のるつぼ、そこは外国人居留地である。

町並みはレンガ造りの異国情緒たっぷりの風情だ。

店表は看板からして不思議な文様と文字で飾り立てられていた。


外国人居留地の一角には、ムスリム修道士の為の広い集会所がある。

南蛮商工会議所といった所が今回の教室にあてがわれていた。

目が眩むようなタイルのモザイク模様が興味を引いた。

入口に近づくと既に受講者の行列ができていた。


受講者の行列に付いていくと教室は日本人薬剤師で満員だった。

漢方も面白かったが、インド人の講師のアーユルヴェーダが一番凄かった。


聞いた事も見た事もない香料と油の名前が次々に出た。

なんだかわからない香料を、なんだかわからない油で煮詰める。

そして濾す。体に塗る。それだけだ。

みんな漢方の講義に行ってしまい、生徒は彩円だけになってしまった。


「フンスフンス」

松戸彩円は鼻息も荒く、教師の講義に熱中した。


教師「ランビキデ、カンゾウヲ、ジョウリュウシマス」

彩円「フンスフンス」


なんと教科書は印刷だった。

770年に唐(現中国)は陀羅尼(だらに)経の経典を100万巻印刷した。

それから600年後の今、彩円は印刷された教科書を手にしている。

彩円は海外技術の発展と進歩に目を見張った。


「自分も結構最先端だと思っていたが」

「世界には上には上がいるものだなあ」


甘草(カンゾウ)を使った炎症に効果のあるハーブオイル。

成分はグリチルリチン酸で筋肉痛に効く。

筋収縮を緩める効果がある。


「マカダミアナッツヲシボリマース」

「フンスフンス」


マカダミアナッツオイル。

成分は酢酸トコフェロール(ビタミンE)で筋肉の血行改善に効く。

抗酸化作用もある。


インド医療の数千年の実地試験の結果だった。

これらの分子構造が分かって、使われているのではない。

紀元前からの試行錯誤で、薬効が実地試験されただけなのだ。


「ふう」

彩円はため息をついた。

材料も分かった。調合も理解した。薬効も知った。

だが材料が日本に無い。


「ハアハア、やっと追いついた……」

彩円の真後ろに例の商人が霊みたいに突っ立っていた。

「ひょんげえぇ、ってなんだ、あんたか」


商人「すぐ後ろを追いかけたのに速いのなんのって」

彩円「すぐ後ろをって…追っかけてきたんか?あんた」

彩円と商人は件く(だん)の入手方法について話し合った。


「甘草は中国4000年の漢方薬ですぞ」

「でも手に入りますよ」

「マカダミアナッツは?」

「無理ですな」


スパイスもハーブオイルも超高級で希少な輸入品であった。

特にスパイスは原産地が秘匿であり、南蛮人も原産地を知らなかった。

そしてスパイスは金1gがスパイス1gといわれる超がつく貴重品だった。

<実際には中世フランスで金1g=コショウ72gが最も高値だった>

<砂糖の方が実は4倍も高価だった>


「あかん、高すぎる……」

「しかも蒸留器のランビキがまだ日本にない……」

彩円は失望して甲斐国に帰国した。


だがインド人の言っていたオイル「ギー」。

これはスイギュウの乳から採れる乳酸発酵のバターオイルだ。

これを量産して甘草の薬効を混ぜた膏薬なら出来る。


実験だ!


「実験に使う道具がなーい!」と彩円。


試験管もない!

ビーカーもない!

フラスコもない!

そもそもガラス道具が無い。

フラスコは歴史上登場するのは、信長への献上品だ。


だが500年以上前にアル・ラーズィ(865-925)がすでに錬金術で使用していた。

文献が残っていないが、錬金術の絵にフラスコが描かれている。

ビーカーについては古代メソポタミアで陶器のビーカーが作られていた。

ガラス製は紀元前16世紀頃には既に作られていた。


堺港でも南蛮からお取り寄せすれば、あったろうが、値段はべらぼうであったろう。


「ないなら作るまでだ!」

そこで松戸彩円は自分で作ることにした。

飛鳥・奈良時代(7~8世紀)にはガラスが日本でも作られるようになった。

ただこれは鉛ガラスで、主にガラス工芸品としてであった。

実用的なガラスはビードロ等が南蛮人の来日とともに日本にも伝来した。


堺には南蛮の人々が多く出入りし、ガラス食器を使う。

これは南蛮の玄関口、長崎でも同じであった。

それを不注意から割ってしまい、割れたガラスが土中に埋められているという。


その屑ガラスを、安く買い受ける。

屑ガラス(カレット)をリサイクルして、溶かして、ガラスの実験器具を造るのだ。

今でいう廃品回収業者である。


彩円は、とりあえず堺の商人に、屑ガラス(カレット)を引き取るように要請した。

「私でよければ」

「おお、やってくれるか?そういえば」


「キミの名は?」


丁翁(テイオー)と申します」

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